16・本音-5

竜が降りた場所は森のなかでもかなり深い部分らしかった。
今居る場所は明るいものの、周囲を見渡すと完全な闇が広がっている。
仄かに明るいその中に静かに座っているジェイド。
彼女の服は、アンバーのものだが、所々赤く染まっていた。
しかし誰も駆け寄ることが出来なかった。
彼女を保護するように、別の竜が佇んでいた。
“森の守護竜”ラングディミル。“グリート”の長。
エメラルドはかつてファリアの“塔”で仮初めのその姿を目にしていたが、その時よりも遙かな巨躯。
身体を被うのは鱗ではなく、白色の毛。見方によっては淡い蒼や緑にも見える、神秘的な美しい毛並み。
瞳は赤竜と同じく金色。人を惹きつける美しさと同時に、寄せ付けない強さが感じられる。
『“ヒト”の王、ご足労だった』
竜王は言葉を発した。ジェミニゼルが進み出る。
「迎えに深く感謝する、“グリート”の王。…早々ですまないが、私の騎士と、婚約者をこちらへ戻してはもらえないだろうか」
『……“娘”を返そう、“ヒト”の王』
白竜の背後から、女性がゆっくりと進み出てきた。
“グリート”の長のものに似た毛――もしかしたらそのものかもしれないが――をあしらったドレスを纏う彼女は、緩くウェーブのかかった赤い髪。
ジェミニゼルを除く城の面々は思わず息を呑んだ。その美しい女性は間違いなく、24歳のルビー・ラングデルドだった。
“グリート”の王が娘と呼び、守ってきた彼女。
『…そして、私の娘を預けるに相応しき騎士に、力を貸そう』
ラングディミルが、木で隠されて見えない空を仰いだ。
「――――結界、が…」
その存在を目で捉えることが出来るはずはなかったが、エラズルは周囲を見回した。
今回行おうとしていることに、何よりも必要で何よりも足りなかった“結界”。
身体を創る時に何か余計な物が混じったりしないような完璧なそれが、今張られている。
ディアに結界を張ってもらい、残りで身体を創るというのが最悪のパターンだった。
しかしこれは最高の状況。
『“ヒト”の子よ、望むままにやってみるといい』
その言葉はエラズルに向けられたようだった。
ラングディミルは一瞬で姿を消す。魔術で何処かへ移動したのだろう。
「――ジェイドっ!」
誰よりも早く、ファリアが駆け寄った。
ジェイドは彼女を見て驚き、それから優しく微笑む。
「…出られるようになったのか、リア…良かった」
「だって、会いたかったから…失いたくなかったから」
ジェイドは俯いて震える彼女に手を差しのべ、髪を撫でる。
「…ジェイド、どうして、こんなに怪我してるの…?」
「ああ、これは…アンバーが、“グリート”と数戦、腕試ししたものだから」
「何を考えているんですかね、彼は」
エラズルは小さく溜息をつき、断ってからジェイドの髪を一本抜き取った。
「…エラズル、大丈夫なのか?無理はするなとあいつが再三…」
「こんな状況で僕の心配をしてどうするんですか。…今居るのはあなたですから、あなたの身体を造ることになります…いいですか?」
「…ああ」
「心配は、しないで下さい。結界という大きな負荷が無くなりましたから、五人分の魔力でやれます。…失敗する方が、おかしいですから」
そう言う彼の声は少し震えていた。ジェイドは目を閉じる。
「…任せたよ」
魔力を持つ五人が円形に並ぶのを、周りは黙って見ていた。
不思議と不安は無かった。
彼等なら何とかする、と、何故根拠も無く思えるのか。
アンバーとジェイドが二人として戻ってくる。それが少しずつ確信に変わる。
これから、今までと同じように、何も変わるはずがないという思いさえ。
――今までと同じように?
エメラルドは激しい違和感に襲われた。
それが何であるのか、すぐに悟る。
王の婚約者ルビー・ラングデルドはそこに居る。
では、ルビィは。
いつも傍らで笑っていた彼女は何処に居るのか。
問おうにもラングディミルは居ない。
不安に駆られて見回してみても同じこと。意味はない。
そして――――
目映い光が辺りに満ち、それが薄れた時。
五人の中央に、ジェイドが倒れていた。
ファリアがすぐに自分のケープをかけてやる。
すぐに、琥珀色の瞳が開かれた。
「……リア?」
ジェイドの、声。
「――――――っ!!」
ファリアは涙を流しながらジェイドを抱きしめた。
身体から一気に力が抜け、エラズルは深い溜息をつく。
確かな成功だった。そして振り向けば、性別が固定した彼が居るはずだった。
あの笑顔が、あるはずだった。
「――――……え…?」
何が起こったのか全く理解出来なかった。
自分の向いた方向が間違っているのか?それとも彼は悪ふざけで隠れているのか?
全員がエラズルと同じ、先程までジェイドが座っていた一点を見た。
――解るのは、そこには何もないということだけだった。


******



やがて冬が来て、一年が終わり、再び春が訪れた。
相変わらずウィルベルグ城は賑やかだった。
美しい王の婚約者は、大臣を始めとする城の者達を大いに驚かせた。
彼女付きの侍従、侍女は城内でも有名な双子に決定。
食堂のメニューには、多数の要望によりお菓子が数品加わった。
白亜塔には布類がよく運び込まれるようになった。特技を生かし、貴婦人のドレスを中心に“リスティ”と“ヴェルファ”の二人が服を仕立てている。
特に表立った事件というものも無く、王の隠密者はよく城内に居るようになった。
見目麗しい王宮魔導士の二人は、城内で密かに人気を集めている。
王直属の騎士二人は他の騎士達の憧れの的。
王の秘書官は非常に有能で、外交に関わる仕事も行うようになった。

全国民が待ち望む王の挙式は、何故か行われる目処が立っていない。
――――王の近衛騎士の椅子は、ひとつ空いたままだった。

16・本音 End
2005.10.01