16・本音-4

「ファリアさん、おじゃまします」
“塔”の入り口で一応述べてからユナは足を踏み入れた。“塔”がファリアのものだという訳ではないが。
アクアマリンが駆けてきて、彼女を案内する。
ファリアは一階に居て、窓から外を見ていた。
「リア様、ユナ様がおいでになりました」
天使は振り向いて微笑む。
「いらっしゃい。どうしたの?」
「えっと、ご迷惑かとも思ったんですけど…」
ユナは紙袋をファリアに手渡した。
「食欲の出そうなお菓子を作ってみたんです!ファリアさん、最近あまり食べてないってエラズル様が言っていたので…」
「そうなのです、ユナ様。リア様はジェイド様にもそのことは隠されて…」
ファリアはしばらく、受け取った袋とユナを見つめていた。
「ありがとう…私は大丈夫よ。色々、心配なことがあるといつもこうなの。悪い癖」
「…ジェイド様のこと、とかですか?」
「……そうね」
ユナは目を伏せた。ジェイドの種族の話は兄に聞いて――問いただして、知った。
彼女の不調は目に明らかだったし、何故種族のことをファリアが知らないのかが疑問で、だから。
ユナはジェイドに尋ねた。
「…あの、ですね、ジェイド様はファリアさんに心配をかけたくないと思っているんじゃないでしょうか」
ジェイドの、答えは。
「“知ったら悩むようなことを、わざわざ知らせたくない”…とか、その」
「ユナちゃんは知ってるのね、何が起こっているのか」
「…私、ごまかすの下手ですね。お兄ちゃんから聞き出して、ジェイド様にも聞いて……ファリアさんには話さないで欲しいって言われちゃったんですけど、それって心配かけたくないくらい、ファリアさんのこと大切だからだと思うんです」
「……アンバーさんが関わっているような気は、しているの」
ユナは動揺を隠しきれなかった。驚いてしまったことに内心後悔する。
ファリアは慌てるユナに、少しだけ楽しそうに笑った。
「だって、ラズが一生懸命だから…やっぱり、教えてはくれなかったけれど」
「兄様も何か隠し立てをしておられるようでした。アクアには話せぬことだ、と」
「……」
ユナは黙って二人を見ていた。
本当のことを知って思ったのは、どちらともに居て欲しいということ。
いつも楽しそうに笑って、場を和ませてくれたアンバー。
女性だけでなく騎士達の憧れの的、強く凛々しいジェイド。
「…本当のことを言うと、ジェイド様とアンバーさん、今凄く危ないみたいなんです」
ユナは控えめに話しだした。ファリアは真摯な面持ちで聴く。
「私も詳しいことまでは解りません。でも今、エラズル様やラピスラズリさん、ディアさん、そしてお兄ちゃんとかがみんな集まって話し合ってて…ジェイド様が今居ないのも、そのことに関係しているみたいで」
魔術に関係しているのだ、とファリアは瞬時に悟った。その面子に共通するものだ。
ならば、自分に出来ることも少なからずあるのではないだろうか?
ファリアは立ち上がる。
今から自分がしようとしていることを考えただけで足が震えた。
「…ファリアさん?」
「リア様?」
「……私、どうしても無くしたくないものがあるの」
この閉ざされた世界の“外”。見知らぬ他者。
逃げ出したい程の恐怖は消えてはくれない。
しかしそれを上回る衝動が彼女を動かした。
たった一つの願い。
――――――彼女と居る時間を、失いたくはない。

いつ夜になったのか解らなかった。昼下がりだとか夕暮れといった時間帯は何処へいってしまったのだろう。
もう、“待つ”こと以外にすることは無かった。
図書室には人が集まっていたが、支配するのは静寂。
エラズルにラピスラズリ、ディア、ロードナイト。
エメラルドやサファイア、パオ、そしてジェミニゼルまでもが離れられずにいる。
時間が、過ぎてゆく。
その、時計の、小さな音が、響いて――
「――――……何、か」
不意にエラズルが呟いた。
彼のみならず、魔力を持つ者は何かの気配に気付いたようだった。
外を気にする彼等をよそに、サファイアが階段の方を見る。
「み、皆さん!!!」
「大変なことにっ!!」
ブラッドとムーンの双子が血相を変えて駆け込んできた。
「どうしたの?」
サファイアの問いに、声が重なった。
「―――ドラゴン、が!」
真っ先にエラズルが駆けた。全員が後を追う。
城の出入り口の扉を開くと同時に吹き込む突風――――
エラズルはその姿に目を奪われた。
夜闇にも鮮やかな赤色。金の瞳は知性と優しさを湛えている。
広がる翼は空をも覆うのではないかと思えた。真紅の“竜”。
「ラングディミルの、后様」
そう言ったのはジェミニゼルだったろう。
紅竜と、その率いる数頭の黒竜が乗るのを促すように背を向けた。
「…“グリート”の長からの迎え、でしょうかね」
エラズルの言葉に従って、一同がジェミニゼルを見る。
王は迷わずに告げた。
「行こう」
頷き、別れて竜の背に。そこからエラズルは信じ難い光景を目にした。
「――――リア!?」
純白の翼を風になびかせ、外へ出られなかった彼女が走ってきた。
「ラズ、お願い。連れていって」
見上げてくる彼女に何も問わず、エラズルは手を差しのべる。
「ええ、行きましょう」
彼の傍らにいたジェミニゼルが、少しだけ顔をほころばせた。
ファリアが乗ると、竜は浮上を始めた。
再び起こる風と、羽ばたく音。
遠く空へと遠ざかっていく姿を、ムーンとブラッドは見守っていた。
「あーあ、どないすんのやろ。王様まで竜に乗って行ってしもた」
「大臣さんもびっくりやな。あたしのせいやない」
ユナとアクアマリンが“塔”のほうから歩いてきた。飛び去る竜を、彼女たちも見ていたようだ。
「兄様まで行ってしまわれました…」
「うん…何か、凄かったね」
「もうどうリアクションしていいのかわからんな、姉」
「そやね…何すればいいんやろ」
しばらく四人は立ちつくしていたが、ユナが提案する。
「あのさ、図書室の掃除しない?」
「あー!確かにさっきまで色々やっとったみたいやから、ゴミとか紙とかそのまんまになっとるやろうし」
「疲れとる時に片付け残っとるとやーな気分になるしな」
「それならば、アクアでもお力添え出来ますね」
三人が賛同し、頷きあう。
「じゃ、決まり!」
城へ入り、静かに扉を閉める。
何が何だか訳も解らず、大臣や騎士など城の関係者がごっそり集まって大混乱の入り口付近。
口々に王やその腹心の所在を問う彼等に、四人は声を揃えてきっぱり答えた。
「存じ上げておりません」