16・本音-2

意識を何か別の物に移し、生きながらえる術者…つまりは魔力の強い“リスティ”の話は様々な文献に残されている。
彼等が忌まれ、敬遠されてきた背景にはこういった超常的なことを可能にしてきた現実がある。
これを一人で実現出来るような術者にあてがないということは除き、この方法が今回可能だとする。
次の問題は、身体。
人間の身体を造り出すことは不可能ではない、と考えられる。
生物学的観点から言うならばクローン。
ただしこの場合に創造出来るのはその個体の幼生であるから意味がない上に、その身体には別の意志が宿っている。
では、魔術――最近は“魔学”と呼ばれる分野だが、この観点から考えると。
移動目的で実体の無い鳥獣を造り出す、それと同じ原理で人間の姿を作ることは出来る。
しかしそれはあくまで一時的な魔力の結晶。いつまでも留めておける訳ではない。
故に、この2つを統合する。
髪の毛でも何でもいい、身体の一部から遺伝情報を読みとり、それに従って身体を生成していく。
その時に必要とされる物質は、造り出すというよりは喚び出す――高位魔術の一つとされる招喚術と同じ原理だと思えばいい。
だが、とにかく何をするにしても、人間の身体を正確に造り出す為には魔力が足りない。
――これ以上詳しいことを説明しても解らないでしょう、というのがエラズルの話だった。

挨拶をしておこうと図書室に赴いたものの、エラズルの姿は無かった。
アンバーは椅子に腰を下ろすと、背をもたれさせて天井を仰いだ。
どれだけ眠っても消えない倦怠感。
この不調は恐らく、伸ばし伸ばしにしてきた身体の性別が決定しようとしており、意識が二つ存在するが故に定まらないことから来ているのだとエラズルは言っていた。
だからこそ、どちらかの意識を他へ。
その通りなのだろうとは思う。
静まり返った城の三階。どこに取り付けられていたのか記憶にも無い時計の音が聞こえてくる。
かつ、と不意に足音が混じり、アンバーは反射的に立ち上がった。
咄嗟の行動に耐えきれなかったのは自分自身で、ぐらりと体勢を崩しかける。
大して力を込めたようでもなく、手を差しだして支えてきたのは黒に身を包んだ王宮魔導士だった。
「…どうも」
「相当身体に負担がかかっているようだね」
ディア・ドールは、アンバーが自分の足で立ったのを見届けると手を下ろした。
「多分そろそろ限界だとは思う」
この相手には隠したところでとうに見抜かれている気がして、アンバーは答えた。
「それでも行くのだろう?森へ」
「ああ、名指しだしな…迎えに行くって決めてるんだ。それと、この体何とかするために力を貸してもらえないか、“グリート”の長に頼んでみる」
無理だとは思ってるけど、とつけ加え、苦笑するアンバー。
“グリート”を統べる竜王ラングディミル。高い魔力という点でこれ以上ない程適任だが、同時にこの上なく恐れ多くもある。
“グリート”の頂点に立つ彼が、たがだが人間二人の為に力を貸してくれるものなのか。
しかしそんなことを懸念している時間ももう無さそうだ。
「……ちゃんと戻っておいで、アンバー」
ディアは“笑って”告げた。
答えられずにアンバーは黙る。
人形の微笑み。いつか彼が本当に笑える日が来ればいいと、ふと思う。
「風が止まると、“ヒト”は寂しいようだから」
「………は?」
「今君に死なれても、私は涙すら流すことが出来ないだろうからね」
「ああ…はっきり言い過ぎだって、お前」
アンバーは溜息をついたが、怒っている様子ではなかった。
そろそろ準備をして向かう、と図書室を去る。
ディアはそこでは何も起こらなかったかのように無表情で立っていた。
僅かな後、アンバーがそのままにしていった椅子を机に合わせて戻す。
――――彼は風のようだ、と思った。
時には背を押す追い風。
心地良く吹く微風。
立ちはだかる向かい風。
周囲を巻き込む大嵐もまた、風。
それら全ては同じ物。それが止まった時に“ヒト”は喪失を感じるだろう。
きっと、“風”自身はそのことを知らないのだけれど。

四階の、階段を登った所にサファイアとパオの姿があった。
自分が来ることは、サファイアの目が見ていたのだろうか。アンバーは二人の前に立つ。
「出発前に一言かけておこうと思って」
「パオもか?」
心遣いに感謝しつつも、彼がそこに居ることが不思議で、アンバーは思わず問いかけていた。
パオは一歩アンバーに近付き、数秒見上げた後に淡々と述べた。
「生きて。もっと、話したい」
ディア以上に直球だと思ったアンバーが何か言う前に、彼は階段を駆け下りてしまう。
「何か言っておきたかったみたい。追いかける?」
「いや、いい。多分追いつけないし」
苦笑いしてみると、そうねと同意するサファイア。
「私も、ちゃんと帰ってきてねって言いたかっただけなんだけど」
「そっか。わざわざありがとな」
いつものように明るく返してくるアンバーに、サファイアは少しだけ表情を曇らせる。
こんな時でも彼はまだ自分を偽るのか。
「…今のパオみたいにね、自分で思っている以上に、あなたは人から好かれてるんだから」
「え?」
突然の言葉にどう答えて良いのやら、アンバーは口ごもる。
「勿論、私も好きよ。…だから」
もっと頼って欲しかった、その言葉は飲み込む。数秒の間をおいて、サファイアは続けた。
「みんな、待ってるから、ね」
今は笑顔でそう告げるだけ。

自室に挨拶に行くと、ジェミニゼルは未だ腑に落ちないといった様子だった。
不機嫌さを隠そうともしない、いつもは公の顔の筈の王を前に、アンバーは言う。
「出発前に挨拶に来た。未来の王妃様のことなら心配するなよ?」
「今私が心配しているのは…!」
すぐに言い返してきた王を宥めるかのように微笑む。王が苦い顔をしても、まだ。
「解ってるよ、ジェム。ありがとう」
やりきれない思いが募って、ジェミニゼルはアンバーから目を逸らした。
普段通り変わらなく振る舞う彼に、本当なら不安だと話して欲しくて。
「ルビーは必ず、城に戻れるようにするからさ」
「……では、“連れて帰って”来て欲しい」
「出来る限りそうする」
何かを覚悟したようにアンバーを真っ直ぐ見据え、王は言い直した。
「――――命令だ、必ず帰って来なさい」
それは、彼から聞く初めての“命令”で。
アンバーは形式的な礼をしながら、からかい調子で答えた。
「……仰せのままに、国王陛下」

会ってから行こうと探していたエメラルドは城内ではなく、城門前にとめてあったクロスの傍らに居た。
「何だ…こんな所にいたのか」
「主ならば、何も告げずに往くかもしれぬと思ったのでな」
「俺そこまで信用無いか?」
「そういう訳ではない」
笑顔を作るアンバーに、エメラルドは二つの石を手渡した。
一つは琥珀の首飾り。そしてもう一つは丸く削られた、蒼い石のピアスが片方。
「これ、俺がエラズルに貸してやったやつ…こっちはあいつのピアス、か?」
「長らく返しそびれてすまぬと言っておった。それからその石…瑠璃は魔除けの石、そこにあやつが魔術をかけて、魔術による攻撃を軽減するようにしてあるそうだ」
「でも、何でまた…」
「森に来た“人間”に“グリート”が驚き、魔術で攻撃してくるやもしれぬ。その時の為だ」
「ああ、そっか。ありがたく借りとく」
アンバーは首飾りをかけると服の下に入れ、耳に挟む作りになっているピアスを右耳につけた。
「ルビーの事は俺達に任せとけよ。何とかしてみせるから」
強気な笑顔と言葉。しかしその顔色が決して良くはないことは見て解る。
「…アンバー、我は主を往かせたくはないのだ」
告げてくるエメラルド。いつもの顰め顔だ、とアンバーは思う。
彼にそんな顔をさせているのは自分なのだろうか。解らない。
「何だよ今更…」
「恐れは、せぬのか?」
何を、とは言わない。言えなかった。
その絶対的な別れの言葉だけは。
「…………怖い、さ」
アンバーの唇が動いて、掠れるような声で言葉が紡がれた。
「…いつも、俺を取り残していく時間が、追いつけない速さで変わっていく世界が怖かった」
笑えなかった。口の端だけが微妙に上がる。
二日ごとの空白。一日だけしか居られなかった王国祭。
自分の居ない、自分の居るはずの世界が動いていく恐怖はいつも離れなかった。
「死んだら、もう、完全に置き去りにされるだろ」
翡翠色の目と、紅い目が互いを映す。
「……アンバー」
名前が呟かれると、彼は背を向けてハーキマーに跨った。
慣れた乗り心地。しっかりと手綱を握る。
大丈夫だ、行ける。
「じゃあ、行ってくる」
振り向かずに残す言葉。
「――――必ず戻ってくるがよい、アンバー!」
後ろからの強い一言に、走り出そうとした動きが一瞬止まる。
「…“王の近衛騎士”となり得る者は他にも多くあるだろう。だが、“ジェム王の近衛騎士”――我の相棒は、主だけだ」
そして、クロスは走り出した。
徐々に速度があがり、城から遠ざかる。
エメラルドの言葉は確かに届いた。
それでも、振り返ることはせずに、アンバーはハーキマーを駆った。