16・本音

今になってようやく自覚したこと。
また俺は怖くて仕方が無い、と。
気付かなかった訳じゃない。もう二度と気付きたくなかったんだ。
ただ一人、アイツが居てくれればいいと思った。
背中合わせで姿も見られずに、決して同じ場所は歩けずに。
声も聞こえなくて、それでも、言葉だけ交わして。
誰かの言葉から作り上げるアイツの虚像はどうしようもないぐらいに完璧で。
それに引け目を感じながら、でもそんなアイツが羨ましくて。
一人だけでも居てくれたからそれだけで良かった。
それだけで良かったのに。
もう、気が付いてしまった。
――――今更気付いてもどうしようもないけれど。


「――今日、出るの?」
しばらく遠出することになるかもしれない―そう聞いてはいたものの、まさか当日になって告げられるとは。
金の眼を心配そうに細めて、ファリア・ルドツークは騎士を見つめた。
「急に決まってしまったんだ。すまない」
前に会った時よりも顔色が悪いようなジェイドは、それすら隠そうかとしているかのように気丈に振る舞う。
その強さが哀しいのだ、と。
その一言を告げられずにファリアは苦笑いする。
「大変なお仕事にございますね」
“塔”に住むこととなったアクアマリンもまた、ジェイドの不調に気付いていた。
遠征の内容は解らない。しかし、今の彼女が行うというならば、その言葉が出てくる。
「体調、やっぱり優れないみたいだけど…まだ風邪が治っていないんじゃ…」
「…ああ、風邪は大丈夫。今日は少し、寝不足かな」
「まあ、お休みになられていないのですか?」
「昨日は色々と用事があったんだ」
おろおろと困ったような表情のアクアマリンの頭を撫でてやって、ジェイドは答えた。
正しくは、眠っていないのはアンバーのほうだ。
“替わる”直前の彼の行動はジェイドにも何となく解る。
アンバーが眠っていたならば彼女も眠っているし、泣いていたとするならばジェイドもまた涙を流している。
夜になって目を閉じたくない気持ちは同じだった。
「今日の昼頃の出発だから、色々と準備をしなければならないんだ。…行ってくる」
ジェイドは腰掛けていた椅子から立ち上がった。出口まで送ろうとした二人をやんわりと手で制す。
「……気をつけて行ってきてね、ジェイド」
“必ず帰ってきて”――その言葉をファリアは胸に押し込んだ。
別れを示唆するような不吉な響きは自分でも聞きたくなかった。
何かを、伝えたくて。
後ろ姿を呼び止めようとしても言葉は紡げなかった。

ジェイドはハーキマー小屋の扉を開いた。
“グリート”の森に行くのに乗っていくのはクロスだが、恐らくアンバーは手入れなどせずにそのまま乗って行こうとするのだろう。
気が回らないのは自分も同じ。だが、思いつけたのだからせめて、大きな労働の前に毛並みぐらいは整えてやろう、と。
「ロード?」
まさかそこに居るとは思わなかった同職の後ろ姿にジェイドは驚いた。
手には飼い葉用のフォークを持っており、何やら作業を終えた所のようだ。
また世話を替わってやったのだろう。マント姿にフォークという妙な光景も目に馴染んだ気がする。
ロードナイトは適当に地面にフォークを突き立てると振り向いた。
「…ロードは忙しいな」
「乗っていくハーキマーの様子を見に来たのか?」
「そんなところだ」
ジェイドはクロスの首筋に手をやり、撫でた。気性の荒いクロスだが、妙に大人しい。
毛並みが整えられて気分が良さそうなのは気のせいではないだろう。
「一応、全てのハーキマーの状態は確認した。体調は良好で問題無いはずだ」
「手入れもしてくれたのか?」
「…時間が余ったから、多少は」
誰かに頼まれて代わりに世話を引き受けたのではない。
彼はわざわざ、クロスの様子を見る為に仕事を替わったのだ。
それに気が付かないほどジェイドは愚かではない。
何処か居心地悪そうにするロードナイトの様子を見ても明らかだ。
不意に、彼は話を切り替えた。
「出発は昼頃だったか」
「そう。…行くのは、アンバーだと思う」
二人が“入れ替わる”頻度は高くなっていた。最近は一日のうちに数回“替わる“ことさえもある。
そのことに対して自分たちからは何も言わず、ジェイドもアンバーも普段通りに振る舞っていた。
「…どうした?言いたいことがありそうだ」
黙ったロードナイトに、ジェイドはいつものように尋ねる。
彼は小さく溜息をついてから呟いた。
「そんなに信用が無いのか」
「何のことだ?」
「お前達はそんなに……そうやって、不調でさえも隠す」
以前は覆面で覆われていた綺麗な顔は仏頂面。
眉を僅かに顰めて、告げた言葉。
「…これでも、心配しているんだ」
あまりに予想外な彼の言葉にジェイドは目を大きくしてしばたかせ、そして。
そして、声を出して笑った。
「――――……」
気恥ずかしさ故かロードナイトは目を逸らす。ジェイドは慌てて弁明した。
「違うよロード、馬鹿にしているんじゃない。……嬉しかったんだ」
嬉しかった。
自分だけではなくアンバーをも見ていたロードナイト。
気付かれるまでずっと真実を告げずにいたことを責めさえしなかった彼。
ああ、どうしてもっと、もっと、話をしなかったのだ、と。
どうしようもない後悔と、寂しさと、そして喜び。
「ありがとう、相棒」
言葉と心からの笑顔はどうしても、少し翳ってしまった、けれど。

アンバーに“替わった”。