14・共存-3

祭りが終わってもなお、城下町は賑やかな場所である。
人でごったがえすことは無くなったが、多いことに変わりはない。
ルビーの要望で近衛騎士二人は買い物に付き合っていた。
買い物という名目だったが、彼女は何も欲しがらない。
店を眺めては楽しそうに笑い、知らないものに出会うと不思議そうに見つめる。
やや遠出の散歩、といったところか。
広場のベンチに彼等は座った。
「大分歩いたな。並木道のほうも行ってみるか?」
「今時期が紅葉の見納めであろうな」
「行きたい!」
「んじゃ、少し休んでからだな」
その言葉が怪しまれなかったことに、アンバーは内心安堵する。
調子が悪い。正直なところ、長時間歩くのは少々苦しい。老化現象のように思えて空しかった。
“替わる”時間は狂い続けていたが、それでも24時間以上はあるようだった。
この一日は心配ない。だからこそ城下町まで同行した。
体の不調を悟られるのが嫌だった。気に病まれるのが不本意なのだ、何よりも。
「さて、紅葉見に行くか」
「うん!」
三人が腰を上げた時だった。
「――…騒がしいな」
人々が何事か騒ぐような声に混じって、悲鳴のようなものが聞こえる。
エメラルドが警戒して、声のするほうへ目をやった。
街の入り口方面から怯えた形相の人が走ってくる。
それも一人や二人ではない。ひたすらに、何かから逃げるように。
「おい、何があった!」
アンバーが一人の男を呼び止めた。近衛騎士の姿を見るや否や、彼は叫ぶ。
「――“グリート”が、街に!!」
泣きそうな程、ルビーが顔を強張らせた。
すぐに察してアンバーは彼女の手を握る。
「おい、この子を連れて城まで行ってくれないか?そしてエラズルかディア…王宮魔導士呼んできてくれ」
「は、か、構いませんが」
「ルビーも行く!」
手を離したアンバーを訴えるように見上げるルビー。
彼は断固として言った。
「駄目だ」
「――っ…」
「じゃあ、誰だか知らねえけど頼んだぞ」
アンバーとエメラルドは目を合わせ、頷きあってから駆けた。
「しかしアンバー、何故エラズルかディアを?」
エメラルドが走りながら手短に問いかける。
「…“グリート”だ、って勝手に殺す訳にはいかないだろ。捕獲してもらうんだよ!」
すぐにその姿が見えた。
それは巨大な黒い犬のように思えた。
人の頭ほどもある金の瞳が、こちらを見ていた。
そのまま武器になりそうな角、爪、牙。
その“グリート”に何があったのか解らない。ただ、あからさまな敵意を持っているのは確かだった。
“グリート”だということは魔術も使えるはずだ。
城下町の見張りをしていた兵が、中への侵入を拒もうと健闘していたが、押し切られるのも時間の問題だ。
「下がれ!」
兵士を襲った鋭い爪を、エメラルドが刀で受け止めた。
アンバーは携帯用の棒を瞬時に組み立て、エメラルドに気を取られている“グリート”のこめかみに一撃をくらわせる。
相手は声をあげてひるんだ。殺さない戦いならばオールよりもこの棒のほうが都合が良い。
多少の怪我を負っていた兵士は後ろに下がった。
エメラルドは爪を押し返し、アンバーと並んで黒い獣と対峙する。
“グリート”が首を振った。二人は角をかわしたが、それは木をなぎ倒して建物に傷を付ける。
アンバーは舌打ちした。殺せない以上、一刻も早く魔導士のどちらかを待つしかない。
相手が突進してこようとするのを、エメラルドが刀の峰で止める。
しかし“ヴェルファ”のエメラルドでも抑えきれない。すかさずアンバーは、急所を外して相手の喉元を鋭く突いた。
“グリート”はよろめくが、敵意は失わない。
その金の瞳が光ったように見えて、魔術が来るのだと直感した。
「ラルド、避けろ!!」
魔術師のように魔術をぶつけて相殺するような芸当は出来ない。かといってここで自分も避けてしまえば、魔術は城下町内部へ及ぶ。
咄嗟の判断で、アンバーは閉まっていた店の商品にかかっていた大きな布を掴んだ。
あつらえ向きに、飛んできたのは炎の塊。
勢い良く、風を起こすように、アンバーは布を振り上げて炎を受け止めた。
そのまま相手へと放り投げると、炎が相手自身に移る。
次に魔術が来たらもう、防ぐ手だては無い。
怒りで我を忘れた“グリート”が向かってくる――
「――“縛”!」
透き通る声に、相手が一瞬だけ怯んだ。
かつて“合成獣”にそうしたように、触手のようになった大地が“グリート”を絡め取る。
燃え移った炎が消え、魔術で構成された檻が相手を閉じこめる。
檻は“グリート”の魔力をも封じているのだろう。相手よりも強い魔力を持つが故の芸当。
「ナイスタイミング」
アンバーは安堵の溜息をつきながら、魔術の獣に乗ってきたエラズルを見やった。
一緒に来たらしいルビーが走ってくる。
「アンバー、ラルド、大丈夫!?怪我ない?」
「ないない。大丈夫、元気」
アンバーはルビーを抱き上げてやった。心配そうだった彼女はようやく笑う。
「流石だな、エラズル」
「これくらいは当然ですよ。…それより、無事で何よりです。街への被害も最小限のようですし」
「うむ。…して、こやつはどうするのだ」
エメラルドは檻の中から様子を窺ってくる“グリート”に目をやる。
「そうですね、ここから出さずに一度城で保護して…陛下に、“グリート”の長と連絡を取って頂きましょう。それからになるでしょうね」
「何言ってんだ、殺さないのか!?」
遠巻きだった人々の中から、突如一人の青年が大声をあげた。
周囲がたしなめるが、彼の怒りはおさまらない。
「どうして王都を襲った魔物を殺さない?殺せ!」
ざわめきが起こり始めた。
怯えて見ていた者の多くが、彼に賛同する。
四方八方からの残酷な言葉や誓願の言葉。
震えるルビーを、アンバーが抱きしめた。
“人間”を愛し、共に生きることを望む“グリート”の少女がここに居ることを誰も知らない。
多くを知らない者が勝手な要求を並べ立てる。
「――――戯けめが!」
堪えきれなくなったアンバーが黙らせようと叫ぶ前に、エメラルドが怒鳴った。
もちろんのこと辺りは一瞬で静まった。魔術で雨を降らせて鎮めようとしていたエラズルも面食らう。
「“グリート”と和平を結んだことを忘れたか!主等はかつてのように、また争いを望んでおるのか!?」
それは初めて見る、“怒った“エメラルドだった。
「城下町を襲った…それは事実である。しかし“人間”が法を犯さぬと言えようか?……言えぬであろう!?和平を結び、殺してはならぬという法を破って“グリート”を狩る“人間”も居るであろうが!!」
確固たる証拠は無い。
だがしかし、今回の騒動もそれが原因で起きたという可能性が非常に高い。
肉親を殺された“人間”が相手に恨みをぶつけるように、“グリート”がそうすることに何らおかしなことは無いのだ。
最早、誰も何も言えなかった。
「…“グリート”には“グリート”の法があろう。そちらに全て任せれば良い。捕らえることの出来ぬ者なら致し方あるまいが、こうして捕らえた者を殺せという。“人間”がそれほど優っておるとでも思うのか?…浅ましき誤算よ」
「この“グリート”への対処に異議の申し立てがある方は、後ほど城の方へ直接いらして下さい。話は伺いましょう」
エラズルの淡々とした言葉は駄目押しだった。
口元は微笑んでいるが、金の双眸は冷たい光を湛えている。
エラズルが何か唱えると、乗ってきた魔術の獣が大きくなり、“グリート”の檻を乗せる。
彼等が歩き始めると、すっと道が開いた。
獣のように鋭い今のエメラルドの紅い瞳を直視出来る者はその場に居なかった。
アンバーは、ルビーが周りを見なくてもいいように抱き上げて歩いた。
彼女は泣いていた。どうしようもなかった。
騒ぎの発端となった青年の前を通り過ぎる。
怒鳴りたい気持ちも、殴りかかりたい衝動もあった。だが彼は耐えた。
目を逸らし、無言で通り過ぎる。
エメラルドも、エラズルも静かだった。
またひとつ知って、遠ざかったように感じられる“共存”。
何から考えれば良いのか、もう解らなかった。
「…ルビー、せっかくの買い物台無しになっちゃったな」
アンバーが申し訳なさそうに囁くと、彼女は首を横に振る。
「……楽しかったよ」
「…無理すんなって」
「楽しかったの」
「……そっか」
アンバーは彼女を支えながら頭を撫でる。
ありがとう、と彼女が囁いたのが解った。
城が見えた。
ジェミニゼル、そしてサファイア、ロードナイト、パオ、ディア、ユナ、ムーン、ブラッド、アクアマリン。
彼等は皆、城門の前に立って待っていた。

――その夜、ルビー・ラングデルドが姿を消した。

14・共存 End
2005.03.31