14・共存-2

繋いだ手の暖かさ、愛しさ。
――何から無くなっていくのだろう?
「なあ、ルビー」
ハーキマーの小屋が見えた辺りでアンバーは歩みを止めた。自然とルビーも立ち止まる。
「なに?」
「……お前、ここから居なくなるのか?」
楽しそうだった彼女の表情が一瞬で凍り付いた。
アンバーは答えを待って見つめる。
ルビーはなかなか答えない。機転の利いた誤魔化しの言葉でも探しているのだろうか。
見つかったにしろ、大した効果は無い。言葉に詰まったことは寧ろ肯定。
「俺は、お前が“グリート”だって知ってる。ジェムに聞いた。もうすぐ、一年経つだろ?ジェムがラングディミルと和平を結んだのは俺みたいな新しい家来が来る前…冬の始めだって聞いてる。その時、ジェムの婚約者の“ルビー”が戻るとき、お前はどうなるんだ?」
ルビーが手を握ってくる力が強くなったのを感じる。
「……ルビー、アンバーと一緒がいい」
聞こえないような小声だったが、すぐ傍にいるアンバーには届く。
アンバーは彼女の目の高さになるように、かがむ。
「…じゃあ、ルビー、アンバーのペットになる!空とか飛べるよっ!」
「おいおいおい、何言ってんだよ」
「ペットでいいから、ルビーここに居ていい?」
「ルビー…」
アンバーが頭を撫でると、堪えきれなくなったのか彼女は涙を流した。
「やだぁ…ルビーここがいいのっ……!“グリート”だけど、ここに居たいの…!!」
「泣くなって。お前を帰したいから言ってるんじゃないから、な」
ルビーは泣き続ける。繋がったままの手を離さないのは彼女の精一杯のわがままだった。
“人間”と“グリート”の心に違いがあろうか。
今そこで涙を流しているのは“ルビー”、ただそれだけ。
「お前がここに居られるように、俺がお前の“父様”に頼んでやるよ」
「…ほ、んと?」
「でも俺はペットは要らないからな」
「……ぶー」
「ほら、泣き止め?これじゃ俺が泣かしたみたいだろ。誰かに――」
その時、ディア・ドールが音もなく現れたのは偶然だったろうか。
「……!」
「やあ」
作為があるとしか思えない笑みで彼は言った。
何かを勘繰っている類ではない。彼の“笑い”という動作そのものが作り物のような。
「どうも。また散策か?」
「いや。庭はおよそ把握してしまったからその必要は無いね。言うなれば、散歩かな」
「暇ならエラズルの研究でも手伝ってやればいいだろ。結構疲れてそうだったし」
「請われたならそうするが、“可愛い”エラズルは私が嫌いなようだから、自分から申し出ても嫌な顔をされるだけだろうね」
「ディア嫌われたの?」
「そのようだね。私は彼を気に入っているのだけれど」
「ルビーはディアのこと好きだよっ」
「解ったから。ちょっと黙ってろなルビー」
機嫌が直ったらしく、もう微笑んでいるルビーを背後に押しやる。
「――いや、ラルドの所に戻っててくれないか?俺はちょっとディアと話があるから」
「…ないしょの話?」
「いや、違うけど、長くなったらルビーが暇だろ?」
「わかった、ちゃんと戻ってきてね!」
アンバーが首を縦に振ったのを確認して、ルビーは走っていった。
「私に話がある、と?」
「ああ。……さっきの話、聞いてたか?」
「“グリート”のことかい?私はもともと気付いていたよ」
「そんなことしないと思うけど一応…誰にも、言うな」
「何故?」
「なん、でって…」
「隠せ、というその態度からは“グリート”に対する優越しか感じられないよ」
「―――違、ッ!」
反論しようとしたが、言葉が続かなかった。
見下しや優越ではない。決してそうではないのだが。
“グリート”が受け入れられないと思うのは、やはり偏見なのだろうか。
「解っているよ。…少々意地の悪い言い方をしてしまった。“人間”の種族同士は理解しあってきたようでも、“グリート”とはまだ遠いのは解りきったことだからね」
「…そう思う。でも、ルビーと居て解った…中身なんて何も変わらないんだ」
「ああ、“エルフ”の私にしてみれば“人間”も“グリート”も同じだよ」
アンバーは、目の前の相手もまた“人間”ではないことを唐突に自覚する。
姿形は“リスティ”に似ている。“エルフ”だと知っている者は城内にどれだけ居るのか。
「…しかし、彼女の父に頼む、とはまた大それたことを言ったね。今の状態で大丈夫なのか……実現の目処がたたないことをむやみに言って、あまり期待させるものでもないよ」
「何言いたいんだか解らねえよ」
アンバーは、王宮魔導士の二人組みを心中“嫌味コンビ”と名付けた。
ルビーが“グリート”ということに気づけるのなら、自分が“ヒュースト”ではないことや体の異変にも勘づいているだろう。
「“グリート”の森に行けない程弱っちゃいないって」
「それは君次第だろうけど…ああ、彼女の父が誰なのか知らないのかい?」
「知らねえ。ジェムも誰だか聞かされてないらしいし」
「…そうか、あの方もなかなか意地の悪いことをなさる」
ディアが敬語を使ったことにふと違和感を覚える。
ジェミニゼルにすら敬語を使わない、100歳を越えるという“エルフ”が敬う相手。
「…誰なんだよ」
尋ねる、と同時に該当する者の名前が頭をよぎった。
答えを聞く前に体温が冷める。
「おや、ようやく気付いたかい?」
「いや、その…まさかとは思ったり」
「“森の守護竜”ラングディミル――“グリート”の長様だ。彼女は“グリート”のお姫様ということになるね」
「……」
「驚いているようだけど、嘘ではないよ」
「解ってる」
アンバーは深く溜息をついてその場に腰を下ろした。
あまりに意外ではあったが、納得もしていた。
冷静に考えると、ペットなどと先程はとても光栄な申し出をされたらしい。
ディアはまだそこに立ったままで、アンバーはまだ少し混乱している頭を落ち着けようと話しかけた。
「もう散歩はいいのか?」
「そろそろ戻る所だったからね」
名前の通り本当に人形なのではないかと疑いたくなる程、整った顔。
親しげな口調はこれもわざとらしく作ったようで、それに不釣り合いな無表情。
「……お前、表情無いよな」
「ああ、そうだね」
「何考えてるんだか全然解らない。“エルフ”ってみんなそうなのか?」
「…いや、私だけだろうね」
「何でだよ」
「私の胸にある赤十字…これは、何だと思う?」
ディアの黒いコートから僅かにのぞく紅い逆十字に目をやる。
「刺青、とかじゃなかったのか?」
「これは私に魔術がかかっている証だよ。呪いの刻印の類だと思ってくれればいい」
「いきなり仰々しい話になったな」
アンバーは疑わしそうに半眼になる。
「私が“人間”や“グリート”と暮らす為に住んでいた場所を出る時、親が私を思ってかけてくれた魔術だ。一般に、他の生き物は私達より短命だからね」
「それが何だっていうんだ?」
「“哀しい”と感じなければ死という別れに涙を流すことも無いだろう。限りある“人間”と時を過ごすのに、“感情”は邪魔だと思ったんだろうね。それを封じる魔術だ」
「…それじゃあ、意味無くないか?」
ディアは“笑って”見せた。
「100年以上経っているから、大分魔術も薄れてきているようで…近頃は色々と感じることがある――ただ、表情には出てこないね。その感じるものが何なのかは解らない。“笑う”という動作は簡単だから、何とかしているけど」
「どうりで」
「確かに色々な死を見て、“哀しい”とは思わずに済んだよ。…ただ、今となってみるとどちらが良いのか解らないな」
「呪い、って言葉、あながち間違いじゃないな」
何も感じなければ、ただ見ているだけ、そこに在るだけ。
他者と関わろうとした最初の思いは何処へ行ってしまうのか。
――それでも、“感情”の無いはずの彼はジェミニゼルのもとへ来ることを選んだ。
「この赤十字はそういうものだけど、今はジェミニゼルへの忠誠心を示しているようで気に入ってはいるよ」
「…何で、ジェムに仕えようと思ったんだ?」
「さあ。……初めて会った時に興味を引かれたのは確かだね」
「興味、か」
アンバーは立ち上がった。コートの土を払う。
「ジェムも大変だな。“グリート”や感情の無い“エルフ”と共存か」
「無い、という訳ではないのだがね」
「ま、頑張って解く努力でもしてみろよ」
「君は自分の心配をしたほうがいいと思うよ、“イルゼム”のアンバー」
アンバーは肩をすくめた。適当に返事する。
目指すもの――“共存”の難しさは、ひとつ事態を知るごとに痛感する。
ただ確かに、その心配だけをしている余裕は彼には無かった。