14・共存

王国祭という嵐のような日々が過ぎて、城はまた落ち着きを取り戻した。
かえって、以前より静かになったと言えるかもしれない。
何事か起こったということはなかったが、城に住む者の間にどこかぎこちない空気が流れている。
それは位ある者から始まって、全体に広がったかのようだった。

幼い彼女が何を感じ取ったのか。
アンバーが城に居る時には、彼女はその傍を離れようとはしなかった。
「ルビー、何して遊ぶ?またかくれんぼでもするか?」
「やんない」
迷う間も無く答えて、彼女は庭の噴水のほとりに座るアンバーの腕にしがみつく。
「じゃあ図書室で本でも読むか?」
「読まない。ここでのんびりしよっ!」
「のんびり、つってもな…」
アンバーは苦笑いした。
傍らに立つエメラルドは、表情には出さずに複雑な思いを抱えていた。
出会ってすぐの頃と変わらずに微笑んで見せるアンバー。
彼が居る、ルビーが居る、そして自分自身が居る――何も変わっていない光景の、何がおかしいのか。
自問して気づく。
変わっていないからこそ、それが消えて無くなる瞬間が怖いのだ、と。
「ラルド、座んないのか?」
のんびりすることに決めたらしいアンバーが声をかけた。
その横に、腰を下ろす。
「大分寒くなってきたな」
「うむ、秋も終わるということだ」
まだ紅葉は木を彩っている。だが気候から判断すると、散り始める日は遠くなさそうだ。
噴水のある位置からは城の入り口が良く見え、そこから人が出てきたのにいち早くルビーが気づいた。
「エラズルー!」
名を呼びながら大仰に手を振る彼女に気づきながら、素通りすることなど出来ないだろう。
エラズルは彼等の方へ歩いてきた。
「何をなさっていたんですか?」
「のんびりー」
ルビーの答えに一瞬怪訝そうにするが、つまりは何もしていないということが解ったらしい。
「のんびり、ですか。たまにはいいですね」
「エラズルは?」
「…僕も息抜きです。研究が思うように捗らないものですから気分転換に」
「研究って、今何やってんだ?」
アンバーが尋ねた。
“博士”の称号を持つエラズルの研究とはいかなるものか、何となく興味が湧く。
「僕の専攻は生物学ですから、その関係で…何、と説明してあなたに解りますか?」
「いや、絶対解らない」
「でしょうね」
彼の嫌味にむっとしつつ――言い返しようは無いのだが――アンバーは少々疑問を覚えた。
生物学の実験によって生み出された自分に嫌悪感を持っていたような彼が、何故その生物学に携わるのか。
確かに、エラズルは生物学に最も近い場所に居るとは言えるが。
問うことでもないだろう、とアンバーはそれ以上は言わなかった。
「…あ、俺ちょっとクロスの様子見てくる」
「ああ、お主のハーキマーか」
「いくら世話係が面倒見てくれるっても最近ほったらかしすぎだったからな」
「管理がなっていませんね」
蹴られることを想定して溜息をつきながら、アンバーは立ち上がる。
「ルビーも行くっ!」
すぐに彼女は足にしがみついてきた。
「解った解った。離れないと歩けないだろ」
「仲が良いですね」
それは皮肉ではなく、エラズルは微笑む。
「羨ましいだろ」
軽く言って彼はハーキマー小屋のほうへ歩き始めた。
エラズルがエメラルドの横に座る。
「あなたは行かなくていいんですか?」
「…じきに戻ってくるであろう。むしろ、アンバーの方がルビーに用があったようであるから」
「確かに、そんな気もしましたが」
離れていく二人は楽しく話しているように見えた。
その姿が凄く遠いもののように思えて、エメラルドは一瞬表情を暗くする。
それを振りきるように、横のエラズルに話しかけた。
「…しかし、主も多忙であるな。王国祭の次は研究か」
「勝手な研究です。そうでなければこうやって休憩などしませんよ」
「そう言われてみれば、主は最近よく外へ出てきておるな」
「…ああ、そうですね」
「かつては“図書館の住人”と呼ばれておったが」
「本望ですよ」
自嘲気味に、エラズルは笑う。
しかしそれは以前のように排他的では決してない、感情が顕わな顔。
「…エラ」
「エメラルド、少々下らない愚痴を聞いて頂けませんか?」
呼びかけを遮る程強く、唐突にエラズルはエメラルドを見た。
「うむ、話すがよい」
エラズルは一呼吸おいて、ゆっくり口を開く。
「――…今、“人の体”が作れないものかと色々調べているんですが…どの方法でも不可能なことのように思えるんです。全く同じ人間の体を早急に作る方法は、今の生物学では……」
「…しばし待て。主の研究とは、よもやあやつの…」
「ええ。何か出来ることはないものか、と。万一彼が知ったら激怒するかもしれませんが……もう、時間は決して多くはなさそうですから」
否定は出来なかった。重々しくエメラルドは頷く。
その確かさは何より、妙に明るく見せるアンバーの態度が物語っているような気がした。
「しかし、何故主が…」
自分自身も何かしたいのはやまやまだった。だが、何が出来るだろう――何も出来ないのだ。
エラズルに対して失礼な解釈かもしれないが、彼が他の人間の為に――姉のファリアならまだ解るが――動くということが不思議に感じられた。
「…最近になって気づいたことがあるんです」
「うん?」
「“道具”の僕にとって時間というものは無意味で、まあ実験体ですから残りがどれだけあるのかも解らない寿命を全うするだけのそれは正直気が遠くなる思いでした。“道具”に目的などなく、とりあえず辺りにあった本を読みあさって…それがあって今の僕の地位があるわけなんですが、とにかく一日という単位がとても長かったんです」
「道具、などと…」
エラズルは首を横に振った。
「今は、全く逆なんです。時間は慌ただしく過ぎて……何日本を開かなかったのか解らなくなることもあるんです。それは…彼と話をするようになってからでした」
「……」
「時間が無い、というのは少し変な気分で…楽しいと感じると同時に苦しさもそこにあって。…でも、僕は昔のほうが良いとは思いません。……理由なんて、それだけです」
――彼に、この場所に居てほしい。
その単純な願いはエメラルドも同じだった。
「元々実験体である自分に何が起こるか解らなかったものですから、対応できるようにと専攻した生物学…役に立てばいいと思ったんですが、僕にはもう、何をしていいか解らないんです。……どうしたらいいんでしょうね?」
それは自分自身への問いかけにしか聞こえなかった。
何かしたい、何も出来ない。相反する思いは恐らくエラズルだけではない。
エラズルは細い手を噴水の中に差し入れた。
晩秋の水は、冷たい。
「……のう、エラズル。主は“1足す1は”と問われたら何と答える?」
唐突な、あまりに子供じみた問いは彼を不快にさせたようだ。水面を見たまま答える。
「“2”に決まっているでしょう」
「我もかつて、“1に1を加える”という数学だと思うてそのように答えた。しかし我にそれを問うた者は“数学とは言っていない”と告げたのだ。言葉通りに数式を書いていくと、“田”という漢字になる謎掛けは知っておろう」
エメラルドは至って真顔だった。
「子供のこじつけな解釈にしか思えませんが」
「うむ、我もそう思う。だが、それもまた答え――“1足す1は”という問いに対する、全く観点の異なる答えである」
エラズルは顔を上げた。彼の言わんとしたことがようやく理解出来たのだ。
「“数学”と“謎掛け”。ひとつの物事に対する解決策は必ずしもひとつではないということだ」
「……」
目を大きく開いて、彼はエメラルドを見ていた。
「…あまり考えすぎず、離れてみるのも手ではなかろうか……と言いたかったのだが、長くなってしまった。我が“博士”の主に教えられることなどそうはあるまいよ」
「いえ、“博士”の称号など上辺の知識の評価です。実際僕は、18年しか生きていないただの“人間”に過ぎません」
「――――エラズル」
「ありがとうございます、エメラルド」
エラズルは立ち上がった。
脳の大半はその時既に新たな思索にまわっていた。
上の空な表情は何処か希望を含んですらいる。
「今、他の方法が思いつきました」