13・王国祭-2

広場には見あたらなかった。

ようやく見つけた彼は、催しが行われている人の多い広場ではなく、少し外れた辺りに居た。
住宅地へ続く並木道で、座って休んでいる人が僅かに見受けられるだけだった。
アンバーは、手すりにもたれていた。
すぐに近付こうと思ったエメラルドは、ふと足を止める。
誰と居るでもない、何をするでもない、無表情のアンバー・ラルジァリィ。
何故そんなにも、すぐにどこかへ消えてしまいそうに遠くを見るのか。
秋風が、彼の髪を撫でる。
柔らかな琥珀色の髪が風に舞って。
「――アンバー」
エメラルドは呼びかけた。
声をかけてはいけないような気がした。しかし、声をかけなければいけないような気もした。
そうしたら彼は、この場所に戻ってくる。
――“人と話す顔”に戻る。
「ラルドか…何してんだ?」
予想した通りに、軽く笑ってアンバーが振り向いた。
「何事も無い。手空きなので、城下を見に来ただけである」
エメラルドは彼の傍らに立つ。
「お前も暇人か。それにしても、こんなに人が多いとは思わなかったな」
告げるアンバーの笑い顔を、エメラルドは何気なく眺めた。
「それだけ国が平和になったということだ。平和にしよう、と意図的なものかもしれぬが」
「ま、どのみちいいことには変わらないか」
「そうであるな。…ところでアンバー、主は何故このような所に居る?」
「あ?」
「城下へ赴いたのなら、広場辺りで騒いでおるかと思うたが」
彼はむっとして反論してくると思っていた。だが。
「俺だってあんな所に居たら人並みに人酔いくらいするって」
返ってきたのは淡泊な反応。
いつもと同じ筈の彼。だが、同じになりきれていないとエメラルドは感じた。
どこか、笑いきれてないとでもいうのか。
「…それよりもお前、さっきから俺の顔見てないか?」
黙っていたエメラルドに、アンバーは怪訝そうに言う。
「……むう」
指摘されて、エメラルドは肯定するしかなかった。見ていたのは無意識だったのだが。
「何か知らねえけど、さっきパオも同じようなこと…何かあんのか?」
「言って良いのか?」
すぐさま言い返す。アンバーは眉をひそめた。
「浮かぬ顔…とは言わぬが、祭りを楽しんでいるようには見えぬからだ」
「…俺が?」
心外そうに言ったアンバーだが、否定はしない。
自嘲気味な苦笑はむしろ、肯定。
「何事かあったのか?」
「まあ、あまり乗り気じゃねえってのは確かだ。…何をしても面白くない時ぐらいあるだろ」
「やはり、体調が芳しくないのか?」
「いや、別に?」
アンバーは歩きつつ肩をすくめる。
エメラルドに背を向け、避難混じりの言葉。
「…忘れろって言ったはずだけどな」
「気にかかるのだから仕方あるまい」
「………」
さも当然のように言ってくるエメラルドを咎める気にはなれなかった。
嫌味や非難の類に疎いのか。種族特有なのか彼の性格なのか、それは長所でもあり、また短所でもあるような気がした。
「…最近、体が入れ替わる時間が正確じゃないってだけの話なんだけどよ」
「やはりそうだったか……本当にそれだけか?」
「……ああ。でも、明日がジェイドってのは変わらないと思う」
「一日ずつ、か。丁度良い日程だったな」
「まあな」
体に関わる話をしようとするとアンバーが不機嫌になるようなことは気づいていた。
しかし今、少しこうやって話してくれることをエメラルドは嬉しく思った。
かつてのエラズルの言葉を思い出すと、決して悠長な事態ではない。
だからといって、今騒ぎ立てるのを愚かと呼ばずして何になるか。
これ以上の追求や質問は彼の表情を曇らせていくだけに違いない。
「なあラルド、お前暇なんだよな?」
「うん?仕事はあらぬが」
「じゃあ、“歌姫”のイベント見てかないか?もう少ししたら始まるはずだし」
「良かろう。我も暇があれば立ち寄ろうと思っておったのでな」
「じゃ、広場のほうに行っとくか」
アンバーは先に歩き始めた。エメラルドが追う。
「…のう、アンバー」
「何だよ」
呼びかけておきながら、エメラルドは言葉を濁した。
「…………すまぬ、用事を忘れてしまった」
「ベタなボケだな」
辛口な批評だったがそれはどうでもいい。問うのをやめた。
『城の者との作業すらも楽しいとは思わなかったのか』
それは愚問だったし、問うべきことでもなかった。

特別な催しの際にしか一般に歌を聴かせることがないという“歌姫”の声を聴こうと、もしくはその姿を一目見ようと、広場には人が詰めかけていた。
“歌姫”の姿を知らないのは城に仕えるアンバーとエメラルドも同じだった。
城内にそれらしい人が居たような記憶は二人とも無かった。
しいて挙げるならば塔のファリアがそのように見えるが、彼女が城下町に出て来られる筈がないのは解っていた。
人を押し退けたという訳ではないが、アンバーとエメラルドはほぼ最前列にいた。道を開けてくれたらしい。
しばし後、城の方から何かが歩いてくる姿を誰かが見つけてざわめきが止まった。
“歌姫”は“狼”に乗って来た。
その“狼”が先日城の庭で見たものだと思ったのはアンバーで、それが同僚の“リスティ”、ロードナイトの本性の姿だと気づいたのはエメラルドくらいであったろう。
薄紫のドレスを身に纏った“歌姫”の緩く波打つ髪はマロンブラウン。
「あ、れ…?」
アンバーは思わず呟く。
彼女は良く見知っているが、衣装ひとつでここまで雰囲気が変わるものだろうか。
いつも明朗快活な気質が魅力的な彼女は、今は淑やかに美しい女性のように見えた。
「……ユナだ」
――――天性の歌声か。
彼女が歌い終えるまで、何か言葉を口にする者は誰一人として居なかった。
誰もが、その歌声に聞き惚れていた。

「びっくりしたよ本当…」
数曲歌い終えた彼女について城に戻るなりアンバーが言った。
エメラルドもその言葉に頷く。
「何で“歌姫”がまた、厨房の仕事なんてしてるんだ?」
「私、昔から歌が得意で…陛下がこの称号を下さったんですけど、パティシエになる夢も捨てられないんです」
そう晴れ晴れした表情で、笑ってユナは答えた。
衣装などの管理をしていたらしいアクアマリンに歌っている最中の緊張の話をしたり、イベントを見た帰りに少し城下を歩いてきたらしいエラズルが戻ってきて誉めると赤面したり。
その姿は、いつも見ている厨房のユナ・カイトだった。
「あ、そうだ、お兄ちゃん乗せてくれてありがとう!」
ふと、傍らの“狼”にユナが告げたのを聞いて、アンバーが引きつり笑いしつつ青ざめたのは余談。
理由を知っているのは当人達だけだったろう。