12・四人の騎士-2

着地に失敗するなどとは思っていなかったが、アンバーは少しよろけた。
誰もその辺りには居なかった。乾いた笑いがもれる。
体調が万全ではないようだ。何をした訳でもないのに疲労感がある。
とりあえず、広い庭が人間一人を隠すのは造作もないことだ。
アンバーは歩き始めた。
着ていた服は女物という訳でもなく、丁度良い大きさで、彼女に心中礼を述べる。
ふと、目の端に、上下に動く毛皮が映った。
無視できずにアンバーは足音を立てずに近付く。
妙に気になって仕方ないそれは、獣の尾だった。
耳の垂れた長毛の、四肢の獣。中型で、ひとりぐらいなら乗せて走れるだろう。
落ち着きはらった様子で、城に慣れているように感じられた。
アンバーはそのまま歩み寄って、獣に後ろから抱きついた。
「お、ふかふか」
獣は度肝を抜かれたようで――うたた寝でもしていたのだろうか――走り出そうとするが、アンバーに抑えられる。
「逃げんなって。ルビーの友達だろ?何もしないから」
彼が頭をわしゃわしゃと撫でるのを、獣は頭を振って払った。
睨もうとして首を後ろへ向け、低く唸る。
「怒るな怒るな。…綺麗だなー、お前」
全く動じていないアンバーが背中でくつろぎ始めるのを、獣は嫌そうな目をして感じていた。
「たれみみ」
おもむろに耳を掴まれて、また頭を振る。
爪で威嚇でもしようとしたのか、獣は前肢の一本を動かして――――止める。
「何だよ、やめとくのか?」
言った彼は決して笑ってはいなかった。
どこか虚無的な表情。どんな言葉も受け付けないような排他の雰囲気。
獣に寄りかかり、毛皮を弄ぶ。
獣は動かなかった。アンバーは手を止める。
「……楽しくない」
言っていることを理解したのか、獣は不服そうな顔を向けてきた。
「………言えるかっての、なあ?」
溜息混じりの呟きの意味は、獣には解らなかっただろう。
アンバーは獣の額の、宝石のような半透明の物質に触れた。それは過去、角であったに違いなかった。
「これ酷いな……誰かに折られたのか?」
勿論、獣は答えない。その視線が、木から着地した者へと向けられた。
長身を覆う黒服。やや開いた胸元に十字架を刻んだ“エルフ”。
「――っと、“魔王”?」
瞬間、アンバーに表情が戻った。
「その呼び名の理由が解らないよ。私にはディア・ドールという名があるのだがね」
ディアが振り向く。
どうも苦手なその相手を、アンバーは眉をしかめて鬱陶しそうに見た。
「何してんだよ」
「それを問いたいのはこちらも同じだが、まあ、答えよう。“可愛い”エラズルに図書室を追い出されてしまったものだから、色々と見てまわっていたところだよ」
「んな形容詞つけて呼んだら誰でも追い出されるって」
「何故かな?“人間”ではない私から見ると、君もジェミニゼルも“可愛い”と言えるのだが…。私は、“人間”の感覚で見る私の年齢よりもずっと長く生きているからね」
アンバーは、自分に向けて欲しくもない形容詞を気味悪く思いながら尋ねる。
「あんた一体いくつだよ」
「どうだったかな…?100年を越えた頃から、数えることをしなくなったから」
「へぇ」
半信半疑で適当に返し、彼はまた獣の毛皮をいじった。
「狼と仲がよいのかな?」
「…狼?こいつが?」
獣は、ディアの目を見ようとはしなかった。気にもとめず、アンバーは獣の耳をつまむ。
「狼の耳ってこんなタレ耳じゃないだろ」
「それは普通の狼ではないからね」
「ああ、“グリート”だもんな」
耳を解放して、彼は立ち上がった。ディアが尋ねる。
「では、君は何をしていたのかな?」
「散歩だよ」
言い残してアンバーが去っていくのを、ディアは止めなかった。獣の傍らに腰を下ろす。
「“晶角狼”…角が折れているのは残念だが、“美しい”ね」
獣は強く唸り声をあげた。ディアは怯まない。
「“グリート”ではないと彼は最後まで気づかなかったね。“リスティ”のロードナイト。朝方、君が急ぎの使いでその姿で出ていくのを見たよ。戻って、休憩でもしていたのかな」
狼は無駄だと悟ったのか威嚇をやめる。ディアが口元だけで笑った。
無感情な、仕草だけの微笑み。
それは彼の名の通り人形のようであったが、それ故に美しくもあった。
「……どうやら、彼には何かあったようだね」
”晶角狼”の姿のロードナイトは黙っていた。その姿のままでは話すことが出来ないというのもあったが。
ジェイドの服を纏った、今日ここに居る筈の無い彼を追いかけたい気持ちは強かったが、すぐにそうするのが憚られるような雰囲気を感じて、彼は留まっていた。

仰ぎ見た空に、何かが消えていく。
舞い落ちて来たのは羽根った。
それならば、今空の彼方に飛んで行ったのは鳥なのだろう。
「あー、アンバーだ!」
彼にとっては聞き慣れた明るい声がして、ルビーが走ってきた。
アンバーは逃げの体制を取りかかったが、姿を見つけられてからでは意味が無いのでやめた。
足に抱きついてきた彼女を見下ろす。
「こんな所で、一人で何してたんだ?」
「今日は塔で遊んでたんだけどね、父様に手紙書いたからチェルに届けてもらったの」
良くルビーと一緒に居る、一角獣と翼が4枚ある鳥の“グリート”。
チェルというのはその鳥型のほうだと納得する。
ルビーは不思議そうな顔でアンバーの姿を眺めた。
「ジェイドも同じ服着てたねっ」
「…ああ、これおそろいなんだ」
「ルビーもおそろいがいいな…」
彼女はその服を羨ましそうに見つめたが、どうやってもサイズが合わないようなのを見て取って諦めたらしかった。
「ねえ、アンバー遊ぼ!」
「あー、悪い。今日はこれから仕事があるんだ。明日なら遊んでやるよ」
「じゃあ、明日ね!約束!」
途端に笑顔になった彼女につられて、アンバーも微笑む。
ルビーを迎えるかのように一角獣――トーティムがやってきて、彼女のスカートの裾を引いた。
「あ、ルビーもう塔に戻るね。アンバー、お仕事がんばってね!」
彼女は来たときと同じように走っていって、すぐに姿が見えなくなった。
アンバーは、庭の端へと歩みを進める。
どうやら中途半端な場所に居ては、誰それとは出会ってしまうようだから。