12・四人の騎士

新しい王が即位してから、一年はとうに半ばを過ぎていた。
国に変化があった。
“反逆者”シャルトーの台頭から、諸侯の相互監視が強まったこと。
海を越えた隣国ロゴートとの交友が深まったこと。
城にも変化があった。
胸に赤十字を抱く“エルフ”が加わったこと。
種族への偏見が薄れつつあること。
細かく挙げると――謎の多かった異国の隠密者が前よりも目撃されるようになったこと、白亜塔の天使がよく塔の入り口付近まで出てきていること、“リスティ”の騎士が素顔を見せたことや王宮魔導士が他者と会話している姿が見られるようになったこと。
そして――――


彼女が最近、体よりも大きめな服を着ているようなのには何となく気づいていた。
その理由を考えることもなかったし、考えたところで解るはずがないと思っていた。
前触れ無く彼女が膝をついて、蹲るまでは。
「……ジェイド?」
それは昼頃の食堂で、そこに人が最も出入りする時間に違いなかった。
直前まで話をしていた相手の異変を案じたエメラルドは、彼女の髪色が一瞬かわって見えたことで顔色を変えた。
周囲が騒ぎ始めるまでそう時間はかからなかった。
一部で“プリンス”と呼ばれる彼女に憧れ、好意を抱くものは決して少なくはないのだから。
「――――具合が悪いのなら早く言えばよかろう!」
それは作為的な大声に聞こえた。
彼がジェイドを抱き上げて出ていく間、誰もが静かに見守っていた。
暫くして、ざわめきが再び起こり始める。
「……ね、ねねねね姉、今の見たか?」
ブラッド・ストーンはうっかり取り落としていたスプーンを拾った。
「も、もももも勿論…」
ムーン・ストーンはうっかりこぼしたカップの紅茶を拭き取る。
「……ロマンス?」
混乱しているらしいユナ・カイトはまだ二人が去っていった出入り口を見ている。
ブラッドが何やら手帳に書き込んでいるのは無視しておいて。
「ワンコとプリンスかぁ…お似合いなのか大穴なのか…」
呟いたムーンは、スクープを見たというよりかは呆気にとられた気持ちが大きいようだった。
「今みたいな姫抱っこって憧れだよね…でも、ジェイド様大丈夫かな?」
「何や本当に具合悪そうに見えたけど…貧血とかやろか」
「心配だよね…」
肘をついた手の上に顔を置いて、ユナは既に栄養のあるお菓子の思索を始めていた。
出来ることといえばそれぐらいだろう。受け取ってもらえるか否かは別にして。
そんなふうに考え始めると彼女は決まって周囲の音が耳に入らなかった。
勿論背後に人が立ったのにも気づかなかったし、ムーンとブラッドが驚いているのも解らず。
「これは何の騒ぎです?」
声をかけられたのはユナだったが、彼女が言葉に反応するそぶりを見せないのでムーンが呼びかける。
「ユナちゃん、ユナちゃん」
「大丈夫ですか」
二人目の声でようやく我に返ったユナは、その聞き覚えのある声に振り向いた。
「あ、え、エラズル様!?」
「ええ…何があったんですか?」
彼は妙にざわついている周囲を見つつ尋ねる。
中にはエラズルの方を見ている者もいた。それは好意的な目ではあったが、エラズルは少々不快そうにした。
新しい髪型は城の、特に女性陣の間では好評だったが、彼にしてみれば耳が注目されているように感じられてならないのだ。
「先程、ジェイド様が、突然具合が悪くなられたみたいで…エメラルドさんがどこかに連れていったんですよ。みんな何が何だか解らないみたいで」
「…ジェイドが……?」
彼は突然深妙な面持ちになって、少し黙った。
「解りました、ありがとうございます」
すぐに踵を返す。
「………三角関係?」
珍しく慌てたようなエラズルが見えなくなってから、ブラッドが呟いた。

「エメラルド、居ますか?開けますよ!」
戸は開いた。鍵はかかっていなかった。
――物の少ない部屋だ。床に敷いてあるのは“畳”と呼ばれるものだとエラズルは知っている。
部屋の隅に机があり、その反対側に“布団”がたたんである。後ろにあるのは“箪笥”だろうか。
一風変わった自室に、“ヴェルファ”の騎士は立っていた。
エラズルの不作法を咎める気は無いようだった。微笑む。
「入るがよい」
エラズルは靴を脱いで踏み入れた。
戸を開けた瞬間から、そこにもう一人居るのは解っていた。
ただ、確かめるのが恐かった。そのことが、彼の歩みを遅くさせる。
丁度エメラルドの陰に居た彼と目が合って。
「よお」
彼は――ジェイドが着ていた服を纏ったアンバーは、普段と何ら変わりなく笑いかけた。
軽い言葉、笑顔。
「……今日は、ジェイドが居るはずの日ではないんですか?」
その状況が飲み込めない程、エラズルは愚かではない。
そうあってほしくない事態そのものであろうことを、彼自身の口から聞きたかった。
「俺もそうだと思ってたんだけどな」
「のう、何事なのだアンバー」
エメラルドは静かな声色で問う。
「さあ、何があったんだか…」
答えるアンバーを見据える瞳は鋭く真剣で――笑ったままの彼を責めるように冷たく。
「はぐらかすでない!何故、このような昼時に入れ替わったのか…」
「答えなさい、アンバー・ラルジァリィ」
「どうでもいいだろ?」
問い詰める二人をアンバーは笑い飛ばした。
彼は窓を開ける。二階とはいえ高さがあるが、手頃な木が近くにあった。
「アンバー、主、何をするつもりだ?」
「明日までは庭をうろついて隠れてる。お前等誰にも言うなよ?……ジェムにもだ」
アンバーは二人に背を向けて、窓枠に足をかけた。右手で木を掴む。
「アンバー・ラルジァリィ!?」
非難じみたエラズルの呼びかけを、彼は一言で打ち消した。
「言うな。………忘れとけ」
淡々とした強い口調は拒絶に似ていた。
後ろを向いている彼は、まだ笑顔なのだろうか。それとも――
振り返らずに、彼は窓の外に飛び出した。
エメラルドはゆっくりとした動作で窓を閉めてから座り、深く嘆息した。浮かぬ顔だった。
立ったままエラズルは呟く。声は震えを抑えていた。
「…“イルゼム”はその不安定な遺伝子構造から、成長期間が長い。性別が決定していても20代後半までは能力等の伸びが期待出来る」
エメラルドは聞いていた。それは何かの引用のようだった。
「片方の瞳の色だけ入れ替わった状態で性別は固定される。そうなるとある程度遺伝子が安定する。そのため“イルゼム”の性別は10代を過ぎる頃には自然とどちらかに決定されるようになっている。それは自己保存の一種であろう……」
言葉を切ってエラズルはうつむく。
図書室の本で調べられたのはそこまでだった。
もともと、知られないことの多い種族であるのも原因だろう。
そこから導かれたエラズルなりの仮説があった。
「……自己保存――つまりそれは、安定しない遺伝子の危険性を示してはいませんか?今もなお二つの性を持つあの体は……」
「………どうなのだ、エラズル」
「生物学を専攻する僕の目から見ても」
声は小さくなっていく。それすら良く聞こえるほど、エメラルドの部屋は静かだった。
「いつ、何が起こってもおかしくないと思います」
彼本人には言えなかった。体の不調を誰よりも良く知っているはずだから。
「……エラズル、主はあやつのことを何か解っておるか?」
「どういう意味です?」
突然の問いかけだった。エメラルドは手に顔をうずめていた。
「“イルゼム”のアンバー・ラルジァリィ、23歳、近衛騎士。ジェイドが話したのではないこれ以外のあやつを、主は何か知っておるか?」
「僕は……」
思い出す。
“何故普通で居られるのか”と尋ねたとき、彼は何と答えただろうか。
――“どうしようもないから好きに生きてるだけだ”、と。
そう答えた彼の笑顔は本物だったのか。
彼が見せる笑顔は本物なのか?
「我は何も知らぬ。知らぬ、と気づいた……あやつは自分のことなど話さぬ」
「エメラルド」
「存外、主の方が解っておるのかもしれぬな」
エメラルドが無理矢理苦笑したように見えた。