11・忠誠の誓い-3

日はとうに沈み、日付も変わっていた。
しかし夜明けまではまだ遠い。
エラズルは図書室の椅子に具合悪そうに座っていて、自室に戻ろうとはしなかった。
明かりだけが灯り静まりかえった中に、階段を下りてくる足音が響く。
姿を現したのはロードナイトだった。二階の自室に戻る所なのだろう。
そのまま通り過ぎていくかと思われた彼は、不意に向きを変えてエラズルの傍で止まった。
「…調子が悪そうだが」
「それほどでもありませんよ」
恐らく城内で最も“リランナ”の自分を嫌っているだろうと思われた相手の懸念した言葉に、エラズルは内心少々驚いて返す。
「……座ってはどうですか」
突っ立ったまま黙っていたロードナイトは、これもエラズルは予期していなかったが、言葉に従った。
机を挟んで向かいに座った覆面の騎士。
そのまま黙っていても良かったのだが、彼に思いの外敵視されていないようだからか――エラズルは話した。
「先程陛下に伺いましたが、陛下の服の赤十字はディア・ドールのものから来ているようです」
「どういうことだ?」
意外と、ロードナイトは興味深そうに聞いてきた。
「戦時、陛下が“王子”ではなく“戦士”として城をお離れになった際、城からの反逆者に囲まれたことがあったそうです。その陛下を救ったのがディア・ドールで、礼としていつか彼の望みを叶えること、戦を生き抜くことを誓ったものが赤十字だ、と」
ロードナイトは自分の右肩口を見やる。
揃いの十字架。それは彼の、ジェミニゼルに対する誓い。
「僕は…」
言いかけてエラズルは止まったが、自嘲混じりに続けた。
「見ての通り南方で造られた者ですから、助け出して下さった陛下への感謝は言葉では表しきれません。本来はここに居るべきですらない存在ですから」
エラズルの赤十字は、ローブの左袖。
「ここへ招いて下さった陛下への忠誠を誓って、これを身につけました」
ロードナイトはそれを見て、エラズルを見た。
金色の瞳、隠れた長い耳、青紫の長い髪――作為的な、命。
そのことに何の咎があるのかと考える。ある筈がない。
何故他者が見下げるのか。浅ましい優越感にどれだけの価値があるのか。
――そう思っていることを伝えられる程、彼は器用ではなかった。代わりに告げる。
「…私も南方出身だ」
意外そうにエラズルは見返してきた。
「……我々“リスティ”は“ヒュースト”を良く思わない者も多く、私もそのひとりだった。しかしその研究施設を陛下が制圧なさったと聞いたとき、全ての“ヒュースト”が愚かなのではないと解った。それから後、私は南方制圧に加わり、ここへ来る時に赤十字を掲げた」
「そうなんですか」
こうやって会話をするとは思っていなかった相手の予期せぬ言葉を、複雑な気持ちでエラズルは聞いていた。
ロードナイトは、次に何を言って良いものか色々と巡らせていた。
それは彼なりの、ジェミニゼルの目標――“共存”への歩み寄りかもしれなかった。
「…今回のことで、僕を含む城の警備に大きく落ち度があったと解りました」
間があいた後、エラズルが先に言った。
それは自分のことも含んでの非難に聞こえたが、彼自身“相手が悪かった”と納得してしまうことは出来そうになかったので、ロードナイトは頷く。
「ディア・ドールが王宮魔導士として仕えることになるそうなので、考える必要は無いかもしれませんが」
その嘲りは他者全てか、自分自身か――どちらかにも、どちらともにも取れる。
ロードナイトがエラズルを苦手だと思うとするなら、それは種族の問題ではなくその口調、態度だろう。
ただ、今は彼の感じている無力感が浮き彫りになっているようで、あまり気にならなかった。
おもむろに、エラズルは結ってある髪をほどいた。
顕になる長い耳。
ロードナイトは不思議そうにして言葉を待つ。
「…“共存”を目指す陛下に仕える僕が種族を隠していては意味が無いでしょう。今更かもしれませんが、今の僕に出来るのはこれぐらいですから」
見慣れない感じではあるが、その髪型はしっくりきていた。
“リスティ”の遺伝子を持つ美しき者。
ロードナイトは、何ともなしに自分の覆面に触れる。
尖った耳と額の石、そして歯と並ぶ小さな牙を隠す砦。
「僕は、これから何が変わっていくのか見当もつきません」
「私もだ」
ロードナイトはすっと立ち上がった。
いつまでも居てはエラズルが部屋に戻れないだろうし、何かするにしても迷惑なだけだろう。
「…邪魔をした」
去っていった足音が聞こえなくなってから、エラズルは本を手にした。
調べたいことが多くあった。
眠くない訳ではないのだが、寧ろ眠れないというようなのが正しかった。
眠気に優る、強い――それは探求心かもしれなかったし、ただの焦りかもしれない。
本を開いて、ふと頭をよぎったことがあった。
そういえば最後にこうやってゆっくり本を開いたのはいつだっただろう。
それほど前ではないような気もする。しかし一日のほとんどをそうやって過ごしていた彼にとっては自分に問いたくなるほどに奇妙なことだった。
その理由を考えて、思い当たってから、エラズルは苦笑を浮かべた。

翌日、何事も無かったかのように一日が始まったウィルベルグ城であったが――
髪型のすっかり変わった王宮魔導士と、新たにその官職に加わった長身の麗人、そして。
常に身につけていた覆面を外して素顔を晒した王直属の騎士の話で朝から騒がしかった。

11・忠誠の誓い End