11・忠誠の誓い-2

“エルフ”に寿命は存在しない。
ただし、傷を負えば死は訪れる。
死に至る自らの傷を治す魔術を彼等は持っていない。
傷を治癒するものは、自らが忠誠を誓った“ヒュースト”の血液。
気の遠くなる昔――生命が生まれ始めた頃、双方の種族にどのような関わりがあったのかを知る術は無い。
しかし、血を貰った“主”の命は絶対。
例えそれが意に背くものであっても――最低限“言われたこと”は遂行せねばならない。
ディアは一瞬だけ目を閉じた。
新たな命令を聞かなかったことにしてしまいたかった。
血がそれを許さない。
それは予想していた中でも最悪の部類に入る命令だった。
単純明解で、行動はそれひとつしか選ぶことが出来ない。
「……すまない、時間切れだ」
“人間”ならざる侵入者の宣告を、三人は訳も解らず聞いていた。
ディアが何かをしようとしたのには気づいたが、ロードナイトは行動のしようが無い。
サファイアは、目を閉じてしまいたくなるのを必死に堪えていた。
相手が放とうとする魔術が見える――こちらに防がせる魔術ではなく、純粋な破壊を目的としたもの。
どうにも出来ないと解りながら、エラズルは今の自分に可能な最大の魔術を放とうと決めた。
ディアが黙ったまま上へ向けた手の辺りで構成されていく力は、今までの彼の魔術と比べものにならない程大きい。
自分の体調が万全であったなら、それを防ぐためだけに魔術を使えていたなら或いは――そんな思いが込み上げた。
最早、その“破壊”を抑えることは出来そうにない。
何が悲しいのか、いや、そもそも悲しいのかどうかも解らない。
負けを確信したエラズルは涙を流していた。
そのとき、ずっと表情の無かったディアが僅かに顔をゆがめるのをサファイアの目がとらえた。
次に映ったのは、信じられない光景。
「――エラズル!!」
まさに捨て身の覚悟で術を発動しようとした彼を、サファイアが後ろから抱きしめて止める。
足に力が入らなかったエラズルが倒れるのにあわせて、彼女も倒れた。
押し寄せたのは身を裂く衝撃ではなく、目を焼く程の光。

鋭く冷静なパオの“針”は、狂いなくシャルトーの左胸を貫いていた。
駆けつけてきた彼は呼吸すら乱していない。しかし内心切羽詰まっていたようなのは表情からもうかがえた。
彼は遠くを見るように、北の方角を眺めた。
城に何事かが起こった気配は感じられない。確かではないが。
「パオ、私は……」
崖から目を逸らし、アンバーの服を着たジェイドは言う。
「“イルゼム”。アンバーが、言った」
「そうか。……城は大丈夫なのだろうか…」
「帰りたい、けど、方法がない」
来たときの飛竜は消えてしまったし、城がどうなっているのかも解らないから迎えが来るとは考えにくい。
「あ、俺でよければ何か作りましょうか?ラズの飛竜みたいに格好良くて速いのとかは無理ですけど」
「頼めるかな、ラピス」
頷いて、彼は鳥を造り出した。愛嬌たっぷりの顔が何とも場に合わない鳥ではあるが。
「…きっと、城に着くのは夜中か明日の朝ぐらいになると思うんですけど大丈夫ですか?」
「ああ、私はそのほうがいい。ありがとうラピス。後々、きちんとお礼はさせて頂くから」
「そんなのいりませんよ!……そのかわり、俺が人質にとられたことラズには言わないで下さいね。もんのすごい怒られますから」
解った、と軽く笑ってジェイドは鳥に乗った。パオが乗ると同時に羽ばたく。
確かに飛竜よりもずっと遅いとパオは感じたが、快適なのはこちらだった。
上空へ舞い上がり、鳥は進み始める。
「…パオ」
ジェイドは後ろの彼を見ずに話しかけた。
「夜中はこんなに明るくなったのか?」
「……?」
「いや、そうだといいと思っただけだ」
彼女が何を言いたいのかすぐには理解出来なかったが、ふと気づく。
アンバーとジェイドが入れ替わる時間は48時間。
つまり夜中の12時であるはずだ、と。
時間が早まったと考えるのが妥当だろう。それが良いことか否か、パオには見当もつかなかったが。
「…城の者には話さないでもらえるだろうか」
「何故?」
彼女は答えなかった。
断る理由も無く、パオは肯定した。

小さな水音。
周囲のざわめきに混じってそれは確実に聞こえていた。
液体が滴る音。
「サファイア、ロードナイト…?」
エラズルが体を起こす。二人は傍らに居た。
自分同様に無事らしいことはすぐに解る。次に彼が見たのはディアで。
「―――ディア・ドール……」
床と、自身の手を紅く染める鮮血。
体を支える右手と、力なく下がった左手。その指先から下に、新しい血だまりが出来る。
ディアが、自分の魔術を自分で受け止めたとしか思えない。
彼はやはり無感情に、階段を下りてくる者を目で追っていた。
重傷の侵入者をいち早く見つけたのはエメラルド。
しかし辺りの雰囲気を見ても、城の者が圧勝したというのではなさそうだ。
背に庇ったジェミニゼルが立ち止まったのに気づく。
エメラルドが道を開けると、彼は階段を駆け下りた。
「――――ディア!」
「…ああ、ジェミニゼル……久しいね」
蹲ったまま顔を上げてディアは言う。
エメラルドは刀に手をかけていて、ロードナイトも同様にしてディアを見張る。
しかしディアが何か行動を起こす気配は無い。サファイアも黙っている。
「ディア、何がどうなっているんだ…?」
「ほぼ完成してしまった魔術は消しようがなかった…“主”がもう少し早く死んでくれれば良かったのだがね」
思えばそれはもともとだったのかもしれないが、ディアからは敵意の欠片も感じられなかった。
「君は随分と成長したようだね、ジェミニゼル。前はもっと幼かった」
「…あなたは10年以上も前から変わっていない、ディア」
「そういえばそうだ…私は“エルフ”だから」
表情の無かったディアが、口の端を上げた。
それは笑い顔だったのかもしれないが、不自然だった。
「外見では、ジェミニゼル、君が私を越えてしまった」
「…あなたと話がしたいが、ディア…その傷では」
「今にも気を失いそうだよ。放っておけば死ぬだろうね」
変わらぬ口調で告げるディア。ジェミニゼルは彼の目線に合わせ、膝を折った。
「ジェミニゼル、かつて私が君を助けたとき…君は私の望みを叶えると言ったね」
「言った。勿論今もそれを違える気はない」
「では、ジェミニゼル…私を救って欲しい」
王はただディアを見ていたが、周囲の者は顔をしかめる。
魔術を使うエラズルならともかく、“ヒュースト”のジェミニゼルに何を望むというのか。
「…私に何が出来る?」
不安げに、だが誠実にジェミニゼルは問いかけた。
「一度あなたに救われた命…引き替えにしてもいいとは思うが、それだけは出来ない。…今の私は王だ。だから、この命以外なら、ディア…私はどうすればいい」
「君に忠誠を誓いたい」
「何、を言っているんだ?」
困惑するジェミニゼル。だがこの状況で、ディアが嘘偽りを言うようには思えなかった。
「私を君の臣下にしてほしいんだ、ジェミニゼル」
「まさか、あなたにそんなことをさせる訳には…」
「命以外なら叶えてくれるのではなかったのかな」
言葉に詰まって王はディアの目を見る。
記憶と変わらずそこにある、紅の瞳。
「……解った、それでどうにかなるのか…?」
「ありがとう、ジェミニゼル。…そして、もうひとつ」
次の彼の一言は、ジェミニゼルの臣下達を大いに動揺させた。
特にロードナイトとエメラルドは、それぞれの武器を持つ手に力を込める。
ただ、それを受け入れたジェミニゼルを前にしては何も出来なかった。
「少し、君の血を貰えるかな」