11・忠誠の誓い

戦いを長引かせるのならひたすらに逃げ回れば良い。
ただしそれは一般的に“負けない”ためのもので。
相手の進撃を止めたいのならば相手を捕獲してしまえば一番良い。
だがエラズルはそう出来ずにいた――寧ろ、防戦一方。
それもいつしか、ディアの魔術に自分の魔術をぶつけて相殺するやり方から、防御魔術に徹するまでになっていた。
足先や指先から冷えていくのを感じるが、ディアのほうに変化は見られない。
どうしようもないことだと理解はしているが、悔しく思わずにはいられなかった。
もともと“ヒュースト”の体は魔術の負荷に耐えられるように作られてはいない。
それが魔力を持っただけの“リランナ”が、どこまで立っていられるものか。
そろそろ、南へ向かった二人は目的地に着いている頃だと思われた。
一刻も早く何とかしてほしい、と思考の大部分を占める。
――――三方向からの炎の玉が連続して飛んでくるのが見えた。
エラズルは魔術の防壁を張る――一撃目、二撃目、そして三撃目の直前で壁が消滅する。
「――――っ!」
練り直す時間は無い。紅い色が目前に迫る。
反射的に目を閉じた瞬間、誰かが前に立ったのが解った。
振るわれる銀の剣、掻き消される炎の色。
風が起こって、外套がたなびく。
「気を付けろ」
振り向かずに、エラズルの前にエラズルの前に出たロードナイトは告げた。
彼の手にした剣はただの剣に違いなかったが、それは淡く発光して見える。
魔術に対抗出来るよう、剣自体に魔術をかけているのだとエラズルは悟った。
「すみません」
返事は素直に出てきた。ただ、もう、自分の力ではあと数回しか相手の魔術を防げないと予測する。
「ロード、私が見るから」
「…ああ」
サファイアがすっと前に進み、ロードナイトのやや後方に控える。
「エラズル、無理しないで」
安堵させるような優しい笑みをエラズルに向け、彼女は前を見る。
未来を映す瞳が侵入者を凝視した。
「…斜め右前から雷」
言葉に素早く反応してロードナイトは切り裂く。
「左右から炎と雷!」
数歩下がって横薙ぎにする。ディアの方を見る暇が無い。
すぐさまサファイアの声が飛ぶ。
「――正面から氷!」
それを防いでから、ロードナイトはディアを睨み付ける。
剣で切り防げるものばかりを選んで使ってくるようなのは、望むことではあるが屈辱的だった。
こちらに害を加えるつもりが無いのなら――“止めて欲しい”というのなら、攻撃してこなければ良いという話ではないのか。
“エルフ”について何もと言って良い程知らないのだから、結論づけることは出来ないが。
「……ロード、来るわ」
サファイアが囁いた。
ディアは何もせずに、静かな足取りで向かってくる。
ロードナイトが向けた剣も、サファイアの弓も、彼を止める術にはならない。
歩きながらのディアの魔術で、彼等は道を開けざるを得なかった。
大した痛手ではない。ただ、彼が通るように横へ飛ばされただけ。
エラズルだけが、そこに立っていた。
「…進ませません」
エラズルの身長が低めなこと、そしてディアが高いこと。
ディアを見上げる形で、エラズルは立ちはだかる。
ディアの手が、動いた。サファイアとロードナイトが何か言おうとする。
その手は、エラズルの頬に触れた。
「……大丈夫か」
無感情な懸念の言葉、それに反して暖かい手。
エラズルは頭に血がのぼったのを自分で感じた。
理由は何であったろうか――敵に心配などされたことか、それを相手の余裕と取ったのか、それとも、“人間”ではない相手が自分よりもずっと“人間”らしい温度をしていることか。
その全てかもしれないし、単に焦りからきたのかもしれない。解らない。
間近でエラズルが放った魔術は初めてディアに当たった。
大した威力も無い威嚇のような魔術だったが、反動でエラズル自身もよろめく。
ロードナイトとサファイアが彼に駆け寄ったが、まだ立っていられる余裕はあった。
ディアのほうは、空いていたほうの手でいくらか防いでいたらしい。
黒いコートの袖から、うっすらと白煙があがっていた。
その、手を下ろす。
魔術はいくらか彼の体にまで届いていた。
コートを閉じている首元の紐が切れて、襟元がはだけた。
彼の様子を窺っていた三人は言葉を失う。
ディアと、自分たちの共通点。
あれは、刺青なのか――胸元の刻印。
「――十字、架……」
エラズルは自分の左腕のそれに触れた。
血のように鮮やかな、赤十字。

“イルゼム”の性が交代する時間は決まっている、とかつてジェイドは言っていた。
しかし、そこに居るのはアンバーではなく紛れもなく彼女。
難しい話は置いておいても、勝機が訪れたとラピスラズリは内心安堵する。
国王直属の騎士――日頃から剣を手にし、“聖騎士”の称号を持つジェイド・アンティゼノ。
「そうか、“イルゼム”……」
シャルトーは怯むことなく剣を持ち直した。
「…南方領主の……」
直接会ったことは無いが、周囲を見て、知っている外見的特徴と合わせて、相手が元南方領主の騎士だとジェイドは断定する。
そして気づいたのは、足元の記号。
それは、彼女とアンバーが互いに緊急に状況を伝える時の為に決めておいたものに違いない。
斜めに交差する線――“たおせ”、と。
行動を起こすのにはそれで十分だった。
軽やかに地を蹴って、彼女はシャルトーへ剣の一撃を放つ。
それは剣で受けられたが、続けざまに繰り出した剣先が彼の肩を浅く裂いた。
そして、向けられる剣を受け止める。
「あなたが何をしたのか私には解らない、が…あいつの頼みだ」
シャルトーは告げてくる相手の雰囲気が豹変したのを感じていた。
雰囲気だけではない。戦闘方法がまるで異なる。
アンバー・ラルジァリィが大勢を一掃する戦い方を得手とするなら、今目の前にいる女は一対一の接近戦が本領だ。
何より剣の熟練度がまるで違う。
“イルゼム”については簡単な知識しか無いが、単に性別が一定時間で入れ替わるという種族ではなかったのか。
シャルトーの剣がジェイドの左腕を掠めたが、彼女は気にも止めない。
反対に、即座に相手の腕を切り返す。
ラピスラズリは不謹慎にも、“聖騎士”の称号に恥じぬ彼女の戦いに見惚れていた。
以前会った彼女は戦闘とはかけ離れた女性的な出で立ちで、今の彼女の姿を想像することも出来ない。
アンバーの服を纏った彼女は、雄々しくも気高い、ひとりの騎士だった。
激しい斬り合いの音が響く。
シャルトーが押し気味だった。それはひとえに剣の質の問題だろう。
シャルトーの剣は彼が常に用いている良いものだが、ジェイドが手にしているのは彼の部下の適当な剣。
手に慣れた自分の剣ではないのだ。
ジェイドの持つ剣の刃に、亀裂の入るような音がした。
それはジェイドがシャルトーの剣撃を受け止めた瞬間だった。
その音にジェイドが気をとられた僅かな隙を、シャルトーは勿論のこと逃さない。
押し切って体制を崩させると、その剣の切っ先がジェイドの左胸を狙う。
「―――遅い!」
しかし、それよりも早く切り返したのはジェイド。
シャルトーの、剣を持つ手を強く斬りつける。
彼が剣を取り落としたその次に、突きだした剣が脇腹深くに刺さった。
ジェイドは仕留めるつもりだったが、使い物にならなくなりつつあった剣がそれを許さなかった。
彼女が剣を引き抜くと同時に、溢れ出る鮮血。
このまま少し放っておけば、確実に命を落とす傷だった。
もし、彼女がディアのことを知っていたなら迷わず止めを刺しただろう。
「教えて欲しい。あなたは何をした?」
シャルトーは答えない。
二人を見て勝利を確信したラピスラズリが安堵する後ろで、何かが落下した。
「――あ!」
シャルトーの部下の一人が樹のツタを切って逃げおおせたらしい。
彼はラピスラズリには目もくれず、未だ気づいていないようなジェイドへと向かった。
「ちょ、この…っ!」
今、彼女に要らぬ負担を増やすわけにはいかない。
ラピスラズリは彼を追いながら魔術を使った。
大地が相手の足に絡まり動きを止めたところに駆け寄り、武器を叩き落とす。
満足そうに息を吐いたラピスラズリを、強い力が引き寄せた。
それは一瞬の出来事だった。
ジェイドはシャルトーから目を離してはいなかったが、ラピスラズリはシャルトーが一歩動いただけで手の届く位置に来ていたのだ。
シャルトーは腕に捉えたラピスラズリに、空いた方の手で拾い上げた剣を近づける。
「ラピス!」
「魔術は使うな」
ジェイドの言葉を遮る命令。
言われたものの、ラピスラズリの頭にはこういった状況を打破できるような魔術の構造が無い。
仕方がなく、立ち上がって移動するシャルトーの動きに合わせる。
背中に血の生暖かさを感じるのが気持ち悪い。
シャルトーはどう考えても致命傷を負っている。
後ろへ――邸宅の裏手へとまわる彼の意図が理解出来ない。
一定の距離を保って睨みあったまま、ジェイドもそれに続く。
元南方領主の邸宅は切り立った崖を背にする大変眺めの良い立地で、家の窓からも見下ろせるように、海が広がっていた。
「…あのさ、はらいせに俺をここから突き落としても何とか助かるぐらいの魔術は使えるんだけど」
崖の近くまで来たところで、ラピスラズリが声をかけた。
「そんなことをして何の意味がある」
言葉を口にすることすら辛そうに、シャルトーは呟く。
「…どう考えても死ぬこの状況で、“リランナ”ひとり道連れにしても面白くない。道連れは……国だ」
何故アンバーが彼と戦っていたのかその理由を知らないジェイドには、シャルトーの言葉の意図は解らない。
詳しい事情を知らないラピスラズリも同様に。
シャルトーは口元に笑みを浮かべると、崖ぎりぎりに立ち、ラピスラズリをジェイドの方に突き飛ばした。
そして後ろへ―――――崖へと、踏み出す。
「――な、っ…」
ラピスラズリを受け止めて呆然とするジェイド。シャルトーの姿が視界から消える。
叫ぶ声が、ただ、はっきりと。
「ディア、城ごと破壊しろ!!」
「―――――!?」
ジェイドは瞬時に背筋が寒くなるのを感じた。ひとつの仮説が思考を支配する。
もし、シャルトーが何者かを城に向かわせていたら。
アンバーがその為に、彼を倒しに来たのだとしたら。
今、シャルトーが、その何者かに、ここからの声でも聞き分け、城の者でも敵わない何者かに、命じたのだとしたら?
ジェイドは崖のへりに駆け寄った。
まだ落ちていくシャルトーが見える。下まで落ちれば即死に違いないが、落ちきるまでにはまだ距離がある。
――手の出しようが無かった。