10・シグナル-3

経過したのはほんの数時間だろう。
城が気がかりではあったが、振り返ったり下を見たり出来る状況ではなかった。
僅かに気を抜けばそのまま振り落とされそうな速度で飛び続けた飛竜から、アンバーは気分の悪さを感じつつ降り立った。
「どぎついことやりやがる…」
呻きに肯定も否定もせず、パオも飛竜を降りる。
途端に魔術の飛竜は消え失せたが、帰りのことを気にかける余裕は無い。
気を引き締めるように、アンバーはしっかりとオールを握った。
「じゃ、頼むな」
そのことばに頷いて、パオは人が集まって来る前に別方向へ移動する。
そちらを見ずに、アンバーは堂々と歩みを進めた。
そこは元南方領主邸宅の目の前だった。
つかつかと、敷地内に足を踏み入れる。それはディアを城へ向かわせた相手への挑戦かもしれなかった。
「――――シャルトー・トリアル!!」
門から邸宅までの中庭の丁度真ん中で、彼は大声をあげる。
中から走り出てきた者達が行く手を塞ぎ、その後ろからやけにゆっくり姿を現すものがあった。
それはかつて取り逃がしたものに相違ない“合成獣”だった。
「ご大層な門番で」
アンバーは茶化して笑った。相手側は敵意をむき出しに睨みをきかせてくる。
「近衛騎士アンバー・ラルジァリィ、シャルトー・トリアル元南方領主騎士にお目通り願いたい……んだが、お引き取り下さいって感じか?まあ、それよりも何よりも、“合成獣”の製造と所有が法律で禁じられてるってこと知らねえとは言わせないんだけどな」
彼の顔がすっと真面目になって、相手側に戦慄がはしった。
「悪いけど、とっとと仕留めてシャルトーに会わせてもらう。死にたくなかったら手出しすんな。……一応言ったからな。これで引く奴なんていないと思うけど」
慣れた手つきで、アンバーは自分の身丈よりも長いオールを手で回す。
切っ先が、相手方へ向けられた。
「……“特攻隊長”、侮んじゃねえぞ」
一見容易なようで、その長さ故に力加減と扱いの難しいオールを武器とする者は相手には居ないようだった。
彼等が珍しい武器の勢いに呑まれている間に、アンバーは真っ先に“合成獣”を目指す。
右斜めから、そして真横からの二連撃。
回すことによって長いリーチの欠点である行動の遅さを補い、素早く、小刀などよりも威力のある連撃が可能な武器――それがオール。
“合成獣”の体の一部が切断されて吹き飛んだ。
咆哮のような悲鳴。
傷つけるような戦い方しか出来ないことを心中詫びたのは、哀れな実験体に対してか、それとも苦しめずに仕留めようとした王宮魔導士へか。
考える必要も時間も無かった。
“合成獣”の屈強な腕からの攻撃を逃れ、待ちかまえていたシャルトーの部下の剣撃をかいくぐると同時にアンバーはオールで彼等を遠ざける。
数人の腕や体がそれだけで切り裂かれて、僅かに血しぶきが舞う。
「次は腕とか首、飛ぶからな」
口調こそ冗談めかしていたものの、おおよそそれは嘘に聞こえなかった。
それでも間合いにさえ飛び込めば何とかなると思ったのか、相手は退かない。アンバーは小さく舌打ちする。
戦後数年で、意識が平和ボケしてしまったらしい。出来る限り殺したくないなどと、この人数相手では考えていられないのに。
今更何人殺したところでどうなるということもない、と、アンバーは心中自らを嘲る。
傭兵として生きた時は、どれだけ手を紅く染めたろうか。
斬りつけてきた相手の首元を、オールの切っ先が狙う―――
相手が吹っ飛んだ。
「……へ?」
突きだしたオールが空を切る。
死にぞこなったとしか言えないその男は、アンバーの後方でツタのようなものに弄ばれていた。
「お久しぶりですアンバーさん!」
緊張したその場に似つかわしくない明るい声。
それと同時に更にひとりが空へ舞う。
アンバーの後ろにあったのは巨大な樹だった。枝の一本一本がツタのように動く。
一瞬前にはそこに存在しさえしなかった樹は、地面にしっかりと根付いていた。
樹の枝の上に、見知った人物を見つける。
「――ラピス!?何やってんだよ!」
そういえば彼の住む場所はここから遠くないということをアンバーは思い出す。
「生活に役立つ植物、NO128です。対侵入者用番木、苗木を地面に埋めてから成長まで5秒!」
ラピスラズリは軽やかに樹から飛び降りた。周囲は呆気にとられる。
彼の姿を認めた“合成獣”は動きを止めた。
「飛竜が見えたので…何かあると思って来てみたんです」
「そりゃ助かるけどよ…」
「俺、こう見えて今大分怒ってるんです」
彼もまた、“合成獣”を見やる。
作られた存在。
その姿が違うだけで。
「お手伝いしたいんですけど、俺ラズみたいに攻撃魔法得意じゃないので、そっちお願いします。この人達は何とかしてみますから」
「…了解、怪我すんなよ」
まだ“合成獣”はラピスラズリを見ていて、アンバーが一撃を当てると鈍い動きで反撃してきた。
“合成獣”に思考があるのか――エラズルやラピスラズリに何を感じたのかは解らないが、倒されることを望んでいるような気がするのは単なるエゴに思えて考えるのをやめた。
“合成獣”が腹を剔られてよろめく。
苦しげな呻き声を掻き消すように、アンバーはオールを突き立てた。
引き抜くと同時に“合成獣”が倒れる。
弱く痙攣するだけで起きあがってこないのを確認して、彼は溜息をついた。
しかしその間すらも許さない。
ラピスラズリの悲鳴が聞こえた。

首筋に当てられた金属の冷たさが、彼を大いに恐縮させた。
いつ背後をとられたのか解らぬまま、彼は動けずにいた。
パオはそんな相手に手応えの無さを感じつつ尋ねる。
「シャルトー・トリアルか?」
「あ…ああ」
しどろもどろな答えが来る。
そこは確かに邸宅の主の部屋で、今捕えた相手はそこの椅子に座っていた。
しかしここの主とは。かつての南方領主の騎士ではなかったか。
パオはそのまま、相手の手へ視線を落とした。
「――…違う」
「な、何言っ…」
言い終わらないうちに、男は床へ倒された。
「シャルトー・トリアルは何処だ」
彼へ小刀を突きつけて、パオは見下ろす。
「だから、俺が……」
「違う。剣をとる者の手ではない」
傷ひとつ無い手、細い指――恐らく文官だろうと予測する。
「話せば危害は加えない」
「……」
男は首を窓の方へ向けた。
「――――――!!」
パオは顔をしかめて、男には目もくれずに部屋を走り出る。
窓からは、庭が見渡せた。

体に当たるぎりぎりの所で、ラピスラズリは剣撃を受け止めていた。
彼の得手とするところは防御魔術や援護魔術――倒すのではなく護るもの。
咄嗟に作り上げた、手と剣の間の見えない壁が彼の命を繋いでいた。
隙のない身のこなしの相手は、樹のツタすら切り伏せて、魔術を使う前に接近してきたのだ。
焦げ茶の短髪に、深い藍の双眸。
「ラピス!」
アンバーが駆けだした瞬間、相手は飛びすさった。
年齢は30代半ばか。ジェミニゼルより年上に見える。
“合成獣”に気をとられ過ぎて気づかなかったが、相手の雰囲気は樹に捕われている他の者とは明らかに違った。
相手の顔を知らなかったと今になって自覚する。
「……お前がシャルトー・トリアルだな…?」
「気づくのが遅いぞ近衛騎士」
口元に笑みを浮かべてシャルトーは二人を見る。
アンバーは相手にオールを向けて距離を取り、ラピスラズリは少し下がった。
「ディアへの命令を取り消せ」
「断る。私は愚かな理想を掲げる王になど従う気は無い」
「…何のことだ?」
「……“共存”など私は認めない」
軽蔑を込めた目で、シャルトーはラピスラズリを見据えた。
彼はたじろぎもせずに反抗的に見返す。
「そりゃあ、平気で“合成獣”なんて作れる奴はそうだろうよ。思い上がった馬鹿野郎が…!!」
歯軋りさせて、アンバーはオールを持ち直した。
分が悪いようなのは解る。相手は強いのは距離があっても感じ取れた。
剣に熟達している相手に間合いを詰められては終わりだ。
オールの刃と、シャルトーの剣が押し合う。
相手の剣の一撃は重い。
堪えながらアンバーは横目で辺りを見た。
今はツタに絡まって中空の、シャルトーの部下の剣が地面に落ちているのが見える。
渾身の力で剣を押し返し、アンバーは駆けだして一本を手に取った。
すぐに迫ってくる剣を、剣で受け止める。
今度はかがんだ状態で体勢も悪い。受け流すことも出来ない。
剣の扱いにおいて、相手に劣っている否定出来ない事実。
その時アンバーとシャルトーの間で、衝撃とともに何かが弾けた。
それは魔術による小爆発だった。ラピスラズリだろう。
お互いに少しだけ後退する。
すぐさま体勢を立て直して、アンバーはシャルトーから離れた。
力の差はどうしようもない。エメラルドやロードナイトだったら何とかなったのだろうか。
或いは――――
姿も声も解らないもうひとりの自分の名前が浮かんだ。
空しい考えだった。
焦りと、無力感と。
「アンバーさんごめんなさい!やっぱり攻撃駄目でした!!」
ラピスラズリの魔術は十分助けになっていたが、答えてやる余裕が無い。
アンバーは棒立ちだった。
不意に、正常な思考が薄れてゆく感覚。
それは眠りに落ちる瞬間に似ていた。
「アンバーさん、アンバーさん!?」
周囲の音が、声が遠のいていく。
これは何度経験しただろう。
魔術によってアンバーよりも遠くに退いていたシャルトーが向かってくる。
――――その刃を、受け止めた。
それは単なる反射だった。状況は全くのみ込めなかった。
ジェイド・アンティゼノは流れるような動作で相手を弾く。
ラピスラズリは、一瞬でそこに現れた彼女を見つめた。


まだ、日は高かった。

10・シグナル End