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10・シグナル |
“ズットツヅク”ということがあるとは考えなかった。
永遠の中では消えるものは無い。そして、得るものもまた。
不変など無い。人も、城も、国も。
無いと知りながら、それを望む。
矛盾を抱えながら、“今がずっと続けば良い”、と。
――――誰もが、思っていた。
それは、“変化”だった。
結界が壊れた。
あまりに突然に、自然に、城に張り巡らされていたそれが消え失せた。
全身が痺れたような感覚を振り切り、エラズルは階段を駆け下りる。
状況理解に努める時間は存在しない。結界の綻びが始まった一点を目指して。
開け放たれた入り口の扉と、対峙する。
逆光だった。
長身を覆う黒の外套。その銀髪だけが、昼の陽を照り返す。
侵入者だ。
つい数日前に南で遭遇した、“魔王”。
その瞬間の気分は、何と表現したら良いのだろう。
暗い感覚。
竦んだように足が動かない。
逃げられないと知っている。
朧気にエラズルの頭に浮かんだのは、ジェミニゼルと初めて会った日のことだった。
研究施設が終わりを迎えた日。
今となっては遠い、感情の許された日。
その時の感覚と似ているのだ、と。
働かない頭が何となく理解した。
異様な静けさに気づいた。
「俺は下を見てくる!お前はルビーを連れてジェムの所へ!」
オールを片手に下へ向かうアンバーとは反対へ、つまりは上へ、ルビーを抱き上げてエメラルドは走る。
無礼を承知で開いた扉はジェミニゼルの部屋。
何事かと訝しがった王はエメラルドの緊張した雰囲気に表情を固くする。
それが何かは解らないが、確実に何かが起こっている。
胸の内にもやもやと広がる言い表せぬ不快感に、エメラルドは顔をしかめた。
おろおろするルビーをジェミニゼルに預け、彼は閉めた扉を見据える。
何故、里を出たときのことなどを今思い出すのか。
無意識に連想される記憶を振り払おうと、刀に手をかける。
静かだった。
小さな音が聞こえた。
魔術が解かれる音だった。
常人が聞き得ないそれは、“リスティ”のロードナイトの耳には確かに届いた。
外的要因がそれを起こしたのは確かで、彼は妹の居る一階へと急ぐ。
城の入り口の所に、かつてエメラルドが話した外見的特徴と合致する者を見つける。
“リランナ”でも“リスティ”でもない、魔力を持つ者。
それはやはり敵だったのか。
不意に、嫌なことを思い出す。
自分と同じく“晶角狼”の母が人間に狩られた瞬間。他種族への不信感しか持てなかった頃の記憶。
それは漠然とした不安なのかもしれなかった。
これから起こる何かへの拒絶。
彼は既に控えていたエラズルの後ろで立ち止まり、相手を凝視する。
不思議な光景が見えた。
最近は仕事が忙しくて眠る暇が無く、夢――予知夢を見ていなかったことを嘆きながら、サファイアは弓を手にして階段の壁を背に、城の扉が開かれるのを見下ろしていた。
ジェミニゼルに伝える時間が無かったのが何よりも口惜しい。
銀髪に紅い目の侵入者。
彼女は矢をつがえた。
相手を狙う心を乱す、過去の残像。
囚われている暇など無い。それなのに、振り払うことが出来ない既視感。
この感覚は知っている。
西方領主を射殺した瞬間に、良く似ている。
昼も夜も地獄のようだった、飼われていた日々が壊れたその日。
それは――
はっきりと、その姿を見た。
それは侵入者に違いなかったが、あまりにも堂々としていた。
不意をつく、だとか背後を取る、といった彼が最も得手とする戦い方が通じる気がしない。
そんな威圧感を纏う相手。
パオは完全に気配を消して、注意深く様子を窺う。
出来るだけの情報をジェミニゼルのもとへ。
いつも通りの仕事。
それが何故、今回に限ってこんなにも難しいのか。
心臓の鼓動を早める焦燥感。
これは恐怖なのだろうか?
それが、“変化”だった。
銀髪の見目麗しい侵入者が、エラズルを直視する。
「……ああ、君か」
低く無感情な声。それは整った顔も同じ。
相手はどことなく現実離れした風格だった。
まるで、闇からそのまま生まれ出たような。
「侵入者にそのように言われる覚えはありません。あなたは何者ですか、名乗りなさい」
周囲は静まり返っていて、エラズルの声がよく響く。
「ディア・ドール」
予期せず素直に答えが返ってきた。
駆けつけたアンバーはディアと名乗った侵入者にオールを向け、ロードナイトは剣の柄に手をかけたまま見据える。
特にアンバーは、あからさまな敵意を見せていた。
「随分と非常識な来訪ですね?目的は何ですか」
強気に問いかけたエラズルは、返答が予想できる最悪のものではないことを祈っていた。
そんなことは言うべきではない。しかしディアとは戦いたくないと本能が告げている。
アンバーやロードナイトも同じに違いない。
勝てる気がしない、という言葉が浮かんでくる。
対峙しているだけで冷や汗が出てくる気がした。
「不本意ながら、今の主の命を受けた」
ぞわりと背筋を走る寒気。エラズルは目つきを鋭くする。
ディアが、足音も無く歩み出た。
「ジェミニゼルを殺さねばならない」
短い金属音。
アンバーのオールとロードナイトの長剣がディアの行く手を交差して阻む。
「ふざけるな……!!」
「行かせるかよ!」
押し殺したロードナイトの声と、怒りに満ちたアンバーの声が重なる。
冷淡な紅い瞳で、ディアは二人を見た。
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