9・君へのオマージュ-3

何時間経ったのか。
気分が大分良くなった頃には、一日が終わろうとしていた。
部屋は暗い。どうやら気を使われているらしい。
エラズルは宿屋のベッドから出て、明かりを探す――と、電気がついた。
「ジェイド」
「気分はどうだ?」
明かりを付けたのはジェイドだったようだ。微笑んで彼女は尋ねる。
「それなりに。……エメラルドが、居ないようですが」
「一応の見回りに出ている。“合成獣”を取り逃したことを気にかけていたようだから」
エラズルは、朝方彼にかけた言葉を思い出した。
自分よりも“合成獣”を追いたかったのは彼とアンバーに違いない。
軽率な言葉を、心中恥じる。
「…ジェイド、これに見覚えはありませんか?」
沈黙に好機を見出して、エラズルは切り出した。
ずっと問いたかったこと。すっと首から外したのは、淡茶の石が付いた首飾り。
「ああ、あいつのだ。その石…琥珀は、風邪を遠ざけるお守りらしい。あなたが倒れたときにあいつが持たせたのか?」
「……部屋に置いてあったんです。正直助かりました。症状が和らぎましたから」
「……石で?」
合点出来ないようにジェイドは聞き返す。
「石は、そういった力を宿しやすい媒体なんです。そもそもお守りとして用いられるようになったのは、石に応じてそういった力が宿っていたからなんですよ」
「それは初めて知った」
「…これ、彼に返しておいて頂けませんか?」
「自分で返したほうがいいのではないかな。私が返すとなると、一筆書かなくてはいけないし」
「……そうですね、すみません」
エラズルは、とりあえずそれをしまいこんだ。
長椅子に腰掛け、もたれる。
「エラズル…浮かない顔だな」
「そうですか?」
「リアがいつも心配している。繕っても解るみたいだ」
「…リアが?」
「誰よりもあなたを気にしている。大切な弟だからかな」
エラズルは顔をしかめた。そうまでして何を否定するのか、ジェイドは口には出さずに訝しがる。
「…見ているから解る。あなたも、リアの前では笑っているだろう?」
「それは、リアがそうしてほしいと言ったからです」
「羨ましいほど仲が良く見えるが……あなたが来るとき、リアの所に私が居ないことが多いだろう。私はその時、大抵リアに頼まれて塔を見回っている」
「そうだったんですか」
「理由は解るか?」
「いえ…」
軽く首を振るエラズル。
ジェイドは時計を見た。
静かな部屋に響く針の音が、最頂に近付いていく。
「そろそろ時間だ」
彼女は洗面所の方へ足を進めた。
エラズルが呼び止める。
「あの……」
「それは、リアがあなたと話したいからだ、エラズル」
彼女の答えに、エラズルは呆けたように少しだけ顔を赤くして、口をつぐんだ。
ジェイドが戸を閉める。
すぐにエラズルは真顔に戻った。椅子に座りなおす。
恐らくそこから出てくるであろうアンバーに、何と言えば良いのか。
どんな顔で会えば良いのか。彼は何と言うのだろうか。
扉の向こうで音がした。服を着替えているらしい。
もう何を気にしているのかも解らない。
エラズルの思いとは裏腹に、アンバーは何事も無かったように戸を開けて出てきた。
彼の服は中に置いてあったらしい。城に居るのと変わらない彼の姿。
「あれ、ラルドは?」
「…外を見回っているそうですが」
「あー…俺も行くべきだな、やっぱ」
「さあ」
アンバーは乾いたジャケットを羽織る。壁に立てかけてあったオールに手を伸ばして――
「…エラズル?」
そのまま、手を下ろす。
うつむきがちに、何も見ずに、エラズルは涙を流していた。
拭われない涙の粒がローブに落ちていく。
「どうした?」
「何でもありません、放っておいて下さい。何なんですかあなたは」
「何で俺が文句言われるんだよ」
「何なんですか。何でそんなに普通なんですか。何がそんなに楽しいんですか」
「はあ?」
溜息混じりに言って、アンバーは彼を見下ろした。
「……何、もしかしてこの体のこと言ってんのか」
答えは無い。肯定と受け取る。
「………楽しそうに見えるか?」
返すのは問いかけ。
顔を上げたエラズルは答えられない。
「普通に見えてるならそれでいい」
告げたアンバーの微笑みは、自嘲にも見えた。
それは初めて見る彼の表情だった。エラズルはまばたきする。
「……どうしようもないから好きに生きてるだけだ」
「…よく、そんな気になりますね」
ようやく紡いだその言葉も、見当違いだと自分で思う。
だが、アンバーは返してきた。
「あいつが居るから…あいつが救ってくれたから、俺はここに居る訳で。俺にしてみればお前が羨ましいよ」
「比べてどうするんですか。僕とあなたはむしろ正反対でしょう」
――違う、比べているのは自分だ。
言葉に反する思考が訴える。
どちらのほうがいい、そんなことは言えないが。
「確かにそうかもな…とりあえず、お前はなんだかんだ言って愛されてる。一度必要とされなかった俺とは違う。特にここの連中なんて愛しすぎだろ。城に戻ればジェムとかファリアとか居るしな」
「何故そんなことが解ります?誰かそう言いましたか?」
「はい?何だよその屁理屈!じゃあお前はラピスとかの行動は憎しみの裏返しとでも思ってんのか?解れよそのぐらい」
「――――解りませんよ!!」
言葉が止められなかった。
エラズルは声を荒げてアンバーへ言い放つ。
アンバーは黙って見返した。
伝わってくる戸惑いと、悲しさと、苦しみと。
とことん付き合ってやろうと思った。
「ずっと“道具”だと言い聞かされてきた…与えられた仕事をこなせるか否かで存在価値が決まって……それが…っ、そんなの今更です!」
「じゃあお前の名前は何なんだよ。“ルーンベルク”ってのは、ジェムにもらった名前じゃないのか?名前ってのは人間に与えるものだろ」
「王室に居るにあたって、姓が無いのは不便だからでしょう」
「ああもう、まだ言うのかよ!」
「だからもういいです、放っておいて下さい!“道具”だと、そう思っていれば、何でも……」
アンバーはエラズルの前に座りこんで、強引に彼の目を見た。
感情を顕わに、苦しみを訴える瞳。
それが人間の目でなくて何だというのか。
「言ってやるよ。お前は確かに生意気阿呆嫌味野郎だけど、仕事に対する意気込みとかそういうのは正直凄いと思ってる。エラズル・ルーンベルクっていう王宮魔導士、俺は嫌いじゃねえ」
エラズルは真っ直ぐな言葉から逃れるように重心を後ろに傾けた。
返す言葉が無い。反論すら。
「…昔の俺に似てるんだよ、お前。まあ、俺みたいにヤケ起こさないだけマシだけどな」
「僕は…」
「“リランナ”は法律で人間だっつってるんだからそれでいいだろ」
言い返してこなくなったのに満足したのか、アンバーは立ち上がった。オールを取る。
「じゃ、見回ってくるから」
靴をはき、戸を開く。
「ありがとうございます、アンバー・ラルジァリィ」
言われるとは予想もしなかった言葉に驚き、彼は振り向いたが。
「僕はあなたが大嫌いですよ」
「………ああ、そうですかい」
エラズルは真顔だった。肩をすくめてアンバーは部屋を出る。
戸が閉まるまで、エラズルは見ていた。
同じ言葉を、繰り返す。
「…大嫌いです」
それは彼なりに、感謝を含んだ誉め言葉だった。


******



四日目の朝。
ティミューシュ家に挨拶に行っていたアンバーとエメラルドが戻ってきたとき、エラズルは魔術で造った鳥に書物を積み終えたところだった。
「主は挨拶に行かずして良いのか?」
結構です、と答えかけた彼の眼鏡が、エメラルドに外された。理解できないうちに腕がつかまれる。
「ちょっ、エメラルド?」
「ちょっと黙っとけよ。むしろ動くな」
言ったのはアンバーで、彼はエラズルの目を強引にこじ開けた。
「――痛っ!?」
右眼に何かが入った。続いて、左眼に。
「何するんですか!!」
渾身の力でエメラルドの手を振り払い、睨み付ける。何かを期待するように、赤い双眸が見ていた。
「………え…?」
エメラルドの赤い目、緑色の髪。後ろのアンバーの淡茶の髪、翡翠色の瞳。
灰色だった空は、白と青に彩られて。
色が、見える。
鮮明な像とともに。
「ラピスからの土産、なんだかレンズ。眼鏡よりも目に密着してるから魔術が効きやすくてクリアーな視界…だとか色々言ってたけどぶっちゃけ意味不明。お前絶対素直に受け取らないと思ったからな」
「それで、挨拶には行かぬのか?」
「……行ってきます!!」
駆けていくエラズルを見て、二人の近衛騎士は顔を見合わせて笑った。

ラピスラズリは庭に居て、実験用草花の手入れをしている所だった。
走ってくる足音と、息を切らして来たエラズルの姿に驚いて目を見開く。
「ラピス、一応挨拶に来ました」
開口一番にエラズルは告げる。
彼が望むのならもう会わないと決めていたラピスラズリは、戸惑いを隠せない。
「……これ、なんですが」
エラズルは目に手をやった。
彼が眼鏡をつけていないことに気づいて、ラピスラズリは瞳を輝かせる。
「それ、受け取ってくれたんだ!!俺と父さんの共同開発…実は完成したの昨日なんだけど」
「…流石ですね。有り難く受け取っておきます」
会話が途切れた。
話したいことは沢山あったが、ラピスラズリは選べずにいた。
エラズルが先に言う。
「ラピス、色々と有り難うございました。それと、ごめんなさい」
「何のこ」
「僕が言いたいのはそれだけです」
彼は、言葉を遮った。
それは照れ隠しにも見えた。
「今度、ゆっくり、リアに会いに来てあげてください」
「ラズ…」
その言葉を告げるのに、彼がどれだけの決心をしたのか。
ラピスラズリは静かに尋ねた。
「見送り、行ってもいいかな」
返ってきたのは、少しぎこちなくて慣れない表情。
「お好きなように」
エラズルは、ラピスラズリに微笑んだ。

9・君へのオマージュ End