8・タイムリミット-3

城へ持ち帰る書物が整い、後は魔術の鳥に乗せるだけになった頃、茜色だった空は暗く青がかっていた。
エラズルはティミューシュ家の広間に座っていて、ラピスラズリは向かいに居た。
「戻ってこないな」
ラピスラズリが呟いたのは、二人の近衛騎士のことか、私用で出ているランドリューのことか。
返事は無く、ただエラズルが本の頁をめくる。
「ラズ、ほんとに帰るの?」
「ええ」
「…もっとゆっくり話とかしたかったんだけどな」
「僕には話すことはありませんが」
「ねえ、何が気にくわないのさ」
「何が…?何も」
本から視線を逸らさなかったエラズルが目だけ向けた。
「じゃあいいでしょ、俺は話したいんだから。本は戻ってから読みなよ」
「…では、ひとつ聞きますが」
「何!?」
ラピスラズリは、洋卓から身を乗り出してきた。
喜びに満ちたその顔を直視出来ず、エラズルは俯きがちに言う。
「あの三人の“リランナ”はどういう過程でここに居るんですか?」
「どう、って?」
「この数年で、どう造られたのか、と聞いているんです」
「その言い方には凄く抵抗があるんだけど」
座り直して、ラピスラズリは微笑んだ。
「戦時、ジェミニゼル様が施設に乗り込んで潰したのは知ってるよね。その時、父さんは丁度研究ブロックに居たらしいんだ。んで、色々と対立してた他の研究員にあっさり見切りつけて、育成担当だった俺を連れてとっとと脱走したんだって。一緒に、保存状態にされてたあの三人も連れ出してさ」
「…悪役ですか」
「うーん、否定出来ないね。本人もそう言ってたし」
おもむろに、彼は洋卓から蜜柑を取って剥き始める。
「で、さ。ここに行き着いたって訳。ここの人達は…田舎だからこそ、かな。俺のことなんかも普通に受け入れてくれて…四年前、大分生活も安定してきて、ここのみんなも手伝ってくれる、ってことで、三人の保存状態を解いたんだ」
「……」
「何か言いたそうな目だけど。そりゃ、さ、俺だってちょっと迷ったよ?“リランナ”として生まれて嫌なことなんてきりがないほどあったし。眠らせてやるほうがいいのかな、って、父さんと何回も相談したけど……やっぱりさ、あの子達、生きてたから」
「そういう事、ですか」
勧められた蜜柑を断って、エラズルは自嘲の笑いをもらした。
「…今でも色々考えるよ。女の子のルピナは痛覚が無いし、手が獣のセトラは声が出ないし、足が鱗のカディは耳聞こえてないし。でも笑って暮らしてるの見ると嬉しくてさ。さっきまで来てたミーシャ……いや、その、俺と付き合ってくれてるんだけどね、いつも手伝ってくれてるし」
顔を赤く染めて、ラピスラズリが照れ笑いする。
雨音だけが、聞こえていた。
「……ラズ?」
「居心地が悪いんです、ここは……すみません」
下を向いたまま、彼は席を立つ。
何も言えずにいたラピスラズリは、走ってくる子供達に気が付いた。
「どうしたの。もう寝てる時間でしょう」
「ラピにい、きめら!」
「……キ、メラ?」
今にも泣き出しそうに訴えたのはルピナで、呆然と呟いたのはエラズル。
「ルピナ落ちついて、どこにいたの」
「そとっ!」
大きな振動と、咆哮と。
気配も無く音も立てず、そこへ雨とともに降ってわいたように。
獅子の頭、山羊の身体、蛇の尾…そんな一般的なイメージならばまだ良かったろう。
何の遺伝子を組み合わせているのか、もう見当もつかない。どこからか崩れてきそうなほどちぐはぐに、窓に映ったその姿は構成されていた。
その奇怪なものを見せないように、ラピスラズリが子供達を抱きしめた。
“合成獣”の鋭利な爪が、広間の窓に迫る。
――――何かが弾けた、気がして。
閃光と雷音と砕け散る硝子が交錯する。
指先から迸らせた魔術の電撃を払うように、エラズルが手を振り、叫ぶ。
「外へ出なさい、ラピス!」
「――!」
我に返ったように頷き、ラピスラズリは三人を抱えて反対側へ駆けた。
“合成獣”の口から放たれた炎が追うが、エラズルが構成した水の柱が掻き消す。
すかさず彼は空気に圧力を加えて、“合成獣”を外側へ弾き飛ばした。
研究所に居る時に教え込まれた魔術での戦闘法は、全くと言って良い程鈍ってはいないようだった。
皮肉だ、と、口元が意図せず上がる。
壊れた窓から出て、起きあがる“合成獣”と対峙する。
「…誰に、造られたんでしょうね、あなたは」
遅い歩みで近寄ってくる相手に感情は無く、感じるのはただ敵意。
「僕達に引かれたんですか?」
問いかける声は冷たく。
返事など無い事を知っているかのように。
「……どうでもいい事ですけどね」
多数ある“合成獣”の顔から、三色の光が放たれる。
混ざり合い一直線にエラズルに向かうそれは、組み上げた結界の前に霧散した。
身体が重くなるのが解って、それでも。
「おい、エラズル!」
アンバーの声がした。
走ってきたようで、服には所々血痕がある。同様のエメラルドも見て、二人の仕事は終わったようだと判断する。
彼等が討伐対象について嘘を言っていたことに対して、もう何か言う気も起きなかった。
どうやらここに、一体取り残しが居たようだが。
「職務怠慢ですよ」
その言葉と同時に、大地が“合成獣”を絡め取った。
次に、エラズルは何か囁く。
何も無かった空中に青白く発光する円が浮かび上がり、その中に幾何模様が描かれ、そして。
白い光が夜闇を切った。
その一撃が“合成獣”を一瞬で粉砕出来るように。
――だが、それは。
「……誰だ、あいつ」
呻くアンバーと対照的に、驚くエメラルド。
エラズルと“合成獣”の間に突如現れた人影。
暗闇によく映える白銀の長髪に、それを一層際立てる、襟の立ち上がった黒いコート。
距離はあるものの何となく解る、紅の瞳。
「――――“魔王”」
エメラルドは呟いて、駆けた。
誰かが立ち塞がったのを認識したエラズルは、絶望的に立ちすくむ。
眼鏡の向こうは色の無い世界。
見えないはずの像を、眼鏡のレンズとそこに加える魔術で強引に結ぶ――代償として、ほとんど働かなくなるのは色覚。
その白黒の世界でも、視線の先の男の姿は周囲から浮き上がって見えた。
髪の長い、長身の男。
ただ無感情に、まるで人形のように、そこに存在する彼。
正直なところ今の精一杯の魔術だった一撃は、彼が一瞬で練り上げた魔術の結界を破壊して終わった。
何者なのか、何時そこに現れたのか。
疑問符と同時に襲ってくる疲労が、エラズルの動きを止める。
彼が、手を向けてきたのが解った。
そこに空気が収束していくようなのを感じて、次の瞬間。
抗いようの無い力が、エラズルを突き飛ばす。
「――――――――っ!!」
かろうじて間に合ったエメラルドが受け止めるが、あまりの衝撃に膝をつく。
それを見届けたアンバーがオールを向けるその僅かな隙に、彼は“合成獣”とともに消え失せた。
雨音と、その中の静寂と。
「…大丈夫か?」
アンバーが振り向いたとき、エメラルドは呆然とエラズルを見ていた。
何事か悟って、アンバーは駆け寄る。
触れたエラズルの身体は、かつて倒れた時よりもずっと、冷たい。
「――この阿呆!」
エラズルを担ぎ上げ、エメラルドに手を貸してやる。
「宿屋戻るぞ」
よろめきながらエメラルドは立ち、アンバーを見た。
「……今日は、城に戻れぬと思うが」
軽く頷き、歩き始めるアンバー。
「どのみち、もう間にあわねえよ」
呟きを、雨が消した。

目を開けると、視界が酷くぼやけていた。
かわりに色はある。しかし、目の前のものが何であるのか、形が認識出来ない。
眼鏡が無い、とエラズルは気づく。
ただ、そこが昨晩も泊まった宿屋だというのは何となく解った。
「起きたか阿呆」
すぐ上で声がして、エラズルは自分がアンバーに抱きかかえられていることに気づく。
触れている感覚すら無い。全身が鉛のように重く、指先すら動かなかった。
どうしようもなく、次の言葉を待つ。
「お前な。無茶やらかすのも大概にしろよ」
「主に言われたくなかろうが」
エメラルドは壁によりかかって座っていた。着ているのは替えの着物だった。
エラズルを抱えたアンバーは長椅子の上。窓際には、酷く濡れたアンバーのジャケットやエラズルのローブ、そしてエメラルドの着物が下がっている。
外に居た時間が比較的短いエラズルはローブの下の服までは被害が及ばなかったが、残り二人は総着替えだった。
そんな酷い雨も、ようやく小降りになってきた。
「お前もだろ」
アンバーはからかって笑った。かなりの衝撃を受けたエメラルドは、少々動くのが億劫なようだ。
ふとエラズルを見ると、彼は目だけで何か訴えていた。
「動けないだろ。お前相当冷たいぞ。声も出ないか?」
どうやら離してほしそうに、目で合図してくる。
それを見下ろしながら、アンバーは髪がほどけて見えている彼の長い耳を引っ張った。
「――――!!」
「何、ラルドがいい?大ダメージ受けてるから無理だって」
「――――!?」
「あ?違う?ああ、綺麗な姉さんがいいってか?何言っちゃってんだこのエロガキ」
「――――――!!!?」
恨みがましくエラズルは睨んだ。笑いながら、アンバーは目を逸らす。
「…ま、ちょっと我慢してろ。そろそろだから」
唐突に、彼はエラズルを抱き寄せた。エメラルドが怪訝そうにする。
そのアンバーの手には、何か紙らしきものが握られていた。
「アンバー?」
エメラルドの呼びかけに答えず、彼はうつむく。
――その茶色い髪の色が一瞬違って見えたのは気のせいだろうか?
エメラルドは目をこすって顔をしかめた。
その髪は、確かに緑色だった。茶色ではなく。
「…何、が………」
その声に答えるように、顔を上げる。
「――――――!?」
エメラルドは何か言うのを忘れた。
エラズルを抱いたまま、眠りから覚めたように目をしばたかせたのは。
そこに居るはずのない、ジェイド・アンティゼノだった。

8・タイムリミット End