8・タイムリミット-2

エラズルが宿の部屋の扉を開けると、二人の近衛騎士はカードゲームで盛り上がっていた。
一瞥で、アンバーの負けが続いているのは解る。
苛立っているような彼に対して、エメラルドは涼しげだ。
「お前、本っ当にイカサマしてねえんだな?」
「主こそ本気か?手応えが無さ過ぎるように感じるのだが」
非難を込めて、エラズルは少々手荒に戸を閉めた。
「何だよ、お前もやるか?」
無言だが、視線が冷ややかに否定する。
「のう、書物整理の様子はどうだ?ずっと手伝っていたのであろう」
エメラルドが尋ねる。エラズルは気怠そうに椅子に腰掛けた。
「明日中には終わらせます…また手伝いますから。そちらはどうです?魔物の長に依頼された“グリート”討伐は終わったのですか?」
「早急に片づけたいのだがな…相手が出て来ぬのだ」
「明日中に終わらせるに決まってるだろ?明日は朝から探して、とっとと片づけて帰るぞ」
おどけたようでもなく、アンバーは言い切る。
少しの違和感を感じながら、エメラルドは頷いた。
アンバーが手に持っていたカードを床に置く。その小さな音がして、静まる。
数日前に比べると、日が落ちるのが早くなったように感じられる。外はもう暗かった。
「…そういやお前、ラルド、って呼ばれてたよな」
「うん?…ああ、里に居た頃のあだ名をラピスに教えたのだよ。問題があったろうか?」
「いや?呼びやすいよな、と思って」
「では、主もそう呼ぶが良い。今ではジェムや長ほどしか用いぬが」
アンバーが肯定して、また静かになった。沈黙に耐えられないのか、彼はまたすぐに口を開く。
「…酒飲みたいな」
「……いいかげんになさい。本当に明日中に仕事を終えようという気があるんですか?」
言ったエラズルの機嫌が悪いようなのは、誰の目にも明らかだった。
エメラルドはアンバーをちら、と見る。
「そりゃあ、大アリ?」
肩をすくめて、苦笑。
「…元より期待などしていませんでしたが、はっきり言って失望しました」
頑ななエラズルの眼差しを、不自然にも笑ったまま、アンバーは受け止めていた。

夜半に降り始めた雨が、未だ続いている。
風は無い。真っ直ぐに滴が落ち、絶え間ない水音が聞こえている。
「けっこう降ってるな」
広間から子供達の声がする中、ランドリューの声は静かな部屋にはっきり響く。
持っていた本を丁寧に棚に入れてから、彼は窓に手を当てた。
「本当に今日帰るのか?」
「ええ、出来ることなら」
エラズルは城へ持ち帰る書物をまとめ、積み重ねる。それから、床に散らばっている本を適当に取り、眺めた。
顔をしかめる。
「ああ、そりゃ俺の昔の研究ノートだ。今となっては貴重な内容かもしれないな。…興味があるなら持っていってもいいぞ」
「結構です」
「…なあ、何か気にくわないか?」
「そんなことは…」
彼は口を噤んだ。心中、自分を諫める。
どう思っていようと、それを表に出すようなことがあってはならない。仕事として。
「そのように受け取られる行動を僕がしたというのなら、謝ります」
「……ひとつ言っとくと、ちょっと未熟だな、ラズ。バレバレだ。そういう時は“一言もの申す”ぐらいの勢いで言っときゃいいんだぞ」
露骨に、不機嫌そうにエラズルはランドリューを見上げた。
彼は不快に思ったようでもなく、穏やかに見返す。
「僕が、思っていることを口にするのだとしたら」
研究ノートを下に置く。
「……過去にあなた方が行っていた実験や、あなたの今現在の行為に、非常に嫌悪感を覚えます。それによって造られた身ですが、僕は…」
「あー、そりゃ俺も同感だ。あいつらの“リランナ”創造だの何だのって詭弁にはヘドが出たね。俺のノート見りゃ解るが、奴等に反抗して生活に役立つ草花の実験とかやってたな。だから昇進出来なかったんだな俺…だけどな、今ってのは何だ?」
「あの三人の“リランナ”はどう見ても、ここ数年で造られたものでしょう。だとしたらそれは、戦後、あなたが造り出したもの以外にはなり得ないと思いますが」
「……何つったらいいんだろうな」
ランドリューは軽く頭を掻いた。
「そういう訳じゃないんだが、まあ、そう考えることも出来る」
明確な説明を求めるように、エラズルは黙っていた。
どちらかが何か言う前に、扉が開いた。
「ただいまっ!」
花弁のような美しい淡黄の髪の女性を連れたラピスラズリが、笑顔で現れたが、そのまま硬直する。
「ラピス、俺は周囲の空気を読めとか、そういった類のものは教えなかったか?」
「やだなあ父さん、ちょっと手違いがね。ほら、ミーシャがラズに会いたいって」
ミーシャと呼ばれた女性が頭を下げた。無愛想に返すエラズル。
「という訳で折角だからお昼にしよう、はい決定ー」
無理矢理な笑顔で、ラピスラズリが提案した。
ランドリューは呆れ気味に肯定して、立ち上がる。
「ラズ、好きに本見てていいからな」
こういう場合は手伝いを申し出るのが礼儀だとは心得ていたが、言い出すタイミングを逃し、またそうする気にどうしてもなれず、エラズルはその部屋に残った。
開いたままの扉から見ると、三人は和気藹々と歩いている。
不快感が一気に増して、彼は静かに戸を閉めた。
手にとって見たノートには、確かに植物に関するランドリューの研究が綴られていた。

鬱陶しく降り続く雨が、アンバーの苛立ちを掻き立てる。
適当に振りまわしたオールが、濡れた草を刈って木に軽い傷を付けた。
「何故そのように焦りを抱くのかは解らぬが」
その長い柄を、エメラルドが掴んで止める。
「大自然にそれをぶつけるのは筋違いであるよ」
「解ってるよ」
彼が手を離すと、アンバーはオールを引いた。
雨が、彼の声を消す。詫びたようではあったが。
「…こう雨に降られては、探すのは容易ではなかろう。足跡も見えぬ。一度戻って明日にしたほうが良いのではないか?」
「いや、無理だ」
「目安は今日であったが、仕方なかろう。このまま探したとて、風邪を引くのが関の山である」
「俺は無理なんだって」
言い放つアンバーを、エメラルドは少々むっとして睨んだ。
「…一体、何があったのだ」
「は?」
「主は解り易い。昨夜から態度が違っておる。……何があったか話してみるがよい」
重くなって前へ下がってきた髪を後ろへおいやって、アンバーはエメラルドに目を向ける。
「嫌だね」
あっさり言って、彼は立ち止まっていたエメラルドの横を通り過ぎた。
地面のぬかるみは、何度も彼のバランスを崩す。
木々が生い茂る中、注意深く、だが闇雲に歩く。
「嫌だとは何事か。ならばその態度改めよ」
「何でもねえよ」
「何でもなくなかろうが」
追ってきたエメラルドがアンバーを振り向かせようとした瞬間、彼は歩みを止めていた。
「…おい」
低く囁く。彼の目線の先を映して、エメラルドの表情から余計な感情が消えた。
雨に打たれて、一頭の鹿が横たわっている。
一咬みで致命傷になっている喉元の傷。
腹部は明らかに食われていた。飛び出した骨から、血が滴る。
身体の各部から流れ出す鮮血は、水と混ざって広がっていく。
「死んでから時間経ってねえな」
「“グリート”は近いに相違あるまい」
「……“グリート”じゃない。“合成獣”だろ」
エラズルには真実を伝えなかった。
“グリート”の長の依頼などではない。
彼等の仕事は、最近目撃された“合成獣”――戦時に、南方で造られていた生物兵器の撃破。
アンバーは、オールを持つ手に力を込めた。
真摯な表情は、また別の意味で、城の彼とは違って見えた。