7・華の集い-3

城の四階に上っても、彼女の姿は見あたらなかった。
既に準備に行ってしまっているのかもしれない。
何とか会議に間に合えば良い、と、ジェイドは見回す。
目についたのは、恐らくサファイアと同じ会議に出ることが多いであろう文官だった。
その男は大分年も取っており、王がまだ王子であった頃から仕えている者のはずだった。
ジェイドは彼に近付き、事務的に尋ねた。
「お忙しい中申し訳ございません、お尋ねしたいことがあるのですが」
「おや、ジェイド様…いかがなされました?」
男は厳つい顔つきながらできる限りの微笑みで答える。
「秘書官のサファイア・ヴィクテル殿をご存じありませんか?急ぎの用事があるのですが…」
男の表情から笑顔が消えたのは明らかだった。
訝しく思いつつ、ジェイドは返事を待つ。
「サファイア殿なら、この先へ行かれたと思いますが」
「…そうですか」
礼を行って去ろうとした彼女を、文官が呼び止めた。
「…何か?」
「……ご忠告だけしておきますが、彼女をあまり信用なさらないほうがいい」
「どういう意味です?」
「彼女がどこの出身かご存じで?」
「いいえ」
「西方です。それも、陛下が戦時に制圧なさった西方領主の館ですよ」
「……それが何か?」
「彼女はつながりを持っていた領主を裏切ってこちらに付いたのです…陛下も何故彼女を身近に置いておかれるのか…」
ジェイドは内心の嫌悪を隠しきれずに顔をしかめた。
もちろん、目の前の男に対しての。
「彼女の“セラド”としての能力は確かに有能ですが、彼女を信用していない者は少なくありません。特に、古くから陛下にお仕えする者は…頭に留めておいて頂きたく、申し上げた次第です。お時間を取らせて申し訳ない」
「ご忠告、ありがとうございます」
王の騎士は、苦い顔で廊下を曲がった。
自制心の強さに自分で感心する。
その先で、出るに出られなくなっていた彼女に微笑みかけた。
サファイアは、苦笑を浮かべて立っていた。
「サファイア、忘れ物だ」
「…ありがとう、今気付いて戻ろうとしたところだったの」
「準備に困るだろうと思って…今持ってきて丁度良かった」
「ええ、助かったわ」
ジェイドはサファイアにメモを手渡す。
彼女は真っ直ぐにジェイドの目を見て、告げた。
「…全部、本当よ」
「何が?」
「文官が言っていたこと。隠していた訳じゃないの。ただ…知られなくていいのなら知られたくなかっただけ」
「………」
「私は、西方領主の所有物だった。自分を守ることしか考えられなくて…従うことしか出来なくて」
決して彼女は、暗い表情を見せなかった。
過去の失敗話でも話すように、ただ、苦笑いを浮かべるだけ。
それは精一杯の強がりにも見えた。
「少し、ね。私はあなたが羨ましいのよ、ジェイド」
「私が?」
「誰かを守れるような強さ。私も……持てたら、って」
「…違うよ、サファイア」
サファイアと対照的に、ジェイドの微笑みは翳っていた。
「私は確かに陛下の騎士で、ファリアの騎士で…でも、私が本当に守っているのは、騎士として守っているのは自分自身なんだ」
「自分…?」
「正しくは、自分と一番大切な人……友人というのか家族というのか、自分でも解らないけれど」
それは今まで見たことのないような、王の騎士の弱さだったのかもしれなかった。
彼女から語りだした事ではある。だが、サファイアはそれ以上何も聞けなかった。
「……ありがとう、ジェイド。今日は本当に楽しかったわ」
「ああ、そうだ。リアからの伝言がある」
ジェイドはいつもの彼女のように気丈な雰囲気に戻って、優しく呟いた。
「“今度はもっと色々な人を誘って、またお茶会しましょう”」
「………ありがとう」
答えた声は小さかった。
それでも、彼女の笑顔は苦笑ではなかった。
「そうだ、これから資料を取りに行くのなら、私も手伝おう」
「え?一人で持てることは持てるけど…手伝ってくれるのなら嬉しいわ」
二人は資料を取りに行こうと、廊下を曲がりなおす。
その先に、妙な光景が広がっていた。
人が倒れている。
「ロードナイト、エメラルド…?」
その傍らに立つ二人に、サファイアが呼びかけた。
彼等は足元――倒れているのは先程の文官だった――を見て、溜息をつく。
「……うっかり」
「え?」
「うっかり、が重なったのだ」
エメラルドは、何故か抜いていた刀を鞘におさめた。
「仕事を終えて戻ってきたところ、ロードナイトと会ってな。しばし話ながら歩いていると、こやつの耳障りな言葉が聞こえてきて…気分がすっかり悪くなってしまった。気晴らしにロードナイトと剣の打ち合いでもしようと刀を抜いたのだが」
どうやら、彼等が文官の言葉を聞いていたらしいことは解った。
「…うっかり手が滑って、切っ先をこやつの鼻先に突きつけてしまった」
サファイアは、驚いたように二人を見ていた。
「何が起こったのか解らぬこやつがよろめいた顔の横に、これもまたうっかりロードナイトが剣を突き立ててしまってな。そのまま気を失ってしまった。文官とは気が弱いもののようである」
ロードナイトも剣をおさめたが、哀れな文官は床に転がったままだ。
「今日ここにアンバーがおらぬことをこやつは感謝しておくべきだと我は思う。うっかり、頭に棒が直撃していたやもしれぬ」
「そういうことだ」
サファイアは何も言わず、彼等を見た。
過去を知ったはずなのに、追求することもなく。
ただ、そこで、いつものように笑いかけてくる存在。
西方に居る間にずっと、追い求めていたもの。
光。
「………毛皮シャンプー、甘味愛好家」
それは照れ隠しだったかもしれない。
向けられた言葉の意味がわからず、二人の騎士は妙な顔をした。
それが何を意図するのか察してしまったジェイドは、慌てて口元を抑えて笑いを堪える。
「ねえ、これから資料を取りに行くのだけど…もし手が空いていたら手伝ってくれない?」
「うむ、よかろう。こやつは壁際にでも寄せておけば、じきに目を覚ますであろうしな」
「……それはそうだが、とりあえず医務室に運んでおく」
流石にそのままにしておくのは気が引けたのか、ロードナイトは文官をかついだ。
「これからまた会議か?頑張るがよい」
エメラルドがふと告げた言葉に、サファイアは短く答えた。
その一言に、様々な意味を込めて。
「ありがとう」


――光に形があるとしたら、それはきっと。
きっと、この場所なのだ、と。

7・華の集い End