7・華の集い-2

話題の始まりは、風邪を引いたエラズルの安否だった。
「大分良くなって…あと数日休めばいいって陛下も言ったのに、今日から仕事に復帰したのよ、エラズル」
サファイアが説明すると、ファリアは仕事に対して固執しがちな弟への心配と病状回復の安堵の入り混じった微笑みを浮かべた。
「でも、良かったです…倒れるぐらいの風邪、っていうからすごく心配だったんですけど、そんなに長引かなかったみたいですね」
その時心底安心したようなユナに、ムーンが一言横槍を入れた。
「ユナちゃん、エラズル様大好きやもんなー」
瞬間に、ユナの顔が真っ赤になる。
「え、だ、だって、ほら、エラズル様綺麗だし美人だし…っ!」
慌てて、恐らくファリアに対しての弁解をしようとしているユナは、弁解にもならない形容詞を並べた。
「憧れというか、見てると幸せというか…そんな感じですよ!!」
ファリアは可笑しそうに笑い、その様子を周囲も笑って見ている。
「ファリアさんもすっごく綺麗で、“天使”っていう名前が似合ってて、本当に美人な姉弟だな、って…」
「そうですよねー。ジェイド様と一緒に居るところなんか見てると、騎士とお姫様に見えますよ!」
ムーンの言葉に、ジェイドとファリアは顔を見合わせる。
サファイアとアクアマリンが同意して、二人は照れくさそうに微笑んだ。
それを見て、ムーンとサファイアがまた軽くひやかす。
半ば無理矢理に、ジェイドが新たな話題を出した。
「あ、でも、ユナさんにもロードが居るだろう?」
「お兄ちゃんですか?」
「そうですわ。とても素敵な殿方ではございませんか」
アクアマリンの誉め言葉に、ユナは少し思案顔になる。
「ロードナイト様、いっつも覆面してるから…侍女うちでも素顔が気になるって噂になってるんですよー」
サファイアやファリアがムーンに同意する。
「うーん…でも、私、覆面してるお兄ちゃんの方が好きだったりしますよ」
何となく、本当に何となく、視線が彼女に集まった。
妹にそこまで言われてしまう彼の素顔とは。
問いただして良いものか、微妙な沈黙が流れる。
「覆面とかって、何かミステリアスでいいと思いません?覆面外しちゃったら、ミステリアス度が下がるというか何というか…」
「あ、ああ、そういうことね!!」
「びっくりしたわー」
サファイアとムーンが言う意味が解らず、ユナは目をしばたかせる。
「そういえば、ジェイドは見たことがないの?ロードナイトさんの素顔」
ファリアが横の席のジェイドに問いかけると、彼女は控えめに肯定した。
「ああ、一度だけ…」
彼女が予想していた通り、ムーンを始めとして彼の素顔を知らない五人の無言の追求が向けられる。
「……私は、整っている顔だと思った」
ユナに目をやると、彼女も答える。
「お兄ちゃん、顔は格好良いほうだと思いますよ」
その答えに納得した五人だったが。
「昔はすっごく可愛いかったんですけどねー」
今の彼からは到底想像出来ない形容詞に、また探求心が沸く。
今度はジェイドも驚いたようにユナを見た。
「小さい頃は女の子みたいにも見えた、ってお父さんが…」
ユナは思い出すように、ぽつぽつと語る。
「前は結構、一緒にお風呂とか入ってたんですよ。私、お兄ちゃんを洗うのが大好きで…でも最近は全然洗わせてくれないんですよ。私が水着着るって言っても嫌だって」
ぽつぽつと語られる言葉が途切れて。
そこにはまた、沈黙があった。
先程よりもずっと長い沈黙が。
ユナは不思議そうに見回して、続ける。
「…動物の毛皮洗うのとかって、楽しくないですか?」
呆気にとられたような間の後、突然起こる笑い。
「そっち、そっちね!」
「びっくりしたわー、ユナちゃん!!」
やはりサファイアとムーンの言葉は理解出来なかったが、ユナはとりあえずあわせて笑ってみた。
「お兄ちゃんの“晶角狼”姿、長毛だから洗いがいがあるんですよ」
彼の“本性”を見たことがあるらしいジェイドが頷く。
「あ、狼っていえばエメラルドさんもだよね」
そこで、ユナがアクアマリンに話題をふった。
「そうですわね。兄様は“ヴェルファ”の狼にございますから…しかし私は兄様と年も離れておりますし、離れて暮らしていた時期が長かったものですから、兄様のことは多くは存じ上げないのです」
「あら、そうなの?」
「しかし、長様が兄様のことを色々とお話して下さいました。例えば…」
アクアマリンは少し考えるように首をかしげ、話し始める。
「兄様は、お酒にめっぽうお強いとのことです」
彼のイメージに合わなくもない、と、聞いている方は納得した。
しかし。
「“ヴェルファ”は狩りの後、酒宴を催したりすることがあるのです。その席で兄様は、他の方々と同じように飲み続け、その方々が酔い潰れて眠ってしまっても、一人つまみの茹で豆と団子を召し上がりながら退屈そうに飲んでいらっしゃったとか…」
「…お酒と豆とお団子……」
お菓子に人一倍詳しいユナは、そのあまりにも合わない食べ合わせに呆れたように呟く。
「それから、兄様は団子だけではなくて甘い物がお好きなようで…獣狩りへ行くときの携帯食に、団子とおはぎだけを持っていったこともあるそうです」
「…………団子とおはぎ弁当……」
いくら好きでも流石に胃もたれしそうなメニューに、全員が閉口した。
ルビーだけが、心の底から美味しそうだと思っているように目を輝かせてはいたが。
「そういえば、ムーン様のお兄様も愉快な方ですよね」
邪気の無い微笑みで、アクアマリンは次の話題に移った。
「兄…ですかー。そうですねー…」
「ムーン、今日はいつもみたいな話し方しないのね?」
サファイアが、彼女が話し始める前に言った。
「あ、訛ですかー。一応、言葉は正しておこうとは思ったんですけど…集まっている方々が方々ですから…」
「気にしなくていいのに。ねえ?」
恐らくその場で一番位の高いサファイアの意見に、ジェイドやファリアも同意する。
「面白い、って、すごく人気じゃない」
「そうですか?では、お言葉に甘えてー」
明るく笑って、ムーンは訛混じりにブラッドの事を語り始めた。
「兄は…ああ見えて結構頑固やったりするんですよ。あと、負けず嫌いというか…この前野良猫を見つけて、兄が寄っていったんですけど思いっきり手え噛まれて…“これはオレとこいつの愛の証なんや!!”とか言ってみたり、解けないパズルに一日向かってから、やり方間違ってたのに気付いて“新しい遊び方を見つけるのは難しいわ!!”とか言ってみたり」
「あー、ブラッド君ならやりそう!」
「せやろー?しかしまぁ、兄は普通に普通の“ヒュースト”やからなー。あんまり面白いこと無いですよー……ウサ…」
「うさ?」
「や、アンバーさんとかはどうなんやろなー、と思って」
うっかり勝手なあだ名で呼びそうになったのを誤魔化して、ムーンは話題を変えた。
「アンバーと一番一緒に居るのはルビーよね」
お菓子を食べながら楽しそうに話を聞いていただけだったルビーは、サファイアに呼ばれて言う。
「うん、ルビー、アンバー大好きだよ!!いっつも遊んでくれるの!」
「そっか、ルビーちゃん、いつも楽しそうだもんね」
大きく頷くルビー。だが、彼女はその場にいた誰もが予想もしなかったことを口にした。
「でもね、たまーにアンバーがぼーっとしてるの」
ルビーの大きな瞳は、今その場に居ない彼を思っているかのように、ふと真摯になる。
「そういうときは、ルビーが笑うの。そしたら、アンバーも笑ってくれるんだよ」
「…そうか、良かったね」
二人の仲の良さを微笑ましく思うかのように告げたのはジェイド。
しかし、その表情が少し翳ったようにファリアには映った。
彼女が、ジェイドの名前を呼ぼうとしたその時、不意にサファイアが立ち上がって後ろを振り向いた。
「パオ?」
「え?」
気配などそこには無かった。
だが、彼女が振り向いた先から姿を見せたのは、黒髪の異国の青年だった。
「あ、もしかして陛下が呼んでるのかしら」
パオは答えず、頷くだけで返事をした。
「そういう訳だから、私はここで失礼するわね。呼んでくれてありがとう、とても楽しかったわ」
「いえ、来て下さってありがとうございました」
ファリアが立ち上がり、少し慌てたように去っていくサファイアを見送る。
それから、まだ立ったままだったパオに向き合った。
「こんにちは、初めまして」
パオは頭を下げる。
「パオさん、折角来たんですからお菓子とか食べていきませんか?」
ユナの提案を否定する者はいなかった。
ただ、誘われた当人だけが困惑しているようだった。
ルビーがテーブルの上にあるクッキーのリボンをするりと取り、椅子から降りるとパオのもとに駆け寄る。
「パオ、しゃがんでー!!」
小柄な彼を見上げる少女の言うとおりにすると、彼女は背中の方にまわって、彼の一つにまとめられた髪にそのピンク色のリボンを器用に結びつけた。
「パオも女の子ー!」
「よろしければ、パオさんも座ってくださいな」
ファリアにも促され、断りきれなくなったパオは従った。
サファイアが居た席に腰を下ろそうとして、椅子の傍らに落ちている紙切れに気付く。
拾い上げると、書類の種類と準備枚数らしきものがびっしりと書いてある。
「パオ、どうした?」
ジェイドはその紙を受け取って眺め、すぐに判断した。
「…サファイアの忘れ物だな…すぐに使いそうなものだから、今届けてくる」
自分が行く、というようにパオが彼女を見たが、ジェイドは首を横に振った。
「いや、少し向こうに用事もあるし、私が行ってくる。パオはゆっくりしているといい」