6・いもうと

――彼女の姿は、酷く人目を引いた。
幼い体を隠すように被った布から、清流を思わせるしなやかな髪がのぞいている。
一人で馬に乗っているのが不釣り合いだと思える程、彼女は小柄だった。というよりは、年端もいかぬといった感じだ。
手綱を握る者こそ別だが、彼女に物怖じした様子は無い。
巻衣を数重かさねた風変わりな衣服には、華やかな模様が染め描かれている。
馬が止まり、彼女は顔を覆っていた布を肩まで下げた。
その白布は、毛皮であった。所々灰の縞の入った、繊細な獣の毛。
澄んだ海色の大きな瞳の下――彼女の頬の辺りには、黒色の刺青のような、証があった。


ジェイド・アンティゼノが四階へ上がったとき、窓際にロードナイトが立っていた。
「ロード、何をしている?」
「お前を待っていた。サファイアが、話があるそうだ」
「……何か聞きたそうに見えるのは、私の気のせいか?」
普段よりも少しだけ視線を向けてくる彼に、ジェイドは尋ねた。
ロードナイトは言い難そうにしていたが、心持ち小声で告げる。
「王宮魔導士の所へは行ってきたのか?」
「今、その帰りだ。四日前に比べると大分良くなったようだ」
「そうか」
「心配なら、そう言ってやればいい。会いに行くのだって」
ジェイドは少し笑いながら言った。それに反して、ロードナイトは苦い顔だった。
「…そうもいかない」
「何故?」
「私にそういった考えはないが、一般に我々“リスティ”は、造られた“リランナ”を卑下している。私が見舞ったところで、彼は良くは思わないだろう」
「…そうなのか?」
「種族間の隔たりは浅くない…“共存”は難しいのだと思う」
「……不可能ではない、と思いたいな」
ジェイドの静かな言葉に、ロードナイトは小さく肯定した。

声は鈴の音のようで、その姿は愛らしい人形のよう。
どこかで見たような作りの服と、顔の模様。
「お初にお目にかかります、アクアマリン・ローレッツィと申します」
膝をついて頭を垂れ、少女はそう挨拶した。
ジェイドは目をしばたかせてから、サファイアを見る。
「エメラルドの妹さん」
「…ああ、やはり」
「今、エメラルドはルビーと買い物に行っているみたいだから、彼女に城内を案内してあげて欲しいんだけど…私、急ぎの仕事があって」
「解った。…アクアマリンさん、私はジェイド・アンティゼノ。この城の騎士です」
「アクア、でようございますわ、ジェイド様。よろしくお願い致します」
“ヴェルファ”の少女は愛らしく微笑んだ。

「兄、今すんごいもの見たんやっ!」
日常の習慣である兄へのタックルを華麗に決め、ムーン・ストーンは興奮気味に言った。
突き倒されかけたが、ブラッド・ストーンは何とか踏みとどまる。
通りすがりの侍女、侍従がそれを見て声をひそめて笑うのも、また日常。
“妙な訛の双子の愉快漫才”は、城に仕える者の中でちょっとした名物になっている。
ぱっと見知的そうな双子が繰り広げる突飛な会話はそれを密かに楽しみにしている者もいるほどだ。
――ともかく。
「何や、姉。何見たんや?」
「プリンスがめっちゃかわええ女の子抱き上げて歩いとった!!」
プリンス――それはファリアをかいがいしく守り、城内の女性の心を引きつけてやまないジェイドに、騎士と言うより王子様、とムーンが勝手に付けたあだ名である。
ちなみに、どうやら彼等には遊び人に見えるらしいアンバーは、遊楽所にいる女性の格好から“ウサギちゃん”、“ヴェルファ”で狼のエメラルドにはニュアンスで“ワンコ”、常に図書室に居るエラズルには“(図書)局長”の名がついている。
本人に断りなく、彼等の内だけのあだ名を付けるのは、双子の、特にムーンの趣味だった。
――それはいいとして。
「ホンマか!?どんな子だったん?」
「ちいちゃくて髪が長くてしっかり揃ってて、目がぱっちりした美少女や!ほっぺたのトコに証があって、ワンコと似た作りの服着とったから間違いなく“ヴェルファ”や!」
「それ、もしかしてワンコの妹さんやないんか?居るって話聞いたことあるんよ」
「――かもしれん!!それにしても流石プリンスや。女の子とおるのが似合っとる」
そう言われることを彼女が喜んでいるかどうかは別の話だが。
「それにしても、この城もいろんな種族で賑わっとるな。おもろいわー」
ブラッドが、何ともなしに呟いた。
その笑顔をもしエメラルドが見ていたら――――少しは救われたかもしれないのだが。

アクアマリンを一目見たファリア・ルドツークは、顔を赤らめて破顔した。
アクアマリンも見惚れるようにファリアを見、少し俯く。
「リア、エメラルドの妹だ」
「初めまして…私、ファリア・ルドツークといいます」
「アクアマリン・ローレッツィと申します。アクアとお呼び下さいまし」
彼女は顔を上げた。幼い顔に浮かぶ大人びた表情は、種族特有なのだろうか。
「ファリアさん?」
その時、多少気後れした様子でユナが顔を覗かせた。
「ユナさん、来てくれたの?」
ファリアが迎える。ユナは、手に紙箱を持って入ってきた。
中身は洋菓子で、白色のクリームと赤い果実が飾られている。
「…素敵!私も時々作ってみるけど、こんなに綺麗に焼けないわ。…ほら、ジェイド、昨日あなたにユナさんへのお手紙頼んだでしょう?」
不思議そうに佇むジェイドに、ファリアが声をかける。
「ラズが、ユナさんはお菓子作りが得意だと言っていたからお願いしてみたのよ」
「あ、の、光栄です!」
塔内の部屋に入って来たときからユナの顔は紅潮気味だったが、“綺麗で憧れの王宮魔導士”の名が出るなり赤みが増したようだった。
アクアマリンは物珍しそうに、彼女からすると“見たことのない菓子のようなもの”を眺めた。
「……アクアさんは、これから予定はあります?」
「いいえ、兄様が戻っていらっしゃるまでは何もございませぬ」
「それなら、四人でお茶会しましょう?」
「私のような者がご一緒してよろしいのですか?」
先程垣間見た大人びた様子はなく、彼女は瞳を輝かせた。
頷くファリアが楽しそうなのが解って、ジェイドは微笑む。
――何故だろう、嬉しかった。
ジェイドが初めて来た時のファリアは、まさに今のエラズルのように人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。
その様子は、触れてはならぬ神秘的な美しさをたたえているようでもあったが、ジェイドにしてみると――これは、ジェミニゼルでもそうだろう。
今のファリアのほうがずっと良い、と感じる。
誰かと居ようとするファリアは、優しい表情をするようになったから。
かつて“魔族”と呼ばれ、忌まれてきた“リスティ”であることや幼少時のしがらみが、こうやって少しずつ取り払われていったなら。
彼女は外へ出られるだろうか?
穏やかな表情でジェイドは思索し、椅子に腰掛ける。
――そんな彼女が羨ましい。
自分はどうあがいても、“しがらみ”から逃れられないのだ、と。
彼女は心中つけ加えた。

「さて、何しようか…」
アクアマリンと庭を歩きながら、ユナが呟いた。
“ヴェルファ”以外の遊びを知らないという彼女に、非番のユナが付き合うことになったのだ。
ファリアは茶会の後片付け、ジェイドはまた、頼まれてエラズルの様子を見に行った。
「かくれんぼ、は二人でやってもあんまり楽しくないし…第一、隠れる所が多すぎるのよね。前に、エメラルドさんがルビーちゃんとやってるのは見たことあるけど…」
「まあ、兄様が…」
アクアマリンは複雑そうな表情を浮かべ、彼女を見上げる。
「色々と遊びはあるんだけど…そうだ、おにごっことかどうかな?」
「鬼…とは、隠の字を語源に持つ、もののけのことでございましょうか?」
「…え?あ、うん、きっとそんな感じかな。でね、最初に“鬼”の役になた人が、そうじゃない人をつかまえるの。つかまったら、今度はその人が鬼!本当は、これももっと人数がいたほうが楽しいんだけどね」
「つまりは、鬼となり他の者を追う遊戯にございますね?」
「そうそう。あ…でも、その服じゃ無理だよね……」
ユナは、アクアマリンの服が明らかに運動に適していないのを認識した。
動きにくい、というかは、重そうな服。
そうだとすると、やはり室内の遊びを考えたほうが良いのではないか――
しかし、アクアマリンは首を横に振った。
「お心遣い、ありがとうございます。しかし、問題はございませぬ」
彼女は、服の帯の紐を解いた。
はらりと帯が落ち、数重に着重ねていた巻衣がはだける。
その下から現れたのは、貫頭衣に近かった。
薄桃色のそれは膝丈で、腰には細く薄い布の帯。
それを見たのがエラズルであったなら、“忍”の服であるとすぐに言い当てただろう。
“忍”とは“ヴェルファ”内で、パオのように隠密的な仕事を得手とする者のことである。
知らないユナは、その不思議な格好をただ見ていた。
アクアマリンは先程解いた紐で、長く、切り揃えられた髪を頭上で結んだ。
その姿どこか、兄のエメラルドを思わせる。
脱いだ着物を丁寧にたたんで、彼女はユナに向きなおった。
「これで、ようございますか?」
「うん、大丈夫そうだね。じゃあ最初は…」
「ユナ様。私に鬼の役をお与え下さいまし」
始めは鬼をやろうと思っていたユナだったが、アクアマリンが真剣なので頷いた。
いくら相手が“ヴェルファ”でも、相手は10近くも離れた少女。まさか追いつかれることはないだろう。
頃合いを見て、捕まってやれば良いのだ。
しかしそれが大誤算であったことを、僅か数秒後にユナは知ることになる。