5・汚れた宝石-3

銀糸のような髪が美しい、と幼い頃から思っていた。
今は隠れた純白の翼も、時折見せる笑顔も。
彼女は誰もに自慢したかった、自慢の姉――
「はい」
紅茶のカップが置かれて、彼は我にかえった。
記憶の中の彼女と、目前の彼女が重なる。
――彼女は明るくなった。以前よりもずっと。
「……でも、ラズが昼の時間帯に出てくるの、珍しいわね」
ファリア・ルドツークは彼の向かいに腰掛けて、微笑んだ。
「今日は、大した仕事が無かったんです」
「アンバーさんと、図書室の整理をしているんじゃなかったの?」
何気なく尋ねられて、彼は気まずそうに頬を赤らめる。
「…リアに会いたかったから、来たんですよ」
「凄く、嬉しいのだけど」
試すように、ファリアは彼を見つめた。
「ラズは絶対そんなこと言わないのよ、ラピス」
「……何故そこでその名前が出てくるんです?」
彼は苦笑いしながら席を立つ。ファリアは立ち上がって、彼の長い髪をつかんだ。
すっと、抜けるように――髪がとれて、見えたのは長く尖った耳に、肩までの髪。
「こんなものつけたからって、私が解らないと思ったの?……ラピスラズリ」
「……やっぱり、リアにはかなわないな」
声は同じだが、雰囲気が全く違う。
悪戯っぽく笑って、彼――ラピスラズリ・ティミューシュは鬘を拾った。
「リアとラズに会いたくてさ。さっきの本心だよ?どんな所で生活してるか見たかったから、ラズの服借りて城内を少し見てきて…あいつ風邪でダウンしてたし、一日ぐらいかわってもバレないかと思って」
「そういうことじゃないでしょう、ラピス」
「っ、と…ちゃんと服返すし、悪かったと思ってる。本当ならリアに会ってラズの顔見るだけで帰ろうとかとも思っ」
細い腕が背に回された。
暖かい手、優しい香り。
「あなたが生きていて良かった……また会えて、嬉しいわ」
「…うん」
伏せ目がちに肯定した彼は、音に気付いてファリアから離れた。
「ラピス」
扉にもたれるようにして、現れたエラズルが呼びかける。
荒い呼吸が体の不調を訴えていた。しかし、金の双眸はラピスラズリを見据えている。
「ラズ、何で出てきたんだ!?寝てないと!」
辛そうな彼に手を貸そうと近付くラピスラズリを、その目が否定した。
「どうしてあなたが居るんですか」
「ラズやリアに会いに来たんだって」
「誰の指示ですか」
「そんなの、俺の独断に決まってるでしょ。誰に指図されたんでもないし」
「あなた、何を考えているんですか?自分の立場を弁えなさい!」
声を荒げたエラズル。一番面食らったのはファリア。
表情豊かだったラピスラズリから、その感情が消えた。
「僕も、あなたも、作られた道具にすぎないんですよ?持ち主の命もなく動くなどということが許されると思っているんですか?」
「俺には持ち主なんていないよ。道具じゃないから……モノじゃない、“人間”――俺も、ラズも」
「――だからあなたは出来損ないと言われたんですよ!」
吐き捨てられた言葉と、冷たい瞳。
込み上げてくる思いはどれも言葉にならず、ファリアは口を噤んだ。
ただ、泣きだしそうな表情は隠すことができなかった。
足先まで冷えて立つのもやっとだったが、エラズルは何も答えないラピスラズリから目を逸らさない。
彼の、哀れむような瞳が酷く気に入らなかった。
「…僕は、あなたに二度と会いたくありませんでした」
ラピスラズリも動かずに立っていた。
そう言われる覚悟は出来ていた。彼に会おうと決めた時から。
「あなたなんか…」
言いかけたエラズルを、突然手が制した。
戸惑うエラズルの体が宙に浮く。重さが無いかのように、彼はエメラルドに抱き上げられていた。
「ジェイド、エメラルドさん」
ジェイドはファリアとラピスラズリの二人を順に目で追う。
「無茶な病人を迎えに来た」

夜の静寂に、無機質な足音が響く。
暗い空を映す金の瞳が振り返った。
「陛下は城のほうに戻られたのか?」
「ええ」
小声で肯定したファリアの表情は沈みがちだった。
エラズルが自室に強制送還された後、ジェミニゼルが塔にやってきてラピスラズリと話をしていた。
ジェイドは長椅子にいる彼女の隣に座り、ただ、黙る。
「…ねえ、ジェイドも聞いてくれる?私たちのこと」
「もちろん。聞かせて欲しい」
「前に、ラズが“リランナ”で、遺伝子的に私の弟だと話したわよね」
「ああ、そう聞いた」
「…そのとき“リランナ”として生まれたのはラズだけではなくて…ラピスラズリ、あの子もなの」
ジェイドの曇り無い淡茶の瞳は何の感情も映さない。
かつて、“リスティ”に向けられてきた畏怖や嫌悪すら。
「試作型、として“グリート”ではなく“リスティ”の遺伝子を組み込んだ卵を、育つ前に二つに分けた。ラズとラピスは人工的な双子、言い方を変えると」
「互いに、クローン」
「そうなるわ」
胸の前で組んだ手に額を乗せ、ファリアはうつむく。
「……森で獣に殺された母と、その隣に居た私に気付いたのが南方で生物学に関わる“ヒュースト”だったの。保護してくれたことには感謝していたわ。…でも、母の遺伝子を使って“リランナ”の子供が造られたと聞いたとき、私は他者全てが怖くなった…その時からよ、外に出ようとすると気分が悪くなるの」
肩を震わせる彼女の頭を、ジェイドの手が優しく撫でる。
「最初、二人のこと凄く嫌いだったわ。会うのも嫌だった…でも、ラピスは何回追い返しても話しかけてきて。…その頃はまだ、ラズには会ったことが無かったの。二人は別々に育てられていたから」
「育成環境による差異、とか…か?」
「そう。ラピスを育てていたのは施設内で一番明るくて人間らしい人…ランドリューという人で、ラズはその反対。ラピスはいつも楽しそうだったけど、知識や魔術の面ではラズに劣っていて、だから…」
「“出来損ない”…聞こえていた」
「……」
ファリアは顔を上げて、ジェイドと目線を合わせた。
そこに在るものをそのままでとらえる瞳。偏見の無い眼差。
「私が7歳の時だったわ。陛下が…その時はまだ王子だったけど、施設を潰してくれたの。戦争中の武力行使だったけど、私は嬉しかった。ほとんど監禁だったから」
「それがジェムとの出会いか」
「助け出されて、ラズと初めて会ったわ。でも、そこにラピスは居なくて…巻き込まれて死んでしまったと思っていたのよ。ランドリューさんが連れて逃げてくれてたって、さっき聞いたの」
「…きっと、リアとエラズルに会いたかったんだろう」
ファリアは小さく笑ったが、それはどこか寂しい。
「私…いつの間にかラピスのこと弟だと思えるようになっていて、正直あの時、どうしてラピスではなくてラズなのか、って酷いこと考えてた」
彼女の声が細く消えそうになるが、ジェイドは一言も聞きもらさぬよう耳を傾ける。
「ラズ、そのことに気付いたのか、それとも別のことにだったのか今でも解らないのだけど…私に話した最初の言葉は“ごめんなさい”だったのよ」
目を伏せて、流れかけた涙を止めようとするファリアをジェイドは見ていた。
「施設はもう無くて、何にも縛られることはないのに、ラズはずっと“道具”のまま変わらない…変われないのかもしれない、けれど……私には、何も…」
「…リア、大丈夫だ」
ジェイドは静かに笑いかける。
エラズルが首から下げていた石。
淡茶の、ジェイドの瞳の色に似た琥珀。
「あいつが居る」

「…ラピスは帰ったんですか」
「帰ったぞ。ジェムからまたいつでも遊びに来るよう言われておったがな」
エメラルドは、新しく付け替えた扉の前に腰を下ろした。
「何のつもりですか」
「主がまた無理をせぬよう、ジェムに番を命じられた。大人しく眠るがよい」
「言われなくともそのつもりです。見張りは必要ありません」
エラズルは言い放ったが、エメラルドは動じない。
「ジェムに告げられた以上、これが我の仕事だ。悪いと思う気持ちがあるのなら、一刻も早く風邪を治すのだな」
エラズルは答えなかった。
エメラルドもしばらく黙っていたが、思いついたように口を開く。
「…のう、何故主はあそこまでラピスを嫌っておるのだ?」
「…何故、そう思います?」
「態度がそう言っておる。しかし、あやつは主と生まれを同じくするのだろう?少し話をしたが、愉快な者だ。…理由が解らぬ」
「…嫌い、ではありません」
エメラルドが首をかしげた。
彼に対するエラズルの言葉に、一片の好意が含まれていたとは思えない。
「ただ、好きでもありません。嫌いだと感じるのは、それだけその相手を意識しているということです。どうでもいい相手には、そんな気持ちも起こりませんから」
「…どうでも良い、と?」
「はい。何処に居ようと、生きていようと死んでいようと僕には関係ありません」
どんな軽蔑よりも強い拒絶。
「…そのようには見えぬがな」
「……静かにして頂けますか。僕の眠りを妨げるのは、あなたの仕事の趣旨とは違うでしょう」
「すまぬ」
短く告げて、エメラルドは壁にもたれた。

静寂。
風の音すらしない夜が、更ける。

5・汚れた宝石 End