4・隠密派-3

それは、あまりに自然な出会い。
アンバーが食堂へ駆け込んだまさにその時、彼はそこに居た。
あたかも通行途中と言わんばかりに、異国の青年が歩いていた。
「見つけたぞ、ぐるぐる触覚野郎!!」
迷惑を顧みない大声――実際は人もまばらでそれほど迷惑でもないが――で、アンバーは呼び止める。
成程、前髪が触覚のようにも見え、服に四角が渦巻く模様が入っている。あながち間違いではない表現だったろう。
彼のこめかみのあたりがやや赤かった。アンバーは、それがあの一撃だと確信する。
彼が近づくと、異国の青年は後ずさった。
「散々逃げ回りやがって…」
その時、アンバーは彼の左腕にある赤い十字架に気付いた。
自分にとってはジェミニゼルに対する尊敬と友情の証。他に身につけている者が何人か居るが、それぞれ王への何かしらの思いの表れであろうそれ。
「お前も、ジェムの」
意図してではないだろうが、彼の言葉を遮って上から何かが降りてきた。
瞬時に表れた実体のない獣が、頭上にいつの間にかあった球体が変化して出来た、とアンバーも青年も気付いていた。
「邪魔です、アンバー・ラルジァリィ」
静かに入ってきたのは、エラズル。
「邪魔はどっちだこの野郎!」
「怪我を負いたくなければ退けたほうが良いと言っているんです」
実体のない獣は唸りこそしないが、鋭い双眸で二人を睨め付ける。
「――――きゃっ!?」
入り口からの悲鳴はユナのもので、傍らにはロードナイト。
彼女は事態が飲み込めず困惑しているようだった。彼は、事態の大きさに顔をしかめている。
その、刹那の全員の一瞬の隙をついて、異国の青年はアンバーとエラズルの二人の横を抜けた。
すぐさま反応したロードナイトが行動するよりも早く、彼は入り口から走り出る。
「――――な、っ…!」
「…速い……!!」
彼を追ったロードナイトとユナに続いて、アンバーもぽかんとしているルビーをひっつかむと食堂を出た。
エラズルは自らの魔術で形作った獣に飛び乗り、窓へ走る。
獣は律儀にも窓を開けてから外へ飛び出した。

「――待て、触覚野郎!」
先を走る二人に追いついたアンバーが、走りながら空いている手で武器を構える。
振ろうとする瞬間、逃げる青年が何かを投げつけてきた。
「――!!」
棒で受け止めたアンバーが見たのは、三本の細長い針。
牽制だったのだろう。止まれば当たらないような飛距離だ。
青年の腕の正確さにぞっとするものを覚えながら、それでもアンバーは止まらなかった。
青年が向かっているのは城の出入り口。だが、どうしてあんなにも人だかりが出来ているのか――
「だー・かー・らっ!兄は楽観的すぎるんや!男が女装して女が男装しとるカップルなんか気色悪いやないか!」
「姉は差別的すぎや!男と男、女と女は勝手にせい言うて、何で逆転カップルはアカンのや!」
最早元の話題が解らない双子の即興漫才を中心に集まった人混みを、異国の青年は突っ切って、扉を開く。
「そんなん…兄っ!キイ坊や!!」
「ほんまや!行くで姉っ!」
二人は頷き合うと、青年を追って外へ出た。

空はほんのり橙がかり、地面の影は大きくなっている。
後ろから来るのは侍従と侍女らしき双子。
どう考えてもただの“ヒュースト”で、むやみに攻撃することが出来ない。
「見つけたっ!」
左方の窓から出てきたのは、王の近衛騎士と王の婚約者。
彼に至っては昼頃見舞われた額への一撃の恨みがあるが、そういう場合ではない。
いつしか右方に現れたのは、王直属の騎士とその妹。
彼等になら多少の攻撃も可能かもしれないが、残り二方面を気にしながらでは対処しきれない。
そして、大きく迂回してきたのだろう。
前方を塞いだのは、獣に乗った王宮魔導士。
「……!!」
手の出しようが無くなって、彼はその場に立ち止まった。
普段ならばこのような失態などあり得ないはずだった。
彼等の動きにはまるで脈絡が無く、それでいて連携的だったからだ。対処のしようが無い。
彼を救ったのは知人の一言だった。

「…みんな揃って何してるの?」

ジェミニゼルは困惑気味にその様子を見ていた。
傍らのエメラルドは初見の異国人を、目をしばたかせて凝視している。
声をかけたサファイアが青年を見、それからずらりと揃った面々を眺める。
「お、かえりなさい……」
とりあえずの挨拶をアンバーが述べた。
「パオ」
「…パオ?」
ジェミニゼルが呼んで、異国の青年がそちらへ行くのを四方を囲んでいた七人が目で追う。
「彼はパオ・ルー、ロゴートの者だ。私に仕えてくれていて、しばらく南方へ出向いていた」
何も言わずにパオは一礼した。
「聞いてねえ、ってか…人騒がせすぎだろお前」
「あなたが勝手に騒ぎ立てただけです」
パオに告げられた言葉に、エラズルが一言横槍を入れる。
アンバーはきまり悪そうにしたが、すぐに次の言葉を投げかける。
「…大体、天井裏に居るのとかおかしいだろ」
「パオ、人の多いところ嫌いなのよね?」
サファイアの言葉に頷くパオ。アンバーは深く嘆息した。
「解った。俺が悪かった。ごめんなさい」
「…誠意の感じられぬ侘びの言葉よの」
何が起きていたのか解らないエメラルドの呟きは確かに聞こえていた。アンバーが睨んでくる。
「えっと、ユナちゃん、頼んでおいたもの出来てる?」
「え?あ、あの“アンニンドウフ”っていうお菓子ですか?」
「そうそう。パオ、それが好きなんだって。無事に帰ってきた訳だし、ささやかながらお祝いしようと思ってたのよ」
パオが驚いたようにサファイアを見る。彼女は微笑んだだけだった。
「良ければ、お前達も来ないだろうか?」
ジェミニゼルが七人へ向けて告げた。嬉しそうに駆け寄ったのはルビーで、出席して良いものかと戸惑っているようなのはブラッドとムーン。
「…折角のお招きですが、陛下、僕は辞退させて頂きます。今日為すべき仕事も残っておりますし、誰かがお開けになった天井の穴を仮に塞いでおかなければなりませんので」
「天井の穴…?」
「平謝りします俺がやりましたごめんなさい」
去っていくエラズルを思い切り睨んでからアンバーはジェミニゼルに頭を下げた。
王は何事か予想はついたようだ。苦笑して顔を上げるよう言う。
「それにしても、エラズルまで出てきてるなんて珍しいわね。何があったの?」
「え」
その言葉は、エラズルとルビーを除いた追跡者五人から各々に発せられた。
後に続く言葉は無い。
「…何があったのかよく解らないけど、パオ、大変だったみたいね」
サファイアが問うと、パオは妙に重々しく肯定した。
夕暮れの風が、優しく吹き抜けていく。
夏が近いことを告げる、暖かい風。
――とりあえずそんなことはどうでもいいのだ。

何だか無駄に時間が過ぎたような、そんな一日だった。

4・隠密派 End