4・隠密派

――全ての事象には何かしらの原因があるのだ、と。
そう、信じていた夏も近いある日。
パオ・ルーは追われていた。多方向から。
“人間”は楽しいから笑い、悲しいから涙を流し、追われるから逃げる――だが。
何故、彼等が追ってくるのか。
原因の解らぬまま、彼は逃げていた。気付けば夕刻だった。


昼時を過ぎた頃だった。
「アンバー・ラルジァリィ」
エラズル・ルーンベルクは数秒の思考の後、重い口を開いた。
王宮に仕える者としてはおろか、一般常識人としての振舞いが欠如しているのだ、彼は。
刃のついていない棒状の武器で天井をつついたり、高い本棚の上部を探ったり――エラズルにしてみると、全くもって理解不可能な行動。
「何をなさっているのか解りませんが、いいかげんになさい」
彼の武器をエラズルが片手で掴んだ。アンバーは振り向いて言い放つ。
「今忙しいんだから放っとけ」
「…あなたという個がどんな信条に基づいて行動なさるのか僕は知りたくもありませんが、この図書室を訪れる万人が迷惑を被ると気付かないのですか」
「んなこと言われても」
「ここへ許可を取って訪れる一般市民の方々が、陛下の近衛騎士を咎められるとお思いですか?陛下に仕える者として言わせて頂きますが、あなたは自らの立場や行動の顛末を熟考してから動くべきです」
何倍にもなって返ってくる言葉に、ややげんなりしてアンバーは溜息をつく。
「アンバー、また怒られたね」
彼の足元にいるルビーが慰めるように告げた瞬間、居合わせた大多数が失笑した。
近衛騎士の彼を言い負かしたのも、なだめるのも年下。
「こういうものを振り回したいのなら、中庭でするのが常識でしょう。ここは歴史的にも学問においても大変価値のある、貴重な文献も多くあるんですよ?…別にあなたがそれらを損なうと言っているのではありませんが」
「あー、解った解った。どうもすみませんでした」
彼はエラズルから武器を奪い返す――その反動で、先端が天井を突く形で衝突した。
ガスッ!
「――――がッ!?」
はらりと落下する天井の塗料を、その場の全員が眺めていた。
天井に穴があく音と同時に発せられた、何者かの声。
「――何か居たぞ今!?」
「あなた、何て事するんですか!?」
「雪みたいで綺麗だねっ!」
ちぐはぐな観点からの感想を口にして、王宮関係者は各々向き合った。
それを硬直状態で見つめる周囲の人々。
「やっぱり居やがった!どこ探しても見あたらねえから天井裏辺りかと思って正解――」
即座に駆けだしかけたアンバーの腕を、細腕に不似合いな力でエラズルが引き止める。
「この天井の穴、放っておくおつもりですか?」
「それどころじゃねえだろうが!」
「それどころじゃない?」
アンバーは彼の手を振りほどいて、見下ろす。エラズルが蔑むように見返した。
「あなたは仮にも城に仕える身でありながら、それを破損させた挙句、大事ではないとおっしゃるのですか。そうまでして何を追っているんです?」
「ぐるぐる四角の触覚野郎だよ!」
荒々しく告げた彼と裏腹に、空気がすっと冷めた。
「…その無駄な情熱にのぼせ上がった頭を、一度氷水づけにすることを僕はお勧めしますが」
「…最近、城で妙な男の目撃情報があんだよ。話ぐらいは聞いてるだろ?ルビーなんて飴もらったとか言い出すし」
「ぐるぐる四角のお兄ちゃんだったよ!」
ルビーは得意気に、包み紙らしきものを掲げてみせる。
「それで?僕が結界を張っている城内を自由に移動するその者が、王宮関係者ではないとでも?目撃情報は聞いていますが、そこまでして探し出す必要は無いのでは?」
「ユナも見てて、触覚っぽい前髪のインパクトが強すぎてそれ以外思い出せないって言ってたんだ。ジェムに聞こうにも、昨日からエメラルド連れて出かけてんだよ。万一侵入者だったら一大事だし、戻って来てからじゃ手遅れだからな」
エラズルは、微かに眉をひそめた。
つまりは、結界を張るという仕事に落ち度があるかもしれないという仮説。
「天井のことは、後でジェムに謝っとけばいいだろ。行くぞ、ルビー」
アンバーがルビーを担ぎ上げて走っていくのを、エラズルは止めなかった。
顔にかかってきた髪を払い、眼鏡を整える。
天井裏の何者かが侵入者である可能性があり、城の結界を潜り抜けてきたと言うのなら。
――簡単なことだ。その者の身柄を抑え、はっきりさせればいい。
結界を抜けるなどという芸当は、自分自身のみ――あるいは、自然の力を操り、絶対的な魔力を持つという、物語などに出てくるような伝説の“エルフ”ならば出来るかもしれない。
あまりに馬鹿馬鹿しい結論だ。すなわち、結界を抜けることが出来る者の存在する確率は9割以上で無しだ。
とにかくそれほどに、自信と呼べるもののある結界。
思索して、エラズルは最善の行動を導き出す。
アンバー一人に任せておくのは心許ない。
相手は気配を隠して天井に潜むことが出来る程の者なのだ。
第一、天井を棒で突くなどという古典的手法に任せておいては、いつまでも捕らえられないだろう。
エラズルは、図書室を後にした。

侍女の話では、彼は今日は二階に居るらしいということだった。
廊下を曲がったところで、窓を背に、ノートに何か書き留めている少年を目にする。
毅然とした態度で歩み寄り、エラズルは口を開いた。
「ブラッド・ストーンですね?」
彼はよほど熱中していたようで、声の主に気付いて目をぱちくりさせる。
目の前に立っていたのは、滅多に図書室以外で見かけることはなく、まさか会話をすることがあるなどとは思ったことも無い相手だった。
「あ、はい?」
「幾つか尋ねたいことがあります。よろしいですか?」
少年――ブラッドは新人侍従であるにも関わらず、城内屈指の情報通という話を聞いていた。
城で流れる噂の中心は彼であるとも聞く。これほど好都合な相手もいないだろう。
外観は、栗色の短い髪に黒色の瞳で、やや幼い顔立ち。かけている眼鏡は伊達だろう。
エラズルと大差ない年齢であろう――つまりは、一般的な少年。
「ええ、と…何でしょう?」
「ここ数日、城内で目撃されている不審人物のことなのですが」
「ああ、その話ですか!!」
おもむろにノートをめくり、ブラッドは得意気に読み上げる。
「えーと、『噂ナンバー109・謎の出没自在男!』平和な城に突如あら・・・」
「前置きは要りません」
「…黒髪、黒目で異国風の服装、身長は160㎝前後と思われ…エラズル様と同じぐらいでしょうか?で、ルビー様の証言『ぐるぐる四角のお兄ちゃん』、ユナちゃんの証言『前髪触覚さん』です。お二人や他の皆さんも、人気の無い所で見かけたそうですよ。ちなみにルビー様がその男からもらったという飴は、星形で紅茶味…」
「そこまで聞いていません。あなたは情報の取捨選択に努める必要があるのでは?」
「どうでもいいところまで突き詰めるのも楽しいですけど…」
彼はノートを閉じて若き王宮魔導士を見た。エラズルは小さく吐息する。
「それはいいとして、異国風の服装、と言いましたね。…ルビーの視点から考えて、『ぐるぐる四角』とは服の模様のことでしょう。それに加えて黒髪…恐らくそれはロゴート、現在ウィルベルグと国交が始まったばかりの国の者でしょうね」
「ロゴート…」
「貴重な情報でした。礼を言います」
エラズルはそれだけ言って去っていった。彼が廊下を曲がりきったのを確認して、ブラッドはノートに書き加える。
『エラズル様の重大発言、男はロゴートの者!?』
「に、い―――!!」
気付いても対処のしようが無い勢いで、エラズルが去っていった方向とは逆の廊下から、少女が駆けてきた。
とどまらぬ勢いは、タックルとなってブラッドを襲う――彼は、少女と一緒に倒れた。
「あー、もう何すんねん、姉!」
「そっちこそ、局長と何話してたん?兄!」
何事もなかったかのように立ち上がり、身なりを整えた少女は、ブラッドと同じ顔をしていた。
同じ、と言い切ってしまうには多少の差異がある。極端に似ているのだ。
少女――ムーン・ストーンとブラッドは双子。年齢のためか、身長差もあまり無い。
大きな違いといえば、ブラッドの眼鏡とピアスだろう。
「何か触覚異人さん探しとるみたいや。オレに話聞きにきたんよ」
「兄も有名になったなぁー…ってそうやない!異人さん、さっきウサギちゃんも探しとったのあたし見かけた!」
「ほんまか!えらい二人に追われとるなぁ…そや、姉、触覚さんにもあだ名つけるんか?エラズルさん達みたく」
「そやな…異人さんといったら奇人さん・・・変人さん?」
「オレとしてはアンバーさんがウサギちゃんってのが気に入っとるんやけど」
「異人奇人変人異人奇人変人異人奇人………“キィ坊”!!どや?」
「ええやん!…な、姉、オレらもキイ坊探してみん?面白そうや」
ブラッドは、懐に噂帳をしまい込んだ。
愛らしい双子の、不敵な笑み。
「そやね…世のため人のため城のため、キィ坊探ししますか!」