3・オオカミ-2

二人がエメラルドと合流したのは半刻程後。
エメラルドに別段変化は無く、城での彼と大差無く見えた。
「それで、どうだったの?」
「うむ。やはり、長を狙わんとする者は“ヴェルファ”の狼であるようだ。……大方、“ヴェルファ”と他種族との共存を認めぬ者どもであろう。我が呼ばれたのも合点出来ることであるよ」
「そう……」
「何か不可思議な点があるだろうか?」
何か言いたそうなサファイアに、エメラルドが問いかける。
彼女が言い渋るうちに、口を開いたのはロードナイトだった。
「それは同族争いということではないのか」
「うむ、そうであるが」
「それが平気なのか、と聞いている。我々“リスティ”にもその者達と同様の理由で謀反を図る者が出ることはあるが、同族と進んで衝突する者はいない」
彼は返答に詰まった。しかし言い難いというのではなく、どう答えて良いか解らないように見える。
「平気か否か、答えるならば、平気であるが……」
「エメラルド」
サファイアが、なかなか続かない言葉を遮った。
「私たちに、“ヴェルファ”について色々話してくれないかしら。そのほうが解りやすいでしょう?」
ロードナイトは彼女を横目で見る。
何故、彼女は先を見越した発言をするのだろう。全て解っているかのような。
「時間が無い訳じゃないでしょう?」
「…うむ」
ロードナイトは密かに眉を顰めた。
この、根拠の無いことを正論であるかのように話す口調に違和感がある。
それがあらかた正しいようなのがまた、その違和感を煽る。
正確ではないことなど口にしても意味がない。無駄なことはする必要がないのだ。
そんなロードナイトの思いに二人は気付かなかっただろう。言葉にしていないのだから。
「では、我の家に案内しよう」
そう言って、エメラルドは先導して歩き始めた。

長らく留守にしていたはずの割に――
「……綺麗ね」
エメラルドの家に対する一言の感想を、サファイアは口にした。
彼の家は里の中でも大きなものだった。
部屋と部屋を仕切るのは、木の骨組みに薄い紙を貼ったもので、扉ではない。
廊下や壁などほとんどが木造で、明るい色調の木目が美しい。
外に見える庭園には、王宮にはない“ヴェルファ”特有の花が咲いていた。
「我の留守の間は、長が管理の手配を請け負ってくれておる。それに、我には妹子がおる。長のいざこざが解決するまでは他者の家に身を預けてあるが、普段は家の片づけをしているのであろう」
「妹さんが居たのね」
「うむ。“ヴェルファ”の虎である」
ふと沸いてきた疑問をサファイアが言葉にする前に、彼は二人を客間へ通した。
他の場所に比べて広く、敷物がひいてある。
椅子が見あたらないのも、“ヴェルファ”文化の特徴だろう。
「主らは、“ヴェルファ”についてどこまで知っておるのだ?」
床に腰を下ろしながら、エメラルド。
促されるままにサファイアとロードナイトも彼の向かいに座り、答える。
「獣人種族で、獣化出来ることぐらいしか知らないわ」
「同じだ」
「そうか……では、話しておくべきであるな」
彼は数秒、頭で考えをまとめたようだ。静かに語り始める。
「“ヴェルファ”は階級社会である。血統や技能によって分けられ、女性の地位は高くない。元来家を守る者とされておるから、外に出ることも少ないのだ。我は賛同しかねるがな。……まあ、“ヴェルファ”の女性が外へ出ないのには、重く華美な衣服を好むという理由もあろうが」
「じゃあ、私はここではかなり異質なのね」
サファイアは、今まで里を探索してきた自分を指す。
「うむ。そして最も知っておくべきは、“ヴェルファ”は獣化すると二度と元には戻れぬということだ」
風習の次に続いた、その内容の重さにも関わらず、あまりに淡々とした語り口調。
言われた二人が面食らって、返答を忘れる。
「“ヴェルファ”とはそもそも、“ヒュースト”と獣の遺伝子を合わせ持つ不安定な種族であり、一度獣化するとそのままで遺伝子が固定されるのだ。それは最早、ただの獣に他ならぬ。例えば我が獣化したとすると、その瞬間にエメラルド・ローレッツィという自我は消え失せる。生きてはいるが、それは死であるよ」
ロードナイトは苦い表情になった。
人型と本性、二つの姿を自在に操る彼等の種族“リスティ”からは想像もつかない実状。
「獣と化せば、我等に害を為す者にしかならぬ。“ヴェルファ”には獣化した者を狩る掟があるのだ。そして、毛皮は狩った者の勲章となる。つまりは、同族で争うのは日常とも言えるのだ」
「良く解ったわ。で、答えられなければ構わないんだけど、あなたのその毛皮って……」
控えめにサファイアは尋ねる。
エメラルドの着物の、左腕と腰のあたりは毛皮。
暗茶の毛並みは見事、と言うしかない。
城で見ていた時には、ただのデザインだと思っていたものだ。
「我の父君の毛皮であるが」
「狩った、のか?」
「うむ。母君の毛皮は妹子に渡してやったがな」
また、二人は何か言うのを忘れた。家の話の時に両親の事が出てこなかった辺りから気になってはいたのだが。
エメラルドは着物の左袖を見やった。曇りのない瞳が深茶を映す。
「我の両親は、里を獣の群から守るのに獣化した。本能でその群を諫めたのだが、その後はやはりただの獣。我は15かそこらであったが、他の者に渡さぬと必死であった。怪我を負って、数週間眠りについておったな」
「……壮絶ね」
サファイアは嘆息した。
ジェミニゼル王の近衛騎士、“剣聖”エメラルド・ローレッツィ。
いつもすぐ近くに居る彼が半分獣なのだと初めて認識する。
それには、異なる部分を持つ者に対する恐怖心も含まれていたかもしれない。
「これぐらいで良いだろうか?」
「ええ、ありがとう」
言葉が切れて、ふとした沈黙。細い風の音。
ロードナイトは目を伏せる。遠く、獣の声が響く。
彼女の、サファイアの言うとおりになるのは何故か。
考えれば解るような気はする。一つの仮説はあるが、言う程信憑性がある訳ではない。
「動くのは夜なんでしょう?私、仮眠を取りたいのだけど」
「うむ。ならば、ここを出て右の部屋を使うがよい」
「わかったわ、ありがとう」
出ていく彼女を目で追って――そういえば、城からずっと持ってきている細長い袋は何なのだろうと思う。
彼女の身長よりやや短いぐらいの長さ。あまりに自然に持っていたため、尋ねる機会を失ったのだ。
二人になった客間で、エメラルドは呟く。
「……我は夜だと言っただろうか?」
「言ってない。夜なのか?」
ロードナイトが返してくる。何故か不機嫌そうに。
「夜なのだよ」
エメラルドは首を傾げたが、本人が居ないことにはどうしようもなかった。

――――月が、昇り始める。
その白い輝きを、暗闇の中でサファイアは見つめていた。
ざわめきの音。木々が揺れる。
すべきことは一つ。それが主君の望みなら。
彼女は袋に入ったままの武器を片手に、部屋の仕切りに手をかけ、微笑んだ。
鞘に入ったままの剣の一撃―牽制だ―を、その武器で押し返す。
大丈夫だ、それぐらいで折れたりはしない。
「聞きたいことでもあるのかしら?ロードナイト」
彼は答えずにもう一度剣を振るった。
それは、彼女の脇腹を狙っていた。彼女の持つ武器が、受け流そうと剣に触れる。
瞬間、ロードナイトは魔術を放った。奇襲としか言いようのない一撃を。
空気を切り裂く風が、鋭い音を立てる。
勿論、手加減はしていた。戦いたいのではなく、見極めたいだけ。
そして予想通り、そこに彼女の姿は無かった。
「――――――……」
「ねえ、そんなことがしたい訳じゃないでしょう?」
背後からの声。彼女は剣を軸に、後ろへ跳んだのだ。
ロードナイトは身構えながら振り向いたが、彼女の敵意の無さに剣を下ろす。
「お前は私の行動を予測していた……いや、見えていた」
「そう見えた?」
「お前が口にした根拠のない疑問は悉く実現する」
「偶然だとは思わない?」
「……お前は、何だ」
真正面から、“リスティ”の騎士はサファイアを見据えた。
「当ててみて」
昼間と同じ言葉と、裏の無いような笑顔。
仮説にすぎない。口に出す価値などありはしないが。
「――“セラド”」
ロードナイトは一つの種族の名を答えた。
一瞬の、間。
「当たり」
また、微笑み。