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3・オオカミ |
長く続いた戦乱が終わりを告げ、国が再統一してしばし。
大陸の中心に位置するウィルベルグ城はその日も平和だった。
人で賑わう、丁度昼時の食堂。
そこに国王の近衛騎士と、その連れの少女が居る光景は日常のものになりつつあった。
「ねぇ、称号ってなに?」
そんな風に、紅い髪色の少女―ルビー・ラングデルドが尋ねたのは思いつきだったのだろう。
「いや、何……って」
問われても判りやすい説明が難しく、近衛騎士アンバー・ラルジァリィは言葉を濁した。
しかし即答しない一番の理由は、予想できる面倒事を避けるためだ。
「……何かしらの身分を表す呼び名、か?」
「うむ、そのようなところであろうな。ジェム王や城の要人達が、その者の能力を称して与えるものだ」
やや加えたのは、同じく近衛騎士のエメラルド・ローレッツィ。
巻衣に刀という風変わりな出で立ちの彼もまた、見慣れてしまえば城の景色にとけ込む。
「称号って、偉い?」
「大体はな。まあ、中には悪名高い称号ってのもあるかもしれねえな」
「ふーん」
ルビーは何か考えるように首を傾げた。
「そういえば、主は称号を持たぬのか?」
“剣聖”の称号を持つエメラルドは、何ともなしに隣のアンバーに問いかけた。
「俺は“指揮官”だ。この仕事じゃ発揮することはあまり無いかもしれないけどな」
「そうか、主が……他に“歌姫”や“狙撃手”などという者もおると聞いたな」
「いたのか、そんなの」
「我の知るのは話だけであるよ。…ただ、大方の予想はついておるがな」
「あのねっ」
称号を持つ二人に羨望の眼差しを送っていたルビーが、テーブルに身を乗り出す。
「さっきエラズルが、アンバーは“特攻隊長”が似合うって言ってたよ!」
彼女に悪気は無いのだろう。恐らくは、その半分嫌味の称号も素晴らしいものだと思っている。
エメラルドは失笑を禁じ得ず、アンバーは引きつり笑いする。
「あのガキ……」
「いや、流石は“博士”であるな」
「おい」
アンバーは半眼でエメラルドを見たが、彼は動じなかった。
「ジェムって“宝石王”だよね!」
ルビーはまだこの話題をやめるつもりは無いらしい。
「ジェムのは、称号っていうよりあだ名だな。ほら、ジェムってのは宝石のことだろ?あだ名からきたあだ名ってとこか。称号っていうんなら、“英雄王”のほうじゃないか?」
「ねえ、ルビーも称号欲しいな!!」
一通り説明を聞いて、彼女はとうとうそう告げた。
この話題を振られた瞬間から、この発言が来ることは何となく予想出来ていた。
アンバーは仕方無しに考えを巡らせる。
期待を込めて見上げてくる素直な瞳――二人の近衛騎士が同時に思ったのは。
――――“御転婆娘”。
まさか口に出す訳にもいかず、彼等は意図せず同時に目を逸らした。
「ねえ、称号ー」
「いや……なあ」
「むう」
まだルビーは何か訴えてくる。
いよいよ困ったその時に聞こえた声は、エメラルドにとってまさに救いの手だった。
「エメラルド、陛下がお呼びよ」
彼らのテーブルに近付いてきたのは、国王の秘書官サファイア・ヴィクテル。
彼女ならば機転の利いた答えをルビーに返してやれるのかもしれないが、王の用事となれば急ぎだ。
「うむ、そうか。ではアンバー、しばし頼むぞ」
これを好機と、そそくさと席を立つエメラルド。
迎えとして来たサファイアは、アンバーの恨めしそうな視線の意味は理解出来なかった。
「……何だか良く解らないけど頑張ってね?アンバー」
ただし何かあることは悟ったらしく、気休めにもならない言葉はかけた。
アンバーは肩をすくめる。
ルビーは彼の服の袖を引き、未だ「称号」と繰り返していた。
その光景を、食堂に居合わせた者達が微笑ましく見守る。
――それから後、しばしの別離が待つことに、誰が気付いていただろう?
******
欠けた月は、少し翳っていた。
遠く、長く引いた獣の声が届いたような気がしてエメラルドは顔を上げる。
幻聴か、目を閉じてみても次はない、静寂。
星は身を隠していた。その小さな光は、ぼんやりとしている。
「エメラルド?」
不意に立ち止まった彼を呼んだのは、一人馬に乗るサファイア。
「……何事も無い。案ずるな」
彼は普段よりも言葉少なだった。それは仕方のないことかもしれない。
サファイアも、それ以上何か言おうとはしない。
もう一人――“聖騎士”ロードナイトも寡黙であり、自然と訪れる沈黙。
しかしそれは息の詰まる類のものではなく、逆に、どこか安堵感のある不思議な雰囲気だった。
道中獣に襲われた場合を懸念し、騎士の二人は徒歩である。
城を離れて四日は経過しているが、他種族とは持久力が元々違うのか、彼等に疲労の色は見えない。
頼もしい騎士二人を馬上から見下ろすサファイア。
彼女の服は、秘書官の時の長衣ではなかった。
外歩きのための薄い外套。しかし、十字架は変わらず身につけていた。
それは彼女にとっても誓いの証だった。主君への、そして、そうしている自身への。
夜風が、彼女の青髪を吹き抜ける。
「見えた」
エメラルドが再び歩みを止めた。
闇の中に見えるのは、紅い色。炎だろうか。
不確かに揺れる光が、その位置を誇示するように存在している。
紅い光が、道標のように。
「あの灯火は、獣を遠ざけるためにあるのだ」
彼の瞳は、揺れること無く静かだった。。
「……あれが“ヴェルファ”の里であるよ」
隠里、と呼ぶには活気があり、村と呼ぶにはやや小さい。
“ヴェルファ”の里はそのように感じられた。
往来の衣服は、王宮ではエメラルド以外には見られない着物。
かえってサファイアやロードナイトが浮いて見える。
里は周囲を森に囲まれていた。森には獣が住み、それは彼らの敵であり、生活に必要な物資でもある。
建物は木製で、光源は炎。自然とともに生きる獣人種族――“ヴェルファ”。
「我は長の元へ参上する。しばし里を見て回るがよい」
エメラルドは言い残して歩いていった。彼等が里に着いたのは、城を出て五日目の昼前だった。
“ヴェルファ”の現在の長、カガリ――彼がジェミニゼルに要請し、エメラルドを里に呼び寄せたのだ。
「割合平気そうに見えるわね、エメラルド」
サファイアの言葉に、ロードナイトは目線で答えてきた。恐らくは、肯定。
彼女は続ける。
「……そういう種族、なのかしらね?」
「解らない」
彼の声は、覆面を身につけている割に良く通る。厳格な雰囲気さえ漂う低い声。
無口さ故に彼の言葉は殊更際立つ。
「あなた、こういう雰囲気好きでしょう」
「何故だ」
「何となく。あなたと彼等、近い所がある気がしたからよ」
訝しげに目を細めるロードナイト。サファイアは冗談めかして笑う。
「そんなに真剣に考えなくてもいいじゃない」
「……まあ、嫌いではない」
ロードナイトは目の届く範囲で里を眺めまわした。
人通りは少なくない。獣をかついでいる男性や、走りまわる子供。
少し気になるのは、女性が見あたらないことだ。10歳かそこらの少女の姿はいくらか見受けられるが。
「何か気になった?」
またも尋ねてくるサファイア。
表情―といっても目だが―に表れたのだろうかと、ロードナイトはふと思う。そんな頃合いの質問だった。
「……女性が外に出ていない」
「そういえばそうね」
はた、と気付いたように、サファイアも辺りを見回す。
数秒動きを止めてから、彼女は呟いた。
「……これで、普通なんじゃないかと思うわ」
「……何故、そう思う?」
彼女の発言には根拠は全く無い。しかし妙な真実味があるうえ、自信もありそうだ。
どうでも良いことではあるが、ロードナイトは問いかけた。
「さあ、どうしてかしらね。当ててみて?」
「解らない」
即答する彼に、サファイアはまた微笑む。
ロードナイトは不機嫌そうに顔を顰めた。
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