2・白亜塔の天使-2

塔は七階、現在地は三階。
三人は廊下へと場所を移した。
「ルビーは最上階に居るのだな?」
「ええ。気配がします」
「この魔術を解くことはできぬのか?」
答えを予測しつつも、エメラルドは問いかけた。
「はい。私の作った塔なら可能なのですが……今は、私の魔力をルビーが使っている形になりますので、ルビー次第です」
話す彼等の周りを前後左右、獣や“グリート”が駆けてゆく。
ふとジェイドが後ろを見ると、床から木が生えてきて大きな花を咲かせた。
花には、子供の落書きのような顔。しかも、それは笑いだした。
「……奇怪で愉快な所よの」
エメラルドは苦笑し、ジェイドは小さく溜息をつく。
「本来の白亜塔は華美すぎず、質素すぎず、ファリアに相応しい場所なのだが」
「でもジェイド、時々は変化があったほうが素敵よ」
前触れも脈絡も無く木が増えた。笑い声が不協和音を奏でる。
「ともかく、今の塔はルビーがあなたから隠れるために造っているのだから、見つけだしてやれば魔術は解けるはずだ」
「うむ」
ごん、と音をたてて頭上に落下してきた木の実を払い、エメラルド。
「行きましょうか?」
ファリアは小さな密林と化した辺りを見回した。
「しかし、良いのか?助力は有り難いが、妙な生き物も生息しておる。危険もあろう」
「ええ。ルビーの造る塔ではありますが、私の魔力です。影響を受けようとしない限り、私には何も問題ありませんし」
いっそのこと自分が探してこようかというファリアの申し出は、辞退する。
騎士として、ルビーの身を預かる者として、途中で投げ出すことは耐え難かった。
しかし、とにかく助力はありがたい。相手は塔なのだから。
「では」
それはジェイドが言いかけたときだった。
一群の馬が、蹄音高らかに突進してくるのが廊下の向こうに見える。
彼等は真顔で反対方向に駆けた。

二分程彼を眺めてから声をかけるのが、彼女の日課だった。
いつも彼は物憂げで、ふと遠い目をする。
本から顔を上げた瞬間に流れる青紫の長髪。カタン、と眼鏡を置いた瞬間にのぞく素顔。
――――何て素敵なんだろう。
「エラズル様、昼食をお持ち致しました」
「……ありがとうございます」
若き王宮魔導士は振り向いて盆を受け取る。
彼女は軽く礼をして、厨房に戻る――と見せかけて、本棚の後ろから更に三分程彼を観察する。
これもまた、日課。
どうやら彼は淡泊な味が好きらしい。
――あっさりしたデザートには何があっただろう。作ったら、食べてもらえるだろうか?
何となく、考えてみる。
「……暇なんですか?」
背を向けたまま、エラズルが言ってきた。声をかけてくるとは珍しい、と彼女は思う。
――流石は王宮魔導士様、気付いていらっしゃった。
しかし決して暇つぶしなどではない。こ五5分のために、他の仕事を性格かつスピーディにこなしているのだ。
だが、それをわざわざ口に出すのもおこがましい気がして、彼女は黙っていた。
彼のそれ以上の追求は無い。少々残念でもあるが。
「……ユナ、何をしている?」
唐突な、頭上からの声。
無理もない。兄の身長は彼女よりもずっと高いのだから。
ユナはあからさまに不機嫌そうな表情になると、後ろに立っていたロードナイトのマントを引っ張って、階段辺りまで連れ出した。
「……?」
ロードナイトは怪訝そうにユナを見下ろす。
「……時と場合、とかあると思うの」
「それはそうだろうな」
妹がどういう文脈で話をしているかが判らないので、彼はとりあえず話を聞いた。
「あと一分ぐらいは大丈夫だったの。今日なんて声までかけていただいて」
ちら、とユナはエラズルの後ろ姿を見やる。幸せそうな溜息。
「……そんなに王宮魔導師が」
その言葉の後に、一体何をつなげようとしたのか。
ロードナイトは自問した。そう、自分には関係の無い話だ。妹の問題であって。
「エラズル様って、綺麗……」
関係は無いのだが――今の妹の発言はやや不自然ではなかったろうか。
彼は更に自身に問う。
「美人だと思うの。何だか儚げで、にこりともなさらない所が素敵……」
どうやら、それは――城内で働く女性が、稀に王子様などと呼ばれるジェイド・アンティゼノに対して抱く憧憬と酷似している、と確信して、ロードナイトは無意味に頷いた。
「サラサラの長い髪とか……羨ましいなぁ」
何となく妹の頭を軽くたたき、彼はその場を後にした。

丁度同時刻、ジェイド・アンティゼノは全力疾走していた。ひたすらに。
この塔は何かが間違っている。その何かが何であるかは既に説明もつかない。
前方に生えてきた、動くツタを切り伏せる。
魔術のかかった塔はもともとこうなり得るものだった。ファリアの塔だから清楚であったのだ。
ある意味畏敬の対象ともなるこの異変の原因はルビー・ラングデルドの感性。
追ってくるもの、前を塞ぐものはあくまでも足止めらしい。
肉食巨大爬虫類にせよ馬の一群にせよ、現在進行形で彼女を追う、やたら鳴き声の騒がしい陸鳥にせよ、殺意は持ち合わせていないようだ。
そう、これは子供の遊びなのだ。誰しもが経験のあるだろう単純な遊び。
だからといって、追われるこの状況で止まることなど出来ようか。
そもそも“かくれんぼ”とは走る遊びではなかったはずだ。
そんなことを考えるのも馬鹿らしく思えてきたが、ジェイドはとりあえず走る。
彼女は、一般的に言うところの囮だった。
倒してもきりがないのなら、逃げるしか方法はないのだから。
ただ、とにかく彼女は。
もうどうでもいいから早く終わらせてくれと切実に願っていた。

風が、鋭く冷たく響いた気がした。
最上階、階段の先にあるホールは豪雪地帯になっていた。
一歩踏み出すと足が白雪に埋まる。
妙な光景だ。窓の外には陽光が溢れ、鳥が囀っているというのに。
「あの、お寒い……でしょうね」
エメラルドの巻き衣の袖がばさばさと靡くほどの強風に雪。
声を発したファリアこそ薄着だが、影響を受けようとしていないので何も感じない。
「うむ」
それにも関わらず、彼は割合平然と歩いていた。雪に足を取られ、遅くなってはいるが。
そんなエメラルドに声をかけてきたのは――
『やあ!』
「……雪達磨?」
いつの間に現れたのか。そこには積もった雪でよく子供が造る、雪の人形らしきものがあった。否、居た。
エメラルドとほぼ同身長の巨大なそれが、手らしき木の枝を差し出してきている姿はなかなか滑稽だ。
「幼き日は我も作った記憶がある。久しいな」
それは独り言だっただろう。エメラルドは雪達磨の横を通過しようとする。
一抹の不安を感じたファリアが警告するのも間に合わず、それは突然崩れた。
「あ、エ、エメラルドさん……!」
勿論、真横に居たエメラルドはその被害を直に受けることとなる。
全身に雪をひっかぶり、真っ白―元々服は白かったが―になりながらも、彼は直立不動だ。
「……こうなるとは思ったがな。流石はルビー」
エメラルドは微かに笑っていたが、巻き衣の合わせ目、開いた胸の辺りに多量の雪が入ったのは間違いない。
散々な目にあいながらも投げ出して帰ろうとはしない彼に、ファリアは尊敬の眼差しを送った。

ホールから廊下へ出ると、そこは普通の塔だった。木や獣もなく、音楽もない。静まり返った場所。
「着想が尽きたのやもしれぬ。この先に居れば良いが」
気配を探るように、二人は慎重に歩く。
「あの扉が、この塔の最深部です」
心持ち小声でファリアが示したのは、廊下の突き当たりにある赤い扉。
子供の心理からして、最も高く、入り口から遠い、しかも豪華なその部屋に隠れたくなるのは当然だろう。
エメラルドは扉を押した。難なく動く。
「ルビー?」
数歩踏み込んだ彼は、ぴたと足を止めた。
不思議に思って扉の辺りから内部を覗き見たファリアは絶句した。
エメラルドの前に霧が具象化するように現れたのは、白色の毛並みに金色の瞳の竜。
会ったことは無い。だが、解る。
「ラング、ディミル……?」
“グリート”の長、“森の守護竜”と呼ばれる彼に、それは良く似ていた。
ジェミニゼルの話を思い返し、エメラルドは間違いないと断定する。
ルビーはラングディミルの元に居た少女だ。
今、恐らく彼女が居るであろう部屋を守るのが、ルビーの記憶にあり、最も頼りになるラングディミルなのだ、と。
エメラルドは、虚構の美しき“グリート”の長に見入っていた
それは恐怖心に似たものだったのかもしれない。彼自身も判らなかった。
「エメラルドさん!」
ファリアの声で我に返る。ラングディミルが動きを見せた。
何かをしかけてくるのではない。ただ、ゆっくりと歩いてくるだけ。
しかしその姿から視線を逸らすことが出来ない金縛りにでもあったように動けないのだ。
この虚構の竜をを斬ってルビーを探すなどどいうことは出来そうもない。
ファリアは扉の辺りから内部を見回した。
ラングディミルの姿に隠れてしまって、居場所は判らない。だが、ルビーの気配はする。
しかし、どうすれば良いだろうか。影響を受けないはずのファリア自身、足がすくんで部屋に踏み込めない。
そして、ふと思い立って、ファリアは後ろへ下がった。
近くの別の扉に駆け寄って、手をかける。
未だ魔術が働いているのだから、他の部屋にも何かしらの影響が出ているはずだ。
何でもいい。ルビーの心を映した塔から、ルビー自身の気を引くものが出てくれれば。
それをあの部屋に誘導してやればいい。
その扉を開いた瞬間、ファリアは朝の訪れを告げる鳥の鳴き声を聞いた。

追跡者の姿が消えたことにジェイドは気付いた。
走るのを止めて、息を整える。しかし妙だ、気配が増えた。
剣はおさめず、彼女は慎重に階段の方へと進む――
「――――――!?」
何か白いものが、大量に押し寄せてきた。