2・白亜塔の天使

エメラルド・ローレッツィは精悍な顔立ちに困惑の色を浮かべていた。
それ程慌てているようではないが、辺りを見ては溜息を繰り返している。
見つけられない、などとはジェミニゼル王近衛騎士の名折れだろう。
しかし、解りきっていたことだが城は広い。
彼女が庭に出ていってしまったた可能性もあるのだから、捜索範囲は自ずと拡大してくる。
こんな時は特に、相方の不在が痛手だった。
彼の行動力には目を見張るものがある――良くも悪くも。
しかし彼は今日は休みなのだ。不在を嘆いても仕方がない。
エメラルドはまた溜息をつきながら、特段意味も無く、結い上げられている髪を手で梳いた。
ふと、視界を横切る影。
エメラルドは反射的に声をかけていた。
「――ロードナイト」
呼ぶと、覆面の青年は立ち止まって目線だけ向けてきた。エメラルドは歩み寄る。
ロードナイトは以前のように姿を眩ましはしなかった。
覆面と外套、ほぼ全身を布で包んでいる彼は、城内でも目立った姿ではある。
彼の見えている髪は淡い青。瞳は銀色だ。
人から逃げるような行動を取るぐらいならば目立つ格好をしなければいいのだが、彼は“リスティ”であり、尖った耳というあまりに顕著な特徴を持っているはずである。
それを隠すための覆面、というのなら、それは彼に必要なものなのだろう。
「このような事を尋ねるのは心苦しいのだが……ルビーを見なかっただろうか」
国王直属の騎士はまばたきした。
「気配がつかめぬのだ。城内を探しても見つからぬ。どこか魔力の働く空間に居るとしか考えられぬのだが、“リスティ”の主に心当たりは無いだろうか?」
“魔力”という、不可思議な現象―炎を起こしたり、異界の者と通じたり、傷を癒したり―を発生させる力は、元来“リスティ”と“グリート”のみが持ち得るものである。それ故に、他種族は感知できない場合がほとんどのようだ。
「私のもとには来ていない。王宮魔導士か、天使の所ではないだろうか」
「エラズルのもとへは先ほど訪れた。……しかし、天使とは?」
ロードナイトが窓の外を――聳える白亜塔を見やる。
「ファリア・ルドツーク。白亜塔に住む“リスティ”のことだ」

初めて近くで見たそこは、遠くから眺めているよりずっと美しかった。
美しいが故に、どこか近寄り難い雰囲気さえもある。
人に触れられるのを拒むような、触れられては壊れてしまうような儚さ。
しかし、こうやって前でずっと突っ立っている訳にもいかない。
意を決して、エメラルドは手を伸ばした。
扉を開くとそこは――
「……むぅ」
真正面から、自身の顔ほどあるような金色の瞳が見つめてきた。
何故、塔の中に見上げる程大きな“グリート”が居るのか。
――いや、何故かと思索するのはおかしいかもしれない。彼は塔というものに初めて足を踏み入れるのだ。
存外塔とはこのようなものであるのかもしれない、とエメラルドは納得した。
耳の長い、獣型の“グリート”。敵意は無いようなので放っておく。
その背後に広がっていたのは花畑。優雅に蝶が舞っており、ご丁寧に幻想的なバックミュージックが流れるおまけ付きだ。
“ヴェルファ”の、良く言えば素直な騎士はまた納得したが、そこは常人が口を揃えて言うところの、はっきりした“異空間”であった。
奥へ進もうとして、エメラルドは、外から誰かが歩いてくる足音に振り向く。
「――エメラルド・ローレッツィ?何をしている?」
凛として良く通る声だった。会ったのはほんの数回だけだが、すぐに特定できる。
ジェイド・アンティゼノ、ジェミニゼル直属の、女性“聖騎士”。
背丈はエメラルドよりもやや低いが、同年代の女性にしてみると高い方だろう。
黒服を、皮の胸当てに外套、肩当てで覆っている。下はスカートではなくズボンにブーツ。
典型的な騎士の服装だ。
下半身の防具としては腰のあたりに布を巻いているだけで、運動性重視のようである。
落ち着きのある翡翠色の、肩にかかる程度の髪。深茶の瞳は気丈さを示しているようにも見えた。
「ジェイド」
「ここは基本的に、陛下かファリアの許し無しには入ることができないのだが……」
混沌の地――白亜塔内部に目をやって、彼女は苦笑した。
「今日はルビーが来ているな」
「すまぬな。“かくれんぼ”という遊びに付き合っているのだ。中へ探しに入りたいのだが、許しはもらえぬだろうか」
少し塔を眺めてから、ジェイドは頷く。
「そうか、それならあなたが見つけてやらないと。ただし、私も同行する。いくら陛下の近衛でも、この塔は危険だ」
それは自身の仕事上不本意でなくもなかったが、エメラルドは同意した。
得体の知れない塔に単身赴くのは愚かだ。助力を得るのも仕方あるまい、と。

そして、爽やかに横を走り抜けて行く小動物と、羽を生やした妖精、と形容するしかないような存在。何処からか響くのは密林の王者の猛り声。後ろから飛んでくるのは渡り鳥。
適当に扉を開けると、浜辺に打ち寄せる白波。潮騒。
青い海を割って出現したのは、10メートルあろうかという巨大なイカ――
「危険だ、と言った理由が解っただろう?」
ジェイドは無造作に扉を閉めた。
「……この塔は、人の心を映す」
「塔の主、ファリア・ルドツークの魔力が礎か」
「そうだ。この塔には常に魔術がかかっている」
彼女の開けた扉の先は、灼熱の――俗に砂漠と呼ばれる地帯。
向かってきた砂漠の虫の息の根を剣の一薙ぎで止め、閉める。
「ファリアは“リスティ”の中でも高位の者。塔に魔術をかけることで力の均衡を保っているそうだ」
「では、日頃の塔はファリア・ルドツークの心象であるのだな」
驚くべき早さで伸びてきて彼らの行道を塞いだのは、太さ1メートルあろうかという茨。
「今、塔が映し出しているのはルビーの心だ。記憶や知識、望み、憧れ……あなたを自分の所に辿り着かせないようにするため、そんなものが入り混じって現れているんだろう。彼女は、あなたが世話をするようになるまではよくここに来ていて、ファリアとも親しいようだから」
「そうか……このような遊びも日常茶飯事ということであるな」
「ここまで激しいのは初めてだ」
話しながらも易々と道を斬り開き、二人は二階への階段を登った。
「そういえば、あなたのその剣は特異な形をしているな」
ジェイドは、茨を切ったエメラルドの剣に目をとめた。
「うむ。これは“刀”という。“ヴェルファ”の剣であるよ」
「……私には、使い難そうに見えるのだが」
ジェイドの持つ剣は細身だが、両刃の典型的な形の剣だ。
対するエメラルドの“刀”は細身というより細長く、片刃である。
「我は幼少より用いてきたのでな。そのようなことは無いが……我ら以外の者には扱い難いのかもしれぬ。例えば」
エメラルドが、不意に刀を鞘におさめて片膝をついた。
紅の双眸が映すのは、何故か塔内に生えている木。
彼が、刀を抜く――瞬間、木が斜めに倒れた。
いつの間に戻したのか、刃は既に鞘の中にあった。、国王の近衛騎士は涼しげな表情で立ち上がる。
「居合い、と呼ぶ。このようなことも出来るぞ」
「……見事。流石は“剣聖”と言うべきか」
「そのように大それたことではあらぬよ」
簡単の声に、エメラルドはそう返した。
ジェミニゼル国王より与えられた称号、“剣聖”エメラルド。
「とにかく、ルビーを探さねばな」

ファリア・ルドツークは穏やかな表情で嘆息した。
テーブルに置かれた紅茶のカップが微かな音を立てる。
丁度正午頃だろう。光が眩しい。
白なのか銀なのか。足程まである美しい彼女の長髪が、それを受けてまるで硝子のように輝いている。
白磁の肌に瞳は金色。尖った耳に光るのは青紫のピアス。
首のチョーカーから胸元にかけて、赤十字があった。
ゆったりとした衣服の上に、羽――何の羽であるかは解らない、純白の羽が縫われたケープを羽織っている。見るものを魅了するような均整のとれた顔の作りはどこか物憂げだ。
彼女は、騎士を待っていた。緑色の髪が印象的な、力強い彼女の騎士を。
「――――その扉だ!」
「承知した!」
必死な雰囲気がひしひしと伝わってくる足音と声が響いて、彼女は扉を見た。
一人は彼女の騎士に違いないが、もう一人は――?
不思議そうにファリアが首を傾げるや否や、二人の騎士が飛び込んできた。
ジェイドが真顔で扉を閉める直前、もの凄い早さで走っていくものを彼女は見た。
それは、想像上の生物であるはずの巨大肉食爬虫類、“恐竜”のようだった。
「ジェイド、今日は遅かったのね?」
「申し訳ない……」
答えながら、ジェイドは床に腰を下ろす。
「……そちらは、エメラルド・ローレッツィさんですか?」
やや呆然としていたエメラルドは、我に返って頷く。
「ルビーから聞いています。“かくれんぼ”なさっているのでしょう?」
「うむ……しかし、難儀な遊びよの」
ちらり、と彼は扉を見た。斬ったそばから姿を見せ、追いかけてくる“恐竜”にはほとほと愛想も尽きたものだ。
「リア、すまない。彼は許可は取っていないが、事情が事情だから……」
「構わないわ。ルビーにも聞いていたし、ジェイドがお連れする方に危険があるはずないもの。二人ともお疲れのようですから、お茶を淹れますね」
ふわり、と長い裾を靡かせ、ファリアは戸棚へ向かう。
「何と清らな」
聞きなれない言葉に、ジェイドが彼を見た。
「ああ、“美しい”と言ったのだよ。ロードナイトが“天使”と賞したのも然る事であるな」
「私もそう思う。花のように淑やかな、誰よりも美しい“天使”だからこそ、私は騎士として守ろうと思うのだ」
「……そういえば、異国の言葉に“づかきゃら”というものがあるそうだが、主のような者を指すのだろうな」
「それは誉め言葉なのか?意味が解らないが」
やや顔を顰めてジェイドは問う。
「“騎士気質の女性”という意味合いのはずであるよ」
「それなら、悪くはないな」
小さく笑うジェイド。その一瞬、騎士らしい固い表情が消えて、一人の“人間”に見えた。
「……あの、ですね」
そこで何だか申し訳なさそうに口を挟んだファリアは、白色の頬を紅に染めていた。
「お褒めの言葉は嬉しいのですけど……その、恥ずかしいのですが……」
不思議そうに、ある意味鈍感な騎士二人は顔を見合わせた。