1・王と愉快な仲間達-2

いつ訪れても、城の三階は静まりかえっている。
「おもしろい本、ない?」
「こんな城の一階層分本があったら解らねえよ」
何となくアンバーが手に取ったのは数学書だった。見るだけでも頭が痛いので、開くや否や棚に戻す。
「管理人なんて居ないだろうしな……」
気怠そうにアンバーは三階を眺めまわした。やはり、見えるのは本のみ。
ルビーが楽しめるような本を探してきたのはいいが、見つかる目処が立たない。
しらみ潰しに探していたら日が暮れてしまうのは間違い無かった。
「ねえ、つまんないよぅ」
「……では、我が“ヴェルファ”に伝わる物語をしてやろう」
暇そうなルビーを不憫に思ってか、エメラルドが彼女を椅子に座らせ、自分もその向かいに腰掛けた。
何となく気になって、本を探しつつアンバーも耳を傾ける。
「今は昔。海に囲まれた島国には一人の王がおった」
まともだが大して面白くない、と判断し、すぐにアンバーは興味を失った。適当な本探しを更に続けることにする。
だが、ルビーは興味津々に聴いていた。
「その国では勇者や魔王といった、妙な職業の者が力を持っておった……しかし、それとは関連せず、王は隣町まで卵を買いに行ったのだ」
「たまご?」
「うむ、安売りだったそうだ。その王が買い付けた卵は7億6千個。うち数個は料理に使用されてしまったのだが、信じられぬことに無精卵と謳われたその卵が次々に孵化したのだ」
「えぇっ!?」
「世に生を受けた卵は6億2千とんで57。それらは次々に成長し、鶏へと変化していった」
エメラルドは大真面目に語り続けた。ルビーも本気で驚いている。
「全てをまかなうことのできなくなった王は…あろうことか、鶏を大空に解き放った」
「――――!!」
「青き空は…一夜にして白色に染まった」
ふっ、と彼は遠い目をした。まるで過去を思い起こすように。
「後に、鶏たちは一か所に集まり始めた。それらは折り重なって積み上がり、ひとつの山となったのだ。その高さ、5727メートル……」
「そんなっ!」
「山の頂だけは何故か黄色をしておった。その2741羽は、ひよこだったのだよ…」
「――――っ!!」
ルビーの大きな目から涙がこぼれ落ちた。
すかさずアンバーが、持っていた本でしたたかにエメラルドの頭を殴る。
「おい、何なんだその話!訳が解らなさすぎて面白すぎじゃねえか!」
「何を言う?これは“ヴェルファ”に伝わる説話で、何事も度を過ぎてはならぬという戒めの」
「どうでもいいが泣かすんじゃねえ!」
びしぃっ、と、アンバーがまだ泣いているルビーを指さす。
「にわとり、こわいぃ……」
「ルビー……」
エメラルドは優しく笑いかけて、彼女の頭を撫でてやった。
「この国でそのようなことは起こるまい。ジェムは卵など買いに行かぬだろう?」
「それで済ますかお前」
アンバーが口を挟んだが、ルビーはとりあえず納得したようで泣き止んだ。
「さて、そろそろルビーは昼食の時間ではないか?」
「ま、いいけどよ。どうでも」
言って、伸びをしようとしたアンバーの手を何かが掴んだ。
「あ?」
それもまた、手だった。細い割に痛いぐらいに力の強い手。
「あなたがたは、ここを何処だと解釈しておられるのですか?」
慇懃無礼で嫌味な程に穏やかな口調の言葉が告げられる。
「城の…三階」
「そして“図書室”でもあることが理解できないということはないでしょう。それに、本が武器ではないということも」
手を掴む力が強くなっていく。アンバーは引きつり笑いした。
「どうもすみませんね、博士殿っ」
ばっと手を振りほどいて向きなおる。そこには王宮魔導士エラズル・ルーンベルクが表情無く立っていた。
「万一、あなたがたに一般常識と是非を判ずる心があるのなら、直ちに立ち去ることが賢明だと僕は思いますよ」
三人は、仲良く揃って頭を下げた。

当然のことながら、厨房は一階。城の関係者が集まる大食堂はそこに隣接している。
朝のうちから頼んでおけば食事を持ち場に給仕してもらうことも出来るが、豊富な品揃えからその日の気分で選ぶのに、多くは自ら足を運ぶようだ。
流石に、国王や大臣ほどの位の者は来てはいないようだが。
「ルビーの食事は用意してあるんだよな」
少女を連れた騎士二人が向かったのは厨房の方だった。
とりあえず様子を窺うが、なにせ昼時。時間が時間だけに、せわしなく人が動いていて声をかけ難い。
「……どいつに言えばいいんだ?」
呟いたアンバーは、裾の広がった紫紺のスカートを靡かせて軽やかに走ってくる、エプロンドレスの少女に気付いた。
どこかへ食事を運んできた帰りらしい。手に盆をもっている、ぱっちりした淡い青紫の瞳の少女。
「よお、ユナ」
呼ばれて気付いたマロンブラウンの巻き毛の少女は、華やかな笑顔で答えてきた。
「こんにちは!アンバーさん、お仕事ですか?」
「まあな」
「主の知り合いか?」
何気なくエメラルドが尋ねた。答えたのは少女のほうだ。
「陛下の近衛の、エメラルド・ローレッツィさんですよね?わたし、ユナ・カイトと申します。この食堂で給仕係をさせていただいています」
「それと、パティシエ見習いだろ?」
「…ぱてぃしえ?」
聞き返したのは、ルビーではなくエメラルド。
「要は、菓子専門の料理人だろ?」
「ええ、そんなところです」
アンバーの笑顔に、やや頬を赤らめながら彼女はは肯定した。
やけにエメラルドが驚いたようなのがアンバーは意外だった。そんなに珍しいものでもないだろうに、と。
アンバーの視線に気付き、エメラルドは首を横に振った。
「何事も無い。すまぬな。横文字は好まぬのだ。初めて聞いた言葉であった」
「あ。いえ!それに、わたしなんてまだまだなんです。それより、何か用事でもありました?」
「ああ、ルビーの食事ってのが用意してあるはずなんだけど」
「ルビー様の食事ですね。今お持ちします!」
くるりとスカートの裾を翻し、厨房へ走っていくユナ。
彼女を目で追って――
「――――さっきの覆面騎士!?」
アンバーは大声をあげた。
彼の視線の先で、エメラルドの言うところの“国王直属の騎士”が手慣れた様子で野菜を切っている。
先程見た時に身につけていたマントと赤十字は取り外してあったが、目以外の顔と額を隠す覆面はそのままである。
厨房に似つかわしくないとしか言いようがないが、気にしている者はその場に居ないようだった。
ロードナイトは、ふとアンバーに目をやって、すぐに戻すとまた野菜を切り始めた。
「おい、アンバー」
諫めるようにエメラルドが呼ぶが、彼は文句の一つでも言ってやるとばかりに厨房に乗り込む寸前だ。
ルビーもまた止めようと彼のジャケットの裾を掴む。
その時、ユナが戻ってきた。
「お待たせしましたっ」
アンバーが気をとられ、ロードナイトから目を逸らす。
次に見た時、そこに彼の姿は無かった。
「……また消えやがった」
「え?なんです?」
小首を傾げるユナ。アンバーは嘆息しつつ続けた。
「覆面つけた騎士だよ。今、そこで野菜切ってただろ?」
「あ、ごめんなさい。うちのお兄ちゃん、人前に出るのがあまり好きじゃないんですよ。だから魔術使って逃げちゃったりするんです。色々、わたしの仕事を手伝ってくれたりするんですけど」
「兄」
何故言わなかったとでもいいたげにアンバーはエメラルドを見た。
「うむ。ロードナイト・カイト……ジェイド・アンティゼノとともに“聖騎士”の称号を持つ、ジェム王直属の騎士。妹君が居るとは聞いておったが、主であったのだな」
「ありがとうよ説明口調…“聖騎士”、ね」
そう言った彼の表情は羨望か自嘲か――そんなふうに見えたが、エメラルドは言及しなかった。気にならない程の一瞬の出来事だった。
そこで、ルビーが着物の袖を引いていることに気付く。
「ねえ、ルビーそろそろごはん食べていい?」
何かを訴えかけるような眼差しに、アンバーとエメラルドは苦笑いして頷いた。

「仕事、どう?」
食堂の一角を陣取る彼等に、そう声をかけてきたのはサファイアだった。
彼女もまた、赤十字を身につけている。
アンバーが初めて会ったときに身につけていた長衣は式典等の時に専用のものであったらしい。
今のサファイアは、女性らしく体の線に沿った、おとなしい作りの長衣だ。
背までの外套、それを胸元で止めているのが赤十字。
「ぼちぼち、ってとこかな」
「答えになってないわ、アンバー」
呆れたように言って、彼女は空いている席に座った。
昼食を終えたルビーは彼女の登場に嬉しそうだ。
「なあ、サフォー」
親しげにアンバーは呼びかけた。
城の案内をしてくれたのは彼女で、ここでの過ごし方や仕事内容について説明してくれたのも彼女だった。
ジェミニゼルの秘書官という立場上、公の場では格式張っているサファイアだが、日常の彼女は気さくで明るい。ルビーも姉のように慕っているようだ。
「ルビーの読めそうな本を探してたんだけど、あの図書室だろ、全く見つからねえ。何か知らないか?」
「物語やなんかはあまり読まないから……そうね、ここの本のことだったらエラズルに聞けばいいと思うわ」
「あいつかよ」
アンバーは露骨に顔をしかめてみせた。やれやれ、とエメラルドは肩をすくめる。
「さっき怒られたんだよねっ」
「そうなの?……アンバー、何やったのよ?」
「別に何も。何か知らんがあっちが俺を敵視してんだよ」
「騒がしいからの」
アンバーに聞こえなかったエメラルドの呟きは、サファイアには届いたようだ。納得する。
「エラズルはちょっとキツいこと言うけど、いい子よ?」
「ちょっとじゃねえって」
「でもね、ここで一番図書室のことを解ってるのはエラズルよ。王宮魔導士としての仕事があるとき以外は大体居るみたい。“図書室の住人”とまで言われてるもの」
「うわ、俺だったら一日で飽きるな」
心底嫌そうにアンバーは言った。テーブルの上のコーヒーを一口含む。
ルビーは、ユナ手製のデザートを幸せそうにほおばっていた。
「じゃあ、エラズルが城全体にいつも結界張ってるって知ってた?」
サファイアが話を続ける。
「そんなもんあったのか?」
「関係者とか、許しをもらった人以外が侵入できないようにね。私たちが普通に通れるのは王家の紋章を身につけてるからよ。それで一時的に結界が解除されるっていう、かなり高度な魔術みたい」
アンバーはベルト、エメラルドは剣帯、ルビーは髪飾り――これは特別製だろう――そして、サファイアは胸元。それぞれ確かに紋章を身につけている。
「今、18歳だったと思うわ。王宮魔導士で“博士”…陛下にも、この国にも大切な人なのよね」
「……それは、背負うものも大きいのだろうな」
静かなエメラルドの声。サファイアも真摯に答える。
「そうね。私も、少し気負いすぎだと思うわ」
アンバーは溜息をつき、椅子に背を預けた。
「…そういや、あいつも赤十字つけてたな」
「そういえば、あなたたちもよね。確か、ロードナイトにジェイド、あとファリアもよ」
「ここまで多いと流行みたいだな」
ルビーを除く三人は揃って苦笑した。
恐らく、込めた思いは近いのだろう。ジェミニゼルに対する何らかの敬意。
「ん……?ファリア、って誰だ?」
それは聞いたことの無い名前だった。問いかけたアンバーだけではなくエメラルドにとっても。、
「ああ、ファリア・ルドツーク。城の東に別館の塔があるでしょ?そこに住んでる“リスティ”の女性で、すごい美人よ」
「あの白亜塔か」
エメラルドが口を挟んだ。頷くサファイア。
「塔自体もすごく綺麗で……ねえ、それはいいとして、ルビーが暇そうよ」
言われて目をやると、デザートを食べ終えた彼女は、自分の髪で三つ編みを始めていた。
「では、仕事にもどろうか、アンバー」
「そうだな」
二人が席を立つ。するとルビーも椅子から飛び降りた。
「遊ぶっ!?」
「ああ。次は庭にでも行くか」
「ではな、サフォー」
サファイアと別れて、彼等は食堂を後にした。