迷子の対処の仕方

それは風景の認識に似たような感覚。
本当は最初から、お前も世界の中に居た。


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王国祭が終わり、静けさを取り戻した城下町。
しかしその期間は僅かなもので、秋のもう一つのイベントである収穫祭を控えて滞在する人が増えてきた。
アンバー・ラルジァリィはそんな街の見回りも兼ね、すっかり黄と紅に染まった並木道を歩いていた。
秋は散歩に適した季節だと彼は思う。
暑くもなく寒くもない、長い冬への僅かな準備期間。
行き交う人々の賑わいは平和な世に「生きている」証。
――それは彼にとって、必ずしも心を明るくするものではなかったけれども。
ふと、耳が拾った音にアンバーは足を止めた。
並木道ではない、横道の方から聞こえる泣き声は、一人で歩いていたのでなければ気付きもしなかっただろう。
子供の声だ、見過ごす訳にもいかずに彼は道を曲がった。
歳は未だ一桁であろう少年が大泣きしているのが見える。
そして、その前に長身の人物が屈み込み、声をかける姿が。
「……泣くな」
余りに意外な光景と優しさの含まれた言葉にアンバーは暫し立ち止まってしまった。
いっそのこと人違いであればいい――だが、それは見間違うことなど難しい相手。
言葉に顔を上げた少年が一瞬怯えた様子を見せたのも無理はない、顕著な外見的特徴をその男は持っている。
銀の眼に尖った耳の“リスティ”の騎士、ロードナイト・カイト。
アンバーにとっては極力避けている相手、どうしたものかと躊躇っているとロードナイトが彼に気付いた。
どうやら用事足しついでに妹のお使い帰りのようだ。
普段にこりともしない彼が、調理器具の見えるピンクの紙袋を抱える姿から発せられる違和感には計り知れないものがある。
積極的に他者と関わることをしない癖に、妹の頼みは聞いてしまうらしい――前に街で会ったときもそうだったことをアンバーは思いだした。
「……よお」
しっかり目を合わせてしまっては立ち去ることは出来ない。控えめにアンバーは挨拶する。
ロードナイトは立ち上がった。
「迷子か?」
「そのようだ」
短い答えが返ってきてアンバーは2人に近付いた。
少年は声をかけられて戸惑っているものの、涙は止まったようだった。
「お前、この辺の子じゃないよな」
アンバーは屈み込み、目線を合わせて問いかける。
明るい笑顔に安堵したのか、少年は僅かにほっとしたように頷いた。
「もしかして、収穫祭のために親と一緒に出てきたのか?」
もう一度頷く少年。
「だとさ」
アンバーが目線をやると、ロードナイトは思案顔になった。
城下の者ならば家に連れて行ってやることは容易い。しかし他の街から来たというならば、親と引き合わせてやるしかあるまい。
「判った、一緒に探してやろう」
そう告げたロードナイトに、特別億劫そうな様子は無かった。
外見に反して面倒見が良いのだ、彼は。
王国祭で図書室が一般開放されていた時の監視役をしていた彼が、懸命に迷子の母親を捜していたことと重なって、アンバーは苦笑する。
「手伝うよ」
告げると、短い礼が返ってきた。
未だ“リスティ”であるロードナイトを少し警戒しているような少年が、アンバーのコートの裾を掴んで離さないのをロードナイトは気付いているのか否か。
気付いていたとしても、子供を押しつけて帰るようなことはしないのだろう、何となくアンバーは思った。

東方から来たという少年は、アンバーとロードナイトの間を歩いている。
彼は未だアンバーのコートを掴んだままだが、親身になってくれる人間の登場で恐怖心は薄れ、持ち前の好奇心が戻って来ているようだ。
城下町は国の中心、様々な地域から物が入ってくる場所であるから、初めて出てきた子供の目には不可思議に映るものも多いのだろう。
瞳を輝かせ、興味津々といった様子で立ち並ぶ店を眺めては、たまに控え目にあれは何かと問いかける。
アンバーが出来る限り噛み砕いて説明してやると、少年は真摯に耳を傾けた。
「ねえねえ、じゃあ、あれは…」
少年の勢いがぱっと止んだのは、きゅう、という音が声を遮ったからだ。
その音の主は少年に他ならず。
「あ、腹減ったか?」
アンバーが問いかけると、彼は恥ずかしそうに俯きつつも頷いた。
昼を少し過ぎた時刻だ。そう自覚すると自分も空腹感に襲われる。
「何恥ずかしがってんだよ。もうそんな時間だもんなー」
何か手軽に食べられそうなものは、と周囲を見回すと、丁度通り過ぎたところにパン屋があった。
「パンは好きか?」
アンバーの問いに少年が頷いたのを見ると、動いたのはロードナイトだった。
呆気にとられたアンバーが見ていると、パン屋に向かった彼は並んでいる焼きたてのパンを一瞥して店主に声をかけた。
城でも無口な彼が買い物をしている姿もまた滑稽と言うよりは奇妙なもので。
少々気圧されている店主と、うっとりしているような看板娘の対比はなかなか見物だとアンバーは思った。
踵を返したロードナイトは、個別の袋に入ったパンを2つ持っていた。
少年にパンを手渡した彼は無言だったが、それによって少年から彼への恐怖心は漸く無くなったようで、少年は満面の笑みで礼を述べた。
ロードナイトの手にはパンがひとつ。
食べたければ自分で買えとでもいうのか、とアンバーが嫌味の一つでも言ってやろうかと口を開きかけた時、それは彼の手元に差し出された。
「へ?」
反射的に受け取ったアンバーは目をしばたかせる。
さぞかし自分は今間抜けな顔をしたのだろうと考えつつも、一応の問いかけをした。
「なに、これ俺の?」
そうでなければ何だ、とでも言いたそうにロードナイトはアンバーを見る。
「お前は?」
視線に問い返すと、ロードナイトは抱えていた荷物に視線を落として、ややあって答えた。
「……戻ったら、試食がある」
なるほど彼は、妹のお菓子作りの味見役という大切な仕事が残っているらしい。
「どうも」
簡単に礼を述べてアンバーはパンを囓った。
持ちやすいスティック状のそれは南方で採れる果物のペーストが練り混まれたもので、意外にも行き届いた配慮に感心せざるを得なかった。

それから経過したのは30分程だろうか。
未だに迷子の親に巡り会えないというのだから、親の方もこちらを探しているためにいたちごっこをしてしまっている可能性が高い。
慣れない街を歩き疲れたらしい少年は、ロードナイトが肩車をしてやると暫く眺めの良さを楽しんでいたが、今は安らかな寝息を立てている。
ロードナイトの荷物はアンバーが持っていた。
嫌な顔ひとつせずに親探しを続けるロードナイトを横目で見、アンバーはわき上がってきた感想を伝えずにはいられなかった。
「お前ってユナに対してもそうだけど、本当いい“お兄ちゃん”なんだな。今は“お父さん”にしか見えないけど」
どうせさらりと流されるのだろうとからかい調子で発した言葉は、予想に反して彼の心に止まったようだ。
面白く無さそうな表情になったロードナイトが何を言うのかと思えば。
「……こんな子供がいるような歳ではないが」
まさか年齢に対して反論してくるとは。
面白くなってアンバーは続ける。
「あれ、いくつだっけ。30?」
「28だ」
「いや、“居てもおかしくない歳”だろ」
たまらずアンバーが笑い出すと、彼は阿呆らしいとでも言いたげに溜息をついて視線を逸らした。
「はは、悪かったって!」
言いながらも、声はまだ笑っている。
ロードナイトが怒っているようには見えないが、返事は無い。面倒なのだろう。
そのまま少し並んで歩くが、アンバーがふと立ち止まって「悪かったよ」ともう一度告げた。
明らかに声の調子が変わったのに気付いて、ロードナイトも立ち止まり、振り返る。
アンバーは笑っていたが、先ほどまでのからかいを含んだものではなかった。
「……何が」
ロードナイトが短く問うと、笑顔は苦笑になった。
「お前も、俺も、今、ちゃんとここにいるんだよな」
――あのことか。
ロードナイトは王国祭が終わって直ぐの出来事を思い出す。
彼が「笑顔」以外を向けてきた日のことを。
「ごめん」
「気にしなくていい」
ロードナイトが返すと、苦笑はまた笑顔に戻った。
「さ、早いとここいつの親見つけてやろうぜ!」
この話は終わり、という意味も含んでいたであろうアンバーの明るい言葉にロードナイトは頷く。
誰かが、懸命に名前を呼ぶ声が聞こえたのはその時だった。
まさに歩き始めようとしていた騎士2人は足を止めて後ろを振り返り、眠っていた少年は目を覚ます。
目をこすった少年は、確かに自分の名前を呼ばれてその目を見開いた。
「おかあさん!」
ただでさえ背の高いロードナイトが肩車をしている状態は、まさに歩く迷子広告塔。
高々と掲げられた息子の姿に気が付いた母親が、人波をかき分けて追いかけてきたようだ。
ロードナイトが少年を下ろしてやると、周囲がその様子に気付いて道を開けた。
息を切らした母親に少年が抱きつく。母親も彼を抱き返し、アンバーは任務完了に安堵の溜息を吐いた。
顔を上げた母親はすぐに事の次第を察したらしい。
「うちの息子がとんだお手間をかけさせてしまい、申し訳ございません…!」
城の騎士を煩わせてしまったことに恐縮して懸命に頭を下げるので、逆に2人の方が慌ててしまった。
「いや、大したことしてないし、そんな気にしないでくれると嬉しいんだけど。な」
アンバーに話を振られたロードナイトも頷く。
それよりも無事に再会できたことが何よりだ、とアンバーが言うと、母親はもう一度大きく頭を下げた。
去り際に少年が振り返る。
彼は幸せそうな笑顔で、心からの感謝を込めて叫んだ。
「ありがとう、騎士のお兄ちゃん、おじちゃん!」
勿論アンバーは瞬間的に吹き出した。
3秒ほど固まってからアンバーに目をやったロードナイトは普段の仏頂面だったが、アンバーは未だ笑いの余韻を引きずっていた。
「子供から見たら28も30代も一緒だよな、うん」
「…………」
ロードナイトは答えない。答えないのが面白いのでアンバーはとどめを刺しにかかった。
「よし!帰るかおじちゃん」
言い逃げを決めてアンバーは足早に歩き出す。
振り向かなかった。流石に振り向くのは少し怖かった。
少年に礼を言われた時。
あの時のロードナイトの、不意打ちを食らって驚いたのと不服なのとが入り交じった不本意な表情を忘れることなど出来ないだろう、と、アンバーは思ったのだった。

End


アンバーとロードナイトのお話です。
お題小説「非現実」とリンクしたお話です。
ちょっぴり良いコンビかもしれない、アンバーとロードお兄ちゃん。
別に常日頃彼が年齢を気にしているという訳ではありません。
実は妹に「お兄ちゃん最近若さがない」とか言われた直後だったのかもしれません(笑)
ロードの「半」っぷりを押し出してみました。番外編だもの!
書いてみるとなかなか楽しい組み合わせでした。

2007.06.01