井戸端会議?

互いにここまで背負ってきた物は何一つ知らない。
だけど確かに同じなのは、この一瞬を大切だと思っているこの気持ち。


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彼女がそこに立っていることは何ら不思議ではない。
だが、そういえば城下で彼女に会うのは初めてだ、とアンバー・ラルジァリィは思った。
日に日に気温が下がり始め、木々も色づいた秋の日。
城下町の並木道は、木の葉や実の赤と黄色で鮮やかに染まっていた。
アンバーが、城で見慣れた青い姿を見つけたのはそんな並木道を抜けたところだった。
大きな掲示板がある共用井戸の前、よく昼過ぎなどに城下の者が集まって談話をしている場所だ。
城下町の中心部に位置する為、彼女が城から出てきたことは通る者にすぐ知れ渡る。
実際、周囲には何事かあるのかと彼女を見ている者が少なくない。
アンバーは掲示板を眺めている彼女に声をかけた。
「サフォー、何してるんだ?」
普段は城でせわしなく動いている王の秘書官、サファイア・ヴィクテルは振り向いて微笑んだ。
「あら、アンバー」
「珍しいな、サフォーが城下まで出てきてるとか」
「取り寄せてもらっていたものを取りに来たのよ。今日は特に急ぎの仕事も会議も無いし」
言って、彼女は手に持った袋を見せた。
角張った袋、恐らく本か外交資料だろう。
「たまには散歩がてら、ね」
「そっか、この時期は道も見てて綺麗だしな。これから帰るところか?」
「まあ、そうなんだけど…」
サファイアはそこで言葉を切って、また掲示板を見やった。
「掲示板に何かあるのか?」
井戸の側に備え付けられた掲示板は、城下の者が自由に利用することが出来る。
城からの情報伝達もここで行われたり、店がイベントやセールの告知をしたりしているものだ。
また、個人利用としてペット捜索依頼などを貼っている者もいる。用途の多い場所である。
アンバーも掲示板を眺めた。
「アンバーが来る前に商店の方と話をしていたんだけど、最近色々物騒みたいで」
「物騒?」
ほら、とサファイアは一枚の張り紙を指す。
『最近連日、新鮮な肉や魚を狙った盗難が多発しています。商店の方は厳重注意をお願いします!!!』
力強く書かれた文字は激昂した肉屋か魚屋店主のものだろうか。
文末の感嘆符からひしひしと書き手の憤りが感じられる一枚だ。
「盗難かよ…」
アンバーは苦々しく顔を顰める。
「どうやら同一犯らしいって、商店の方が言ってたわ」
「そうなのか?」
「決まって高価な肉や魚で、細心の注意を払って警戒していても、作業をしていて後ろを向いた瞬間に盗まれていることも少なくないらしいわ」
「そりゃ凄いな」
困ったことをする奴もいるよな、とアンバーは溜息をつく。
もう少しで収穫祭。楽しいイベントを控えたこの時期だからこそ、そんな事件が起こってしまうのか。
それにしても連日高価な肉や魚ばかり盗むとは余程動物性タンパク質を愛している犯人だ。
厳重注意をかいくぐって、何度も盗みを犯すほど。
「……なあ、それってさ、そこらの肉好き魚好きを当たったら解決するんじゃないか?」
「どうして?」
「毎日肉と魚ばっか食べたがるのなんてそうは居ないだろ。しかも盗んでまで…」
盗んでまで、ともう一度繰り返して、アンバーは真顔で言った。
「……っつーか、これ普通に考えて人間じゃなくて猫とかその辺の線で考えた方がいいんじゃないか?」
周囲からざわめきが起こり、エプロン姿の屈強な親父が一人進み出てきた。
「あ、アンバーさん、今何と…!?」
勢い良く肩をがっしり掴まれ、アンバーは目をぱちくりさせる。
確か彼は魚屋の店主だ。何度か買い物をしたことがある。
恐らく、いや間違いなく、掲示板の力強い書の作者だろう。
「いや、だから、人間じゃなくて猫とかそのへんの動物なんじゃないか、ってさ」
激昂した人間ほど判断力が鈍り、思いこみを打破出来ないものだ。
収穫祭を控え、商店が慌ただしくなる現在。
誰もが注意散漫になりがちで、盗みがしやすいという点では人間も動物も同じだ。
「そうよね、人間なら普通、余程ガードの甘いところでない限り連続して盗みに入るとは考えにくいわ。野良猫か…それとも餌を忘れられている飼い猫とか」
サファイアが口を挟む。
「そうか、高いのばかりってことは相当舌の肥えた飼い猫かもしれないな」
「十分あり得るわね」
周囲から感嘆の声が挙がった。
魚屋の親父はアンバーから手を離して暫し思案顔になると、ぶつぶつ何かを呟き始めた。
そして一言大声を上げると、今度はアンバーの手を握って詰め寄る。
「ああ!そうだ、そうなんだ!お得意さんの猫好きロゼ婆さん、三日前から家族と一緒に旅行に出かけてるんだよ!うっかりものだからネコの餌を出していき忘れたのかもしれない!」
「よ、良かったな、調べてみればいいんじゃないか?」
勢いに押されてたじろぎながらもアンバーが答えると、親父は満面の笑みで例を述べて駆けていった。
周囲から拍手がわき起こる。
「お手柄じゃない、アンバー。解決しそうね」
未だ呆然としているアンバーに、サファイアが呑気に笑いかけた。
「……や、サフォーの付け加えのおかげだと思うぞ。飼い猫ってところまで俺は思いつかなかったからな。流石秘書官…」
「あ、の、すみません…」
彼が何とか返した時、申し訳なさそうに一人の女性が声を発した。
穏やかな美人といった雰囲気の彼女は、サファイアが促すとおずおずと近付いてきた。
「どうしました?」
「もしもお時間がありましたら、少しお知恵をお借りしたいのです…」
アンバーとサファイアは何となく顔を見合わせてから、どうぞ、と同時に答えた。
「……うちの娘が庭で大切に花を育てていたのですが、先日、誰かが誤って庭にボールを投げ込んでしまったようで…娘の花壇を潰してしまったんです」
「まあ…」
「わざとじゃないんだから諦めなさいと言っても、娘は泣きじゃくるばかりで…せめて、ボールの持ち主が謝って下されば娘の気も晴れると思うんですが、どうやったら持ち主が解るでしょうか…?」
どうやら犯人探しのプロ扱いでもされてしまっているらしい。
ボールに名前が書いてある訳でもなし、そう簡単に見つかるとも思えない。
しかし婦人は真剣そのものだし、心底困っているように見える。
どうしたものかとアンバーが思案していると、辺りを見回したサファイアが口を開いた。
「そうね、まずは、ボールを売っている店に行って、ボールを買ったご家庭を聞いて、家を当たってみて…」
「…はい」
「それで見つけられなかったら、この掲示板に花壇のことを書きましょう」
「ここに、ですか?」
「ええ、そうしたら城下町の皆がこの事故のことを知るでしょう?」
「…え、ええ……」
それは流石に可哀相じゃないか、と思いつつもアンバーは何も言わなかった。
サファイアに考えがあるようなことは何となく見て解る。
「きっと、ボールを買ったご両親がお子さんに聞いてくれるわ。怒られてしまうかもしれないわね」
女性もサファイアの意図を感じ取ったらしい。頷く。
サファイアは意地悪く笑うと、とどめの一言を口にした。
「それでも、どうしても見つからなかったら、城から騎士を何人か呼んで探してもらうことに…」
「ごめんなさい!」
サファイアの言葉を遮って、少年が大声で言った。
周囲の者達に混じって話を聞いていたらしい彼は泣き出してしまいそうだ。
「ごめんなさい、わざとじゃなかったんです!」
少年がそこで口ごもってしまうと、サファイアは彼に近付いて頭を撫でた。
向けた微笑みは優しい。
「よく言えたわね、偉いわよ」
「う、ん」
「わざとじゃなくても、間違いをしてしまったらきちんと謝らないと駄目。今回は私も言いすぎてしまったけど、隠しておいたらどんどん大きくなって、取り返しがつかなくなることもあるの、解った?」
「……はい」
「じゃあ、ちゃんとお花を育てていた女の子に謝ってきましょうね」
少年が頷くと周囲から沢山の拍手が起こった。
アンバーも、サファイアに心の内で賛辞を送る。
相手が人間なら探し当てるより名乗り出させるほうが良いこともあるのは確かだ。
そして女性が少年と一緒に井戸端を去り、アンバーがふと周囲を見やると、何か言いたそうな人々の目。
「…まだ何かあるか?」
アンバーが告げると、堰を切ったように声が発せられる。
「うちの林檎が何個かもぎ取られてしまって…」
「最近ゴミのポイ捨てが多いんですが、どうしたらいいでしょう?」
「収穫祭に向けて店でイベントをしようと思うんですが、どっちのイベントが盛り上がると思いますか?」
「うちの犬が帰ってこないんです…!」
「アンバーさんやエメラルドさんみたいな騎士になるのはどうしたらいいの!?」
どうしようもなくてアンバーがとりあえずサファイアを見ると、彼女は楽しそうに笑っただけだった。
アンバーは観念して城下の人々に向き直った。
「……――――待て、解ったから、順番、順番な!」

アンバーとサファイアが城へ続く道を歩く頃には、既に時刻は夕方。
城に戻って少し経てばもう夕飯の頃合いだ。
「…なんか、大分時間使ったな」
「そうね」
軽く笑ってサファイアは答える。
「仕事大丈夫なのか?」
「ええ。今日は、後は明日の会議の資料をまとめるだけだから」
「あー…そっか、たまの空き時間だったのに、何か忙しかったな」
「いいのよ、楽しかったから」
そう言った表情に嘘偽りは無いようで、アンバーも笑った。
城で働く彼女も生き生きしてはいるが、今日城下町で人々と触れあう彼女もまた、そう見えた。
「この国は今、平和だって…こうやって感じるの」
「ああ」
「……そして、その中に私も居るのね、って」
「…そうだな」
同じような感覚は、アンバーも何度も味わってきた。
何度も味わって、少しずつ確かめていく。
明日も見えずに日々を過ごしていた戦地ではなく、今はもう、光の当たる場所に居るのだ、と。
それを教えてくれるのは王で、城の仲間で、そして国に生きる人々で。
「さ、急いで帰りましょう?」
沈みゆく陽を背に、顔に落ちる影。
それでもその表情は鮮やかで。
そこに立つ彼女も、ここまでの経路は違えどきっと自分と同じなのだろう。
そんな気がした。

End


アンバーとサファイアのお話です。
結構仲が良いようなことは本編でも触れていたものの、お話では書けなかったので…
お互いに、決して平穏で幸せな過去を過ごした2人ではありません。
そのことに触れずとも、笑っていられる関係といいますか。
腹を割って(?)過去を話すようなことがあってもいいかもしれませんが、それはそれ。
何となく一緒に居られるという感じの2人です。
若干意地悪なサファイアが書けて個人的には楽しかったです(笑)

2006.11.30