いつもの待ち合わせ

世界の時間は俺よりもずっと速く流れていく、けれど。
世界と同じお前はどうして、その中でも穏やかだから。


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目を覚ました瞬間の暑苦しさを感じることがなくなった。
そういえば雨が降ることも多くなって、その度に増す涼しさに気づく。
今朝は肌寒くさえあり、それは意識の覚醒を促すどころか二度目の眠りに誘うのだった。
アンバー・ラルジァリィは半眼のままもう一度シーツを引き寄せてくるまりなおし、ややあって寝返りを打つと、億劫そうに時計を見た。
「……あ」
反射的に漏れる掠れた声。
やばい、と、眠たい頭が漠然と考える。
更に数秒経ってから彼は勢いに任せてシーツをはぎ取ると、枕元の時計を取り上げた。
そこでようやく眠気が覚めてきて、他に解釈しようの無い一つの結論に辿り着いた。
どうやら寝坊してしまったのだ、と。

城がやけに静かな気がした。
部屋から出てみたものの、人の存在を感じない。
朝というには遅いが、昼休みまではまだしばし時間がある。どこかで別の階で会議でもしているのかもしれない。
嫌味な王宮魔術師に会えば小言の一つでも貰いそうなものだが、その姿は見えなかった。
それは幸か不幸か。前者に違いないのだが、アンバーは何となくそう考えていた。
一階へと降りる。
ここには流石に侍女や侍従らの姿は見受けられるが、見知った顔は無かった。
賑やかな双子はどうやら近くに居ないらしい。
擦れ違った数人と会釈をすると、彼は足早に外への扉を開けた。
ひやりとした空気。
だが空は蒼く澄み渡っていて、快く感じさえする。
ルビーは朝から白亜塔へ出かけており、王は自室での執務がある。
こんな良い日に空いた時間が出来たことに感謝すべきだろう。
城門まで出たが、待ち合わせ相手の姿は見えなかった。
いや、居ると考える方がおかしいのだ。約束からかれこれ一時間は経過している。
寝過ごしてしまいそうな時に部屋まで迎えに来てくれることも多いが、今回はそうもいかない。
城下町へ買い物に行く目的の一つにお一人様一個限り、数量限定販売の頼まれ物のお菓子が入っているのだ。
恐らく彼はもう城下へ出て、その買い物を済ませている。
何せ目立つ風貌、どこかで合流出来る筈だと踏んで、アンバーもまた町へと向かった。

城下の賑わいは相も変わらず。
これから昼食のために買い出しに出てきている者が多いのだろう。
アンバーに気づいた子供が手を振ってきて、彼も応えて振り返す。
そうしてから辺りを見回してみても、長身の白い着物は未だ見えなかった。
果物屋、前回来た時には未だ無かった秋の果物が並んでいる。
服屋の品揃えも様変わり、防寒に適した素材の服は見ているだけで暖かい。
本屋の新刊もいつの間にか変わっていた。エラズルからの頼まれ物があるが、先に出た方が何を買っているのか解らないものだから、手が出せない。
ふと見やった壁に貼られているのは収穫祭のポスター。
ああ、今日の重役会議はきっとそのことだ、と何となく考える。
倍の速で動いていく世界に、ある種の気持ちの悪さを感じるのはこんな時だ。
全力で走ったとしても到底追いつくことの出来ない、抗いようのない現実がそこにある。
取り残される。
置いて行かれる。
今この時、隣に誰も居ないのと同じように。
立ち止まってしまっていたアンバーは、心持ち早足で歩き始めた。
こんな不快感など忘れてしまえばいい。
だが、どうして先に出た筈の彼は何処にも見辺らないのか。
次にアンバーが足を止めたのは、自分の名前が呼ばれたことに気付いたときだった。
しかしそれは約束した相手のものではなく、菓子屋の店主が手招きしているのだった。
その店は頼まれ物のお菓子が売っている店であることは直ぐに気付いた。
もっとも、そのお目当ての菓子の品切れ告知もすぐに目に付いたのだが。
「何だ?」
呼ばれたアンバーは店主に近付く。
笑顔が穏やかな女店主は手に袋を持っていた。
「さっきエメラルドさんが来てねぇ、お菓子を頼まれたって」
「ああ、そうなんだ。ルビーやユナが食べたいっていうもんだから2人で買いに来ようとしてたんだけど、俺が寝坊して」
「そうみたいだね。それでこれ、アンバーさんの分」
彼女が渡してきた袋には、頼まれたものが入っていた。
「取り置きしてくれたのか!何か申し訳ないな…っていうか、あいつは何処行ったんだ…?」
「アンバーさんが来ていないっていうからね、特別に2つ差し上げますよって言ったのよ。そうしたらエメラルドさん、それは他の人たちに不公平になると言ってねぇ。だから、それなら取っておきますよって私がね」
「…で、自分の分だけ買ってった?」
「取り置きもいいとは言っていたんだけどね、城の皆様にはいつもお世話になっているから、それくらいはさせて下さいって。それで納得してくれたみたいでね」
「そっか、ありがとう。……でも結局、あいつが2つ買ってった方が早かったんじゃないのか、これ」
「ですよねぇ」
店主はさもおかしそうに笑った。
「あの馬鹿……」
「律儀な人ですよねぇ、エメラルドさん。お菓子を買ってくれてからは、そこを戻っていきましたよ」
アンバーは溜息をつき、菓子の代金を支払った。
「本当、ありがとうございました」
「いいえ。またよろしくね」
店主に頭を下げると、アンバーは振り返った。
店主が指した方向は、まさにアンバーがやってきた城の方角である。
道は一本ではないから擦れ違わなかったのだろうが、それならば他の買い物をしているのだろう。
周囲を見回しながら来た道を戻る。
しかし、買い物をする予定だったどの店にもその姿は見られない。
もう買い物を済ませて城に戻ってしまったのかもしれない、それは十分考えられる。
菓子は買えたが結局無駄足だ。
アンバーはまた小さく溜息をつき、城下町から城へと続く一本道を歩き始めた。
大きな城の姿は町からでも見える。
歩くにつれて城門が見えてきて。
「……あれ」
ぼんやりと、人影を確認する。
腕を組んで、まるで城の見張りでもしているかのような立ち振る舞いで。
「――っ、おい、ラルド!?」
アンバーは呼びかけてから走り出した。
門の所に立っていたエメラルドが寄ってきて、不思議そうに首を傾げる。
「アンバー、何故城下から来るのだ?」
「何で、って…っつーかまず、お前はここで何してんだよ」
「我か?主を待っていたに決まっておろう」
「は!?」
見ると、エメラルドは菓子の袋一つを持っているだけだった。
「何、待ってたって、買い物は?」
「数に限りのある菓子だけは先に買ってきたぞ」
「それだけ!?」
「うむ」
何を驚くことがあろうか、とでも言いたげにエメラルドは目をしばたかせる。
「主が頼まれた買い物に付き合えと言ったのではないか。だからこうして待っておったが」
「いや、そうなんだけどさ、買う物は一緒に聞いてただろ…」
「むぅ、主も菓子だけ買ってきたのか?一体何をしておるのだ」
「お前が言うなお前が!」
アンバーは、今度は盛大に溜息をついた。
そうすると何だ、彼は菓子だけ買って、それからずっとこの待ち合わせ場所で待っていたというのか。
「お前、本当馬鹿……」
だが、その通りに違いない。
思い返せば仕事や休み、出かけるときに待ち合わせると、例え遅れてもエメラルドがそこに居ないことは無かったのだから。
今日も、そんないつもの待ち合わせ。
「馬鹿とは何事か」
「馬鹿…正直ってことだ」
「そうか」
その一言で納得してしまう、それもまた。
仕事外の彼の纏う、このゆったりした空気は種族故なのだろうか。
それとも人間性か、そのどちらもか。その緩やかさはどこか心地よくて、不快感は消えていて。
「して、買い物には行かぬのか?」
「……とっとと行くぞ」
菓子の入った買い物袋を下げたまま、たった今来た道をまた戻る。
他愛のない会話をしながら、2人の近衛騎士は城下町へ向かった。

――――世界が、待っていてくれた気がした。

End


アンバーとエメラルドのお話です。
エメラルドの馬鹿!寧ろわんこ!
彼は時間にルーズなのではなく、寧ろ自分の時間には厳しい方です。
ただ、エメラルドはこんな穏やかさも持っていて欲しいと思うのです。
静かな時間の中、花や月を愛でるように、ゆったりと。
待っている間は恐らく、手に持っているお菓子のことを考えていたのだと思います(笑)
そんな緩やかな一面もまた、アンバーがエメラルドを必要とする一つの理由なのです。

2006.11.17