甘い香り

あなたはいつも笑っていて、誰にでも優しくて。
――でも、気付いているんですよ?


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買い物袋を抱えた姿は妙に所帯じみていて、彼が城に関わる者だということを忘れてしまいそうになる。
王か、その婚約者に買い物を頼まれたのだろうか。自分の物を買いに来たにしては量が多い。
ユナ・カイトは楽しげに歩いていくコート姿に駆け寄った。
「アンバーさん!」
呼ばれた近衛騎士は立ち止まって振り返る。
その笑顔があまりに明るいから、向けられた方まで自然と同じ表情になってしまう。
「ユナも買い物か?」
「はい、新しいお菓子に挑戦してみようと思って材料を買いにきたんです。アンバーさんはもう帰るところですか?」
「ああ。…でも、折角だからルビーにお菓子の土産でも買っていくかな」
「じゃあ一緒に行きましょう!」
自然と並んで歩き出す。傍目からこの姿はどう映るのか、考えてみてユナは何となく顔を赤くした。
歩幅に合わせて歩みを遅くしてくれたようなのが解る。
彼を騎士らしいと思うのはこういう時。
“良い人”という表現の方が合うのだろうか。しかしその優しい部分は、ウィルベルグのあの城に仕える騎士として必要なのだと思う。
何とも無しに横を見上げると目に映る横顔。
こうやって町を歩くことを心底楽しんでいる表情は、純粋に格好良いと思えて。
――共に働く女性達が彼に好感を持っているのも解るな、と納得した時だった。
「…………あれ」
横を歩くアンバーが声をあげて、ユナも小さな異変に気付いた。
風に乗って漂う僅かな香り。
甘い香り。
「ケーキのにおい、ですね。こんな外にまで何処から…」
「こういういい匂いがしたときって、やたらと腹減るんだよな」
「ですよねー」
会話をして笑いながら、自分も帰ったら早く取りかかろうとユナははやる気持ちを抑える。
歩くにつれてはっきりとしてくる匂い。
目的のお菓子屋が見えるあたりまで来ると、その前に人だかりが出来ていることに気付いた。
影に隠れてしまってしっかりとは見えないが、焼きたてのスポンジケーキが並べられている。
「何だ、何かのイベントか?」
「――あっ!」
アンバーの呟きを聞いて、漸くユナは思い出した。
常連になっているこのケーキ屋が、近々ケーキのデコレーションコンテストを開催すると言っていたこと。
興味は山ほどあったのだが、仕事との折り合いや参加条件を考えて踏み込めずにいたものだった。
「さぁ、他に参加者は居ないのかい?そろそろ始めるよ!」
恰幅の良い女店主の明るい声が響いた。
未だ参加者は締め切られていないらしい。
周囲を見渡して状況を何となく悟ったアンバーは、迷っている様子を見せながらも瞳を輝かせるユナに気付いて微笑んだ。
「ユナ、出ないのか?ケーキの飾り付けコンテスト」
「えっ、あ、その…出てみたい気持ちでいっぱいなんですけど」
ちらりと横を見て、確かめる。
「このデコレーションコンテスト、参加者二人一組なんです」
参加しようと積極的に動かなかった理由はそこにあった。
兄に頼めば無理をして来てくれるのかもしれないが、基本的に人混みを嫌う彼にこのコンテストは拷問だろう。
「ああ、俺で良ければ手伝うけど」
「本当ですか!?」
「お菓子は作ったことはほとんど無いけど、料理くらいならまあ一通り。どうする?」
返答に迷いは無かった。
「お願いします!」
ユナが予想していた通りの笑顔で、近衛騎士は頷いた。
「おばさーん、私も参加しますっ!」
慌ててユナが大声をあげると、周囲がにわかに沸く。
よく城下へ来ているからか知名度があるらしかった。
「まあユナちゃん!大歓迎だよ」
「アンバーさんが手伝って下さるので参加出来ることになりました!」
名前を呼ばれた瞬間に周囲の視線が集まって、アンバーはやや気恥ずかしそうに挨拶した。
「さぁて、参加はここいらで締め切り!早速始めようか」
ユナとアンバーの他にも10組程度の参加者が居た。
小さな子供からユナと同年代、そして日々料理に親しんでいるであろう主婦など層は様々だ。
こうして時折私的に開催される催し物が、この城下町を賑わせているのだとアンバーは知っていた。
勿論こうして自分がその場に参加しているということは初めてであって、焼きたてのスポンジケーキの前に立ってようやく、その実感が湧いてくる。
平和なこの国の、明るいこの町の一角に自分が居る、その慣れない感覚。
女主人が開始の合図を口にしたのに我に返り、彼は横に立っている栗色の髪の少女を見た。
「さて、どんな飾り付けをするんだ?」
「スポンジは2個まで使っていいみたいですし…二段重ねのウェディングケーキ風はどうかな、と思うんですけど」
「ウェディング…」
「いつか、王様とルビーさんがご結婚なさるときに私もケーキをお贈りしてささやかながらお祝い出来たらな、なんて思っていたんです。だから、ちょっとやってみたいかな、って」
「そっか、成程な。じゃあそれでいくか」
「はい!」
返事をしながらも、ユナの頭には既にケーキの構想が展開されていた。
店主が準備してくれたデコレーション用の材料をじっと眺める。
ベースは生クリームと苺でスタンダードに。ケーキを割ってフルーツも詰めよう。
二段重ねのケーキとケーキを繋ぐのは、塔の支柱に見立てたチョコレート入りの細いクッキーを何本も。
制限時間は多くない。考えながらもアンバーに生クリームの泡立てを頼むと、その意外なまでの手際の良さに驚く。
エプロン姿がこんなにも似合うと、城内に知っている者はどれだけ居るのだろうか。
とはいえ驚いてばかりもいられない。ユナも作業に移った。
上に載せる分のケーキを一回り小さくカット。
ふわふわのスポンジを潰さないように細心の注意を払いながら横に等分。
土台のケーキに生クリームを塗る間、果物を刻むアンバーのその包丁さばきもまた見事なもので。
上下二つのスポンジを繋ぐ支柱のクッキーも、思った以上に良い安定感。
アンバーがそっと上のケーキを差し込むと、ギャラリーから歓声が起こった。

「楽しかったですねー」
空は茜色に染まり、後をついてくる影が長い。
前方に見えるウィルベルグ城も、赤い景色の中。
「最後の最後で運ぶときにテーブルにつまずいてケーキ崩すとかな…本当ごめん!」
「いえ、賞はとれませんでしたけど、参加出来ただけで楽しかったです。お店のおばさんも誉めてくれましたし、ルビーちゃんへのお土産も出来ましたし!」
「…まあ、それはそうだな」
溜息を付いていたアンバーは、ユナの言葉に笑顔を見せた。
つられて微笑み返すユナ。
新しいお菓子は明日にしよう、今日の出来事でまた色々とアイデアが浮かんだから。
彼女はそんなことを考え初めていて、帰り道は自然と無口になる。
また、お時間のあるときにでも一緒に何か作りませんか?
ふと、横を歩く騎士に告げようと顔を上げたユナは、何も言えずに彼を見つめた。
城の方を見て、だけれどそれよりもずっと、ずっと遠くを見ているような。
僅かに細められた目、風に吹かれる柔らかい髪。
夕陽に彩られた横顔はやけに綺麗で。
――ねぇ、気付いているんですよ?
あなたが本当は、いつもは笑っていないこと。
誰にでも優しいけれど、その誰ともどこか遠いこと。
それをあなたに告げて良いのはきっと、私ではない、けれど。
「…どうした?」
視線に気付いて問いかけてきたアンバーは、いつものように軽く笑う。
「あ…そうだ、もしまた時間があったら、ルビーちゃんとかも一緒に、また何か作りませんか?」
「お、楽しそうだなそれ!」
「エメラルドさんってなんか、あまり料理出来無さそうな…」
「それ同感!ちょっとやらせてみたいよな」
静かだった一本道に笑い声が響いた。
「さ、早く帰るか!」
小走りにユナの先へ進んだ、茶色いコートの背中。
――だからあなたが笑うのなら、私も笑います。
「アンバーさん、そんなに走ったら余計にケーキ崩れますよー!」
言われて慌てる姿に追いつこうと、ユナもまた、走り出した。

End


アンバーとユナのお話です。
本編でも無かったぐらいのラヴラヴな雰囲気が漂っているのは気のせいでしょうか。
でも実は、アンバーとユナというのは私の好きな組み合わせだったりします。ほのぼの。
こういう雰囲気のお話は短編以外では書けない私が居ます。何だかこそばゆい…!(笑)
アンバーが料理得意というのはこっそりある裏設定。
彼は元々傭兵なので、仕事仕事で移動も多く、先々で自分の分くらいは簡単なものを作っていたんだろうなと。
続編ではもっと女性陣の出番を増やしたいと心底思う今日この頃です。

2005.11.20