君が座るベンチ

それが特別大切なものだとか、そういう訳ではなくて、ただ。
その場所が頭の片隅から離れなくなったのは、やけに暖かそうに見えたから。


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昼休みや手空きの時間に外へ出てくる者が多いからか、城の広い中庭には、点々と座る場所が設けられている。
春ならば花を見ながら、夏ならば木陰で涼みながら――談笑したり食事を取ったりしている者がよく見かけられる。
城の三階、図書室の書庫へ続く部屋の窓から見える場所に、ベンチが一つあった。
上手く木の陰に隠れてしまって、外を歩いてきたのでは簡単に見付けることが出来ない。
近くに行って見たことは無いから詳しいことは解らないが、戦時からあるのかもしれない。
ただ座るという機能だけではなく、家の中にあってもおかしくないような装飾の施された背もたれや手すりはどこか古ぼけて映った。
目立たない筈のそれは、しかしながら、太陽の光に照らされて花に囲まれ、妙に明るい印象を与えてくるのだった。
そのベンチの存在を知っているのは恐らく自分だけだ、とエラズル・ルーンベルクは思っていた。
だからある時そこに人影を見た時に、何とも形容し難い感覚に囚われたのだった。
勝手な独占欲のようなものを持ってしまっていたようだ、と自分で気が付く。
それは誰のものでもない、しいて言うならば王、ジェミニゼルのものだ。
解っていながらも何となく不機嫌な気分で、エラズルは図書室を出た。
上から眺めるのではなく、初めて自分の足で近付いたその場所は心地よく静かだった。
極力音を立てないようにベンチの方へ。背もたれの部分が見えた。
そこに居た人物は、一休みどころか昼寝をきめこんでいた。三階から見下ろした時にそうではないかと思ってはいたのだが。
王の近衛騎士、アンバー・ラルジァリィ。
こんな所で油をうっていていいのかと軽い苛立ちを覚えるが、昼休みなのだろうと気にしないことにする。
一緒に居るはずのエメラルドとルビーは買い物にでも行っているのだろうか。どうでもいいことだ。
一歩、近くに寄っても彼は起きる気配が無い。エラズルは溜息をついた。
すぐ傍で見たベンチはやはり年数を経たもののようで、傷も所々についていた。
悪意を持って力をかければ自分の手でも壊せるのではないかと思ってしまうくらいの古めかしいベンチ。
それでも妙にそれを好意的に見てしまうのは、やはり暖かな雰囲気が感じ取れるからなのだろう。
“色”を手に入れて、一層そう思う。
そして、その暖かな雰囲気の原因は、気持ち良さそうに眠る近衛騎士にもある。
今まで、与えられてしまったものをただ享受するように過ごしてきた遅い時間とは違う。
こんなにも心安らかに、ゆっくりと時間の流れる場所があるのだ、と。
風が吹いて、髪を撫でた。
エラズルはベンチに背を向けると、白亜塔へ向かって歩き始めた。

それから数日して、また窓からベンチに座るアンバーを見た。
今回は眠ってはおらず、時間潰しにでも座っているように見えた。
その翌日も、アンバーの姿はそこにあった。
存外、彼は一人で居る時間を持っているのだと認識する。
自分の知っている彼は、相方の近衛騎士やルビーと騒いでいる姿がほとんどだったものだから。
エラズルは途中だった本を手に、その場所へ向かった。
普通に歩いていくと、アンバーが気付いて声をかけてきた。
「よお。珍しいな、こんな所まで出てきてるなんて」
「気分転換に外へ出歩くのも悪くありませんからね」
「でもやっぱ、本とか持ってるんだな、お前」
アンバーは笑った後、横に座るかと尋ねてきた。
エラズルは少し考えるように黙ってから腰を下ろした。
ギシ、と音をたてる古ぼけたベンチ。
座り心地は悪くなかった。
「ここ、良いよな。静かだし、昼寝にはもってこい」
「…そうですね。あなたがそんなことをしていて良い立場かどうか僕には判断つきかねますが」
「……」
アンバーは苦笑いする。エラズルは持ってきた本を開いた。
外の光は少々明るすぎるように感じられたが、字は見える。
ただ、本を読む気分にはなれなかった。
本を開き、字を眺める。何故こんな無駄なことをしているのか自分で良く解らない。
「それ、何の本なんだ?」
「絵本にでも見えますか?見ての通り、歴史書です」
アンバーはげんなりした表情で、文字の詰まった本のページを眺めた。
こんなものを好きこのんで読むのが理解できないとでも言いたそうだ。
「結構、面白いですよ。この国が歩んできた道筋を、誰かの見解であるにしろ垣間見ることが出来るのですから」
「そんなの読もうとしてる間に俺の人生の歴史が終わるって」
「何を言っているんですか、全く。情け無い」
エラズルは本を閉じて溜息をついた。
がさがさと草を掻き分ける音がしたのに気付いて、二人はその一点を見る。
前方の草むらから顔を出したのは、小さな一角獣。
「あれ…トーティム、どうした?」
ルビーとよく一緒に居る“グリート”の一匹だ。
アンバーが名前を呼んでやると、一角獣は走ってきて彼の膝に飛び乗った。
瞬間、みし、と嫌な音がしたことにエラズルは気付いた。
「何だ、ルビーとはぐれたりしたのか?」
トーティムを抱き上げて話しかけるアンバー。
明らかに座っている部分がぐらついて、エラズルは反射的に立ち上がった。
「…!?」
立ち上がったのは、二人同時だった。
それは脚の部分が折れたのか、継ぎ目が外れたのかは解らない。
二人と一匹分の重みに耐えられなくなってしまったらしいベンチは、音をたてて崩れた。
「………やば」
「…………」
呆然と眺めるアンバーとエラズル。トーティムも目をぱちくりさせる。
「どうすっかな…ジェムに謝るしかないか……」
呟くアンバーは、珍しく曇った表情のエラズルに気付いた。
「……エラズル?」
「何でもありません」
呼ばれてエラズルは我に返り、言い返した。
彼に言った所で解らないだろう。
アンバーは、自分が窓からベンチを見ていたことなど知らないのだから。
それにしても、自分で何故ここまで残念に思うのかが理解できない。
たかだか城の備品のベンチが一つ壊れただけのことに。
「…僕のせいではありませんから」
「ああ、まあな…トーティムのせいっていうか、ベンチが古いせいだなこれは」
俺からジェムに話しておくよ、アンバーがそう言うのを聞いて、エラズルは図書室に戻った。
窓から外を見ると、乱雑に置かれた木片が確認できるだけだった。
日の光に照らされて花に囲まれ、条件は何も変わっていないはずなのに何かが決定的に違ってしまった。

それから経過したのは三日だろうか。
エラズルが書庫へ行こうと窓の傍を通りかかった時に聞こえた、音。
その音が聞こえたのは、そこが静まり返った図書室だったからだろう。
数日ぶりに外を覗くと、秋色のコート姿が見えた。
この音、何かを打ちつけるような音。そして彼。
何をしているのか悟って、エラズルは駆けた。
息をきらして辿り着くと、アンバーは顔をあげて微笑んだ。
トンカチを持つ姿がやけに似合うのが何だか滑稽だ。
「ジェムは気にしなくていいって言ったんだけどさ、なんか申し訳なくて」
もう、その姿は出来上がっていた。
もともとそこにあったものとは似てもつかない。
装飾も無いし、作りも至って簡潔なものだ。
それでも、無事だった木片に新たな木片を加えて作られたベンチが、そこにあった。
「丈夫に作ったつもりではあるんだよなー。こんなのやったの久々だからどうだか、微妙だけどな」
そこにあるベンチ。
それは変わらず、暖かくて。
「…よし!後は仕上げだな」
アンバーは点検をして、自分で座って確かめると満足そうに頷いた。
横の方に置いてあったバケツから、ハケを取る。
鼻にツンとくるこのにおいはニスだろう。
アンバーがそれを塗りつけていくと、木はつやを得て美しさも兼ね添えていく。
エラズルは余っていたハケを手に取り、アンバーの居ないベンチの後ろ側へ回るとかがみこんだ。
前からニスを塗っているアンバーと目が合うと、不思議そうに見てくる。
「手伝い、ますよ」
どこか面倒そうに、それが癖であるかのように溜息をついて告げたエラズルは、笑っていた。

End


アンバーとエラズルのお話です。
「RC」本編9話以降のお話だと思って頂ければ…
ここまで仲の良さそうなこの二人は初めて書きました。たまにはいいかな…
最後、エラズルはいつものローブ姿で作業しているんでしょうか。ニス付くよニス!(技術苦手だった私)
しかし似合わない、エラズルと日曜大工。
こんな感じにエラズルも他の面々と打ち解けていてるんじゃないかと、そんなイメージで。
とことんひねくれたエラズル、続編でどんな風に書いていこうか色々考えております。

2005.10.14