雨宿りの場所

彼女と出逢うことは、一つの裏切りのようにも思えたのだけれど。


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ぽつ、と鼻の頭に冷たさを感じた時から走り出していれば良かったのだ。
朝からどんよりとしていた灰色の空の下、アンバー・ラルジァリィは城下町から城へ続く道を歩いていた。
どこかじっとりと湿度を含んだ温い空気に雨の予感を覚えながらも、傘を持ち出すのが面倒で出歩いてしまった。
王が自室で仕事をしているため手空きになり、皆に頼まれた品物を買いに城下へ。
早めに戻ってくればそうそう濡れることもないだろう、と。
走り出していれば間に合ったのかもしれない。
ぽつぽつと地面に染みが見えたと思った時には遅かった。
露出している頬に、手に、当たる雨。すぐに音が聞こえるまでになる。
「やば…!」
早足になって城門を駆け抜けるが、城の入り口まではまだ距離がある。
さらに悪いことに、慌てすぎたせいかユナに頼まれた林檎が一つ、袋から飛び出して転がってしまった。
草の所に落ちてくれれば良かったのだが、運悪くも舗装された部分を遠ざかっていく林檎。
頼まれ物を放置していく訳にもいかない。アンバーは追いかけた。
拾い上げた時には更に入り口から離れてしまっていた。
ついでに頼まれたルビーのお菓子は良いとして、袋の中には本も入っている。
これ以上雨に濡れたら嫌味な王宮魔導士に何を言われるか解らない。
アンバーは、いつの間にかすぐ近くにやって来ていた建物を見上げ、少しだけ顔をしかめると足を踏み入れた。
身体に当たる雨が遮断されると、自然に溜息が漏れる。
ずぶ濡れという事態は何とか避けられた。持っていた紙の袋も濡れて部分的に変色してしまっているが、中身は大惨事とまではいっていないだろう。
重くなった髪からひんやりとした色の地面に水が滴った。今更ながら、コートのフードを被れば良かったと思う。
雨音は益々酷くなっていった。
せめてもう少し小降りになるまで、このままここに居させてもらおう。
「……アンバー・ラルジァリィ、さん?」
アンバーが壁際に座りこもうとした時、鈴の音のような美しい声に名前を呼ばれた。咄嗟に顔を上げる。
その形容詞が当てはまるのは声だけではない。
長く伸びた白銀の髪も、白のドレスがあつらえたように似合うその姿も、全て。
いつかエメラルドも言っていたような気がする。
天使の如き清らかさだ、と。
「ですよ、ね?」
白亜塔のファリア・ルドツークは来訪者の素性を確証したのか、穏やかに微笑んだ。

雨が弱くなるまで入り口にと言ってみたものの、中へどうぞという誘いを断りきれずにアンバーは塔の一室に通された。
白を基調としたここは、ファリアが主に居る部屋なのだろうか。
窓際のテーブルの中央には鮮やかな赤い花。天気の良い日にテーブルに向かっているだけでも時間がつぶせそうだ。
薄暗いからと点けられた照明はぼんやりと黄色がかっていて、清楚な部屋が暖かな雰囲気に包まれる。
アンバーが濡れてしまったコートだけ脱ぐと、ファリアはそれを壁にかけてくれた。
彼女はアンバーをテーブルに案内すると紅茶をいれてきた。湯気が立つ。
「どうぞ、これでも飲んで暖まって下さい」
「ああ、ありがとう」
向かいに腰を下ろしたファリアはアンバーが紅茶を飲むのを見ていた。
「こうやってお会いするのは初めてですね」
「そうだな。突然駆け込んで悪かった」
「いえ…アンバーさんのお話は、ジェイドやルビーちゃんからよく聞いています。とても楽しい方だと…お会い出来て嬉しいんですよ」
出来る限り会いたくなかった相手は、評判通り気さくで話しやすい。アンバーは笑顔で返した。
彼女はジェイドと居る人間だから、可能ならば近付きたくないと。
しかし種族のことを知らない彼女にそんなことは言えない。
「美味しいな、この紅茶」
素直な感想を一言述べてみる。
今だけは細かいことは忘れてしまおう、暖かい紅茶はそんな気分にさせた。
「そうですか?ありがとうございます。実は、紅茶には少しこだわっているんですよ」
「へぇ…食堂で飲むのよりずっと美味しい」
ファリアは嬉しそうに笑った。
彼女は塔から出られないと聞くが、それで城は平和なのかもしれない。
生まれ持ったものなのか、人の心を引きつける美しい微笑み
城内を普通に歩いていたら男連中が放っておかないか、あるいは誰も話しかけられないかだろう。
彼女と同じように“美人”と形容されることが多い弟も大変だろう、と、どうでも良いところまで考えが飛んでしまった。
「アンバーさんは紅茶がお好きですか?」
「特別好きって訳じゃないけどな…あったら飲む、くらいで」
「……ジェイドが言ってました。アンバーさんは何でも一人で抱えようとする、と。今も、少しお疲れのように見えたので
「あいつが?」
「心配してました、アンバーさんのこと。……疲れた時とか、リラックスしたい時にいいんですよ、紅茶」
空になったカップに紅茶が注がれる。
これも琥珀色と呼ぶのだろう。透き通った色。
言葉の効果か、紅茶の効果か、一口含むと少しだけ落ちついた気分になる。
無意識にアンバーが微笑んだのを見て、ファリアも同じようにした。
「私の紅茶で良ければ、いつでも飲みに来て下さい」
「…ありがとう」
「ルビーちゃんも一緒に、また“かくれんぼ”するのもきっと楽しいですよ」
以前の惨状を知らないアンバーは同意して頷いてしまった。エメラルドがこの場に居たら全力で否定している所だろう。
静かな、ゆったりとした時間が流れる。
「雨、あがりましたね」
そのことに気付いたのも、言われてからだった。
差し込む明るい日射しにファリアは明かりを消した。
窓が開かれると心地よい空気が流れ込んでくる。
遠くの空に、虹が見えた。

End


アンバーとファリアのお話です。
思い返せばこの2人は一度も会話をしていない本編…
でも会っていなかった訳ではないのです、ということでこんなお話にしてみました。
上手く本編に織り込めませんでしたが、アンバーはジェイドと親しい人間を避ける傾向があります。
ロードナイトにあまり近寄らないのも実はそのせいだったりします。(笑)
ジェイドのほうは城内に居ることもあってアンバーと親しい人間を避ける訳にはいかないのですが。
それでもこんな風には過ごせていました、そんなお話です。

2005.10.07