汚染

「何て言うか…偶然だったんです、本当に」
つとめて冷静に話そうとしたラピスラズリだが、その瞳には探求心という名の光が溢れていた。
「俺が作ろうと思ったのは、空気中の水分で育つ水の要らない植物だったんです」
「そんなもんがあったら、まあ、面白そうだよな。世話しなくて良い訳だし」
植物を育てたなんていうのは遠い昔の記憶。僅か3日で枯らした覚えしか無い。
アンバーは興味を持ったように、ラピスラズリが持つシャーレを覗き込んだ。
そこには土はおろか水も無い。
ただ、投げるのに丁度良い石ぐらいの大きさの種が、ガラスの上に転がっている。
その堅い表面を割って茎が伸び、その先は花開いている。
「こうやって花が咲いたから、成功したと思ったんです。でも」
ラピスラズリは密閉されたガラスケースを指した。
「対照実験として真空において、こっちと一緒に毎日観察してたら…時間はかかったものの同じように花が咲いたんです。でも、他の種とかと一緒に保存してある種は成長しないで種のままだし…」
「なんだそれ」
「とにかく不思議なんです!!この解明に…アンバーさん、協力してくれますか?」
「ああ、解った」
アンバーはもう一度、まじまじとその不思議な花を眺める。
不安定な種から咲き誇る、一輪の花。
それは礼を述べたラピスラズリの笑顔のように、明るく鮮やかだった。

アンバーは宿屋の一室で、ラピスラズリに手渡された種を眺めていた。
自分とランドリュー、そしてミーシャとラピスラズリ本人。
それぞれに種を観察させて、その結果を見たいとのことだった。
一緒に来たエメラルドは、元南方領主邸宅の事後調査の後片付けだ。
ラピスラズリの話では、1日あれば花開くという。
どこまでも信じられない話ではあるが、実際に目の前の種からは可愛い双葉が出てきている。
魔術がらみの研究はこんなものなのだろう、とアンバーは割り切ることにした。
意味もなく、双葉に触れてみる。
しばらくそのまま見てみるが、流石に数分で大きく変化する訳ではない。
時間が経つにつれ、飽きを感じずにはいられなかった。
窓際に置いたシャーレの前に椅子を持って来て、そこに腰掛ける。
背もたれに寄りかかると、ほどよく暖かい秋の日射しが体に当たった。
目を閉じる。
光の消える世界。
時計の音だけが響く静寂の中で、ふと孤独感に襲われる。
いつだってそうしてきたはずなのに。
そうやって距離を置くことを望んだはずなのに。
気が弱くなっているのはきっと体が不安定だからだ。
納得しようとしてみても、胸の辺りの不快感は消えない。
どうかしている。
このままでいい。
このままがいい。
思考もいつの間にかまとまらなくなってくる。
眠りに落ちているのだと、何となく理解していた。

強い違和感で、現実に引き戻される。
アンバーは目を開けた。
いつの間にか暗くなっている。どうやら随分と眠ってしまったらしい、が。
それどころではない。
違和感の正体は右腕の痛み。
「――なっ…!」
目をやって、驚愕する。
締め付けてくるのはシャーレから長く伸びた植物の枝。
茎は宿屋の天井高くまで成長している。朝方ラピスラズリの所で見たものとは似てもつかない。
見上げると、真っ黒な花が彼を見下ろすように咲いていた。
捕らわれた右手を引き抜こうとするが、尋常ではない力がそこにかかっている。
引きちぎろうとしてみるものの、枝はびくともしない。
オールは入り口近くにたてかけてある。届かない。
アンバーが苦戦しているう間にも成長を続ける植物は、今度は左手の自由を奪う。
「―――!」
どうにもならない緊迫した状況を破ったのは、あまりにも平凡な一言だった。
「アンバー、戻ったぞ…」

アンバーが来るのを待ちわびていたラピスラズリは、彼ではなくエメラルドが姿を現したことに少し驚いたようだった。
そして、そのエメラルドが、何かを問い詰めたそうに顔をしかめていたことに。
「ラルドさん、アンバーさんは?」
「うむ、部屋で休ませている…主がアンバーに渡した種なのだがな」
多少言い難そうにエメラルドは告げる。
「……アンバーに襲いかかった」
「…え……!?」
「あの種は何なのだ?」
「あの、種は…」
ランドリューとミーシャに預けた種の生長を見て、思ったことがある。
今朝うっかり水をやりわすれて、育成中だった植物を枯らして落ち込んでいたランドリューの種からは青くてしおれたような小さな花。
本を読んだり料理をしたりと、自分の趣味を楽しんでいたミーシャの種からは桃色の可愛い花。
恐らく偶然出来たあの種は、近くに居る人間の感情に反応して成長するのだ、という仮説。
「…樹のように成長して黒い花が……仕方なく我が切った」
「ごめんなさい、結局解らなかったんです…」
口から出たのは偽りだった。
アンバーに預けた種がそのような成長を遂げて、仮説が正しかったとしたら。
それは多分、言うべきことではない。
他人の自分が干渉して良いものではないのだ。
「本当にごめんなさい…アンバーさん、大丈夫でしたか?」
「それは案ずるな。何事も無い」
種が感じ取ったのは、アンバーのどんな感情だったのか。

自らを襲う程の、強く、暗い心の色。

End


シリアス…というか暗い感じ。
私の中の後半アンバーイメージが詰まってます。
エメラルドがおいしい所を持っていくのはお約束というか何と言うか…(笑)
最近暗いお話が好きでどうしようもないです。