非現実

彼の無感情な瞳が、記憶に焼き付いた。
城内の彼は、煩いと言ってしまって良い程に賑やかで。
名前を聞いて思い出す表情はいつも笑い顔で。
――それが全て崩れた瞬間だった。
『言えるかっての、なぁ?』
……何を?
それを問うべきは、自分ではないと知っている。

そうやって、その無表情で。
彼は城下町の一角に居た。

「ロードナイト」
通りのベンチに腰を下ろしていたアンバーは、遠目にも目立つ“リスティ”の騎士の姿を見つけて反射的に呟いた。
相手も気付いていたらしい。その声は届いていなかっただろうが、向かってくる。
気まずそうに、アンバーは視線だけ逸らした。
“リスティ”の彼の本性が“晶角狼”だとは知っていた。
知っていたが、見たことは無かった。
それ故の、自身の恐ろしい行動を思い出す。
彼に奇襲をかけて毛皮で遊んだ。
王直属の“晶角狼”を臆することなくいじりたおせるのは、彼の妹ぐらいのものだろう。
「……悪かった」
ロードナイトが、会話が成立する範囲内に入るや否や、アンバーは告げる。
「何のことだ」
「いや、その……なあ、あの、毛皮とか」
乾いた苦笑。
“無表情”が消えた彼に、溜息混じりにロードナイトは答える。
「忘れろ、と言ったはずだ」
「…ああ、じゃあ、謝ったことだし忘れとく」
そこで会話が止まると、後に流れるのは沈黙しかなかった。
お互いに、何故相手が立ち去らないのかと考えながら、微妙に目を合わせない妙な間が続く。
ロードナイトは帰ろうとはしなかったが、アンバーの横に座りもしなかった。
「…人」
往来を眺めながらアンバーが口を開いた。
「大分落ちついたよな。祭りの時は凄かった」
「…ああ」
「何しに来たんだ?お前」
「妹が注文していたものを、かわりに受け取りに来た」
ロードナイトは、手に持った紙袋を見せる。中身は菓子の材料だろうか。
「お前は」
そこでまた会話が途切れると思ったアンバーだったが、彼はそう尋ね返してきた。
「こんな所で何をしている?」
「俺、は…まあ、散歩だな。ちょっと時間があったから、こっちまで来てみたっつーか」
見据えてくる銀の瞳に、アンバーのおどけた笑いも自然に止む。
「…まあ、それよりも、用事が終わったんなら早く戻ってやれよ。ユナが待ってるんだろ?」
「…………体調が、良くないのか?」
その一言でアンバーの表情が完全に強張った。
ロードナイトを映す瞳に、排他の色が浮かぶ。
「あいつに、聞いたのか」
「聞いた、というよりは、見ていて解った。…具合が悪くてここで休んでいたのか?」
何故、ここまで食い下がるのか。ロードナイトは自分自身でも不思議に思わずにはいられなかった。
目の前に居る彼の為なのか、それともここにいない彼女の為なのか。
どちらかなのか、どちらもなのか。
「……関係ないだろ。少しぼさっと休んでるのが悪いのかよ」
「お前が私と同じく城に仕える者である限り、体調が悪いというのなら放っておく訳にもいかないだろう。もし何かあれば、私は陛下に何と言えばいい」
「…………」
返す言葉は出てこなかった。アンバーは、また彼から目を背ける。
正直な所、疲労感が抜けない。
歩くのも億劫で、様子見に座っていた所だ。
「…頼むから」
ロードナイトは、告げたならば手を貸してくれるだろう。
だが。
「俺のことは放っておいてくれ」
紡いだ言葉は拒絶。
ロードナイトは静かに次の言葉を待っていた。
「お前は、あいつの世界に居る人間だから」
「…何?」
「あいつの傍に居る人間だから、俺の世界じゃない。だから」
「……」
「俺には、構わないでくれ」
遠回しな言葉だった。
しかしロードナイトは、彼の意図を何となく汲み取ることが出来た。
「お前がどのように考えるかは勝手だが、現実というものはひとつしか無い。それは変えられない」
王の近衛騎士は、反抗的な目を向けてくる。
「お前の言葉を使うなら、私の“世界”にはお前も彼女も居る。それが現実だ。お前が彼女の生きる時間を非現実ととらえようとも、周囲はそうは思わない」
日が沈み始め、人通りもまばらになりつつある。
ロードナイトの薄青の髪、アンバーの淡茶の髪に影がさす。
「…今、こうやって話をしていることは非現実なのか?」
アンバーは答えなかった。
肯定は不可能だった。しかし、否定の言葉も出ない。
銀の双眸に心中を見透かされているようで、居心地が悪かった。
ふと、ロードナイトが歩き始めた。
しかし、彼の進む方向は城とは正反対だ。
道を曲がって、ロードナイトの後ろ姿がアンバーの視界から消える。
そして、そこから駆けてきたのは“晶角狼”。
「――――!!」
彼は、アンバーの前で足を止める。
首が、乗れと促すように動いた。
「俺、は……」
人間の姿の彼と同じ色の瞳が見つめてくる。
数秒の後、アンバーは無言の圧力に従った。
背に跨ると同時に、風を切って走り出す狼。
「…………悪い」
アンバーが小声で告げたそれが何かへの謝罪だったのか、それとも謝礼だったのか。
それは、解らなかった。

すぐ前に、城門が見えた。

End


「アンバーとロードナイトが仲良い話」というリクエストを頂いて書きました。
……仲良い話?
シリアスでした。
自己完結な雰囲気がひしひしと。
“世界”という考え方は、本編で入れられなかったもののひとつ。
でも、こんな会話があったって良いんじゃないかと…
いつか、明るい話でこのリクエストにリベンジしたいです。
話的には、「王国祭」の後。
究極のネタばれ話です。