3・好敵手

騎士団本部は内部も庭も問わずに、常に何処か張り詰めた空気が流れている。
大陸の中心部に位置するこの国は、東国が西国へ領土を広げる為の足がかりとして、何度も襲撃を受けている。
その戦争が決定的な終焉を迎えるまで、それは当然のことだろう。
だがしかし、珍しいことに最近の本部は少しざわついていた。
騎士達の噂は、ある一人に関することでもちきりだった。
西方からの騎士。
髪染めにピアスの軽い男。
実はとてつもなく強いらしい。
何だかしゃべりが変。
「お早うございますー。今日も良い天気やねー」
様々な話題が飛び交う中、当人は爽やかに中庭を横切っていった。
寝起きの李稀は歩きながらのびをして、欠伸をする。
どうやら自分は色々と噂をされているらしい。
外見が異様なのは十分に解っている。別に噂など気にするようなものでもない。
だが。
噂のせいか、どうやら他の騎士からはまだ距離を置かれてしまっているようだ。
いざ戦争が起こったときを考えると、これは危機的状況だ。部隊長どころではない。
それよりも何よりも、今の李稀にとって致命的なものがあった。
暇だった。
軽口をたたくような相手もなければ、剣の打ち合いをする相手も居ない。
トパーズの右手持ちを探すにも、誰に声をかけて良いのか解らない。
団長は何か面白がっているようで、数回尋ねたが手がかりはくれなかった。
自力で何とかする他無い。
しかしとりあえず、暇だった。
暇は人間を殺せると李稀は思う。
ぼんやりと歩き、座るのに丁度良さそうな岩を見つけると、彼はそこに腰を下ろした。
仰ぎ見た天は広く。
空は青い。
雲は白い。
ありきたりな夏空のコントラスト。
「なあ知ってるか、この前の暴れ馬の」
通りすがりの騎士の声が聞こえてきた。
李稀は耳だけ傾ける。
「あれ…俺踏まれかけた」
答えた騎士の声には、自分も思い当たる節があった。
今思えば笑い話だ。
そういえば馬上の騎士は大丈夫だったのだろうか、と今更ながら思い出す。
「あの人無傷だったんだろ、流石だよな」
続く声。
あの人とは馬上の人物のことだろうか。
だとしたら何と運の強い人物か。
詳しく聞こうと李稀が視線を下げた時には、その騎士の姿は見えなかった。
追いかけて探すまでもない。李稀は苦笑する。
その時、後ろに誰かが座る気配がした。
振り向くと、背を向けて少年が座っている。
黒い髪に茶色いマント。
最も位の低い、一般騎士だ。
「なぁ」
李稀は少年のマントを引いて声をかけた。
無言で彼は振り向く。
暴れ馬暴走事件のその後のことでも尋ねてみようと思ったのだが、そんなことも忘れるぐらいに李稀は驚いた。
「だ、団長ハン、なんでこんなミニサイズになっとるんですか!!??」
少年の顔は、騎士団長橙海に生き写しだった。
ミニサイズ、と李稀は言ったが、少年の背が低い訳ではない。長身の橙海に比べると小さいというだけの話だ。
初見の相手に出会い頭に叫ばれて、少年は少々不快に思ったようだ。
溜息混じりに答える。
「…ああ、新しく来た騎士……だから知らないのか」
「何を知らんって…」
「団長は、俺の父親」
騎士団本部では周知の事実であるそれは、当人の口から淡々と告げられた。
「ああ、そうかー!!!息子さんいるって言っとったもんなあ、団長ハン!…にしてもそっくりやなー」
「……で、何か用事が?」
黒髪に黒い瞳。橙海と違う所と言えば雰囲気に残る幼さと、やや長めの前髪ぐらいだろう。
どこか面倒そうに尋ねる少年に、李稀は気にした様子もなく問いかけた。
「ほら、この前何か馬が暴走したことあったやろ?あの時上に乗っとった奴知っとるか?」
「何故」
「いや、あんだけ爆走しとって上の奴無傷だったって話しやから…どんな奴かと思ってなあ」
「無傷どころか、再挑戦を考える根気強い精神。剣術も乗馬も一流の、本部の期待の的」
「随分詳しいんやなー。そんなに有名なんか?あ、実は仲良いとか?」
「有名。別に仲は良くないけど、血は繋がってる」
そのことを疎ましく思っている、という訳ではないだろう。
しかし少年はどこか自虐的にその言葉を吐いた。
「俺の兄」
「成程なー……なあ、その兄さん何処におるか解るか?」
「何故」
「いや、暇やし会ってみたいなーと思ってな」
「庭の……」
少年は言いかけて、止まった。
馬の訓練場もあり、だだっ広い本部の中庭。
その中の場所を説明するのは難しい。寧ろ無理。
「案内してくれん?ミニ団長ハン」
人当たりの良い笑顔で告げる李稀だったが、少年は嫌そうな顔をした。
案内するのが嫌なのか、呼び名が気にくわなかったのかは解らない。
だがまだ李稀は彼のマントを掴んだままで、承諾するまで離しそうになかった。


戦争の中生死をともにする相棒と言うべき剣を手にしたその日から、探しているものがある。
正しくは、探していたものがある。過去形だ。
何故ならそれは、一直線に目の前へ飛び込んで来たからだ。
自分の剣と対の剣、そしてその持ち主。
前者が、その鋭い刃で陽光を反射しながら飛んでくる。
「うぉうあ!?」
単語にならない悲鳴をあげて、李稀はぎりぎりの所で剣をかわした。
顔の横を掠める剣。頬を浅く切り裂いて、剣はすぐ後ろの木に突き立つ。
前髪が数本宙に舞った。
横を歩いていた団長の息子も、これには驚いたようだ。
剣が飛んできた事も勿論そうだ。だが、その剣を避けた李稀の反射神経の良さ。
並の騎士では剣が直撃していたのは間違いない。
「な、何故に剣が……」
李稀はずるずると、木を背に座りこんだ。
ずっと探していたトパーズの魔剣の片割れが木に突き刺さっている。
ずれていたら死んでいた。良くても完治数ヶ月の大怪我だ。
すぐに足音が聞こえてきて、大慌てというよりかは焦燥した様子の騎士が走ってきた。
「だ、大丈夫ですか!?」
騎士団に女性が居たらもれなくくぎづけになるだろう、と賞したくなる美しい顔をゆがませて、駆けてきた黄樹は開口一番に問いかけた。
どことなく青ざめた顔色だ。
彼の目は、薄く切り裂かれて血が流れている李稀の頬を凝視していた。
その黄樹の隣には、その場に卒倒してしまいそうな程蒼白な顔色で馬の手綱を握った騎士が立っている。
「平気や平気、お気遣いなくー」
李稀はへらへらと笑って、頬の血を拭った。じわりと痛い。
立つのに力を貸そうと差し出された黄樹の手をとらずに立ち上がると、その手を握る。
「ウチ、李稀いいます。よろしゅうな」
「俺、は…黄樹です」
訳を聞くでもなく責めるでもない李稀の突飛な行動に、黄樹は戸惑いを隠せないようだ。
李稀は彼の手を離すと木に突き刺さった剣を抜き、渡す。
「これ、あんたのやろ?」
「ああ、ありがとう」
抜き身の剣は、少年の腰の鞘に納まった。
「申し訳ございませんでした!!」
今まで何から切り出そうか考えでもしていたのか、ずっと黙っていた騎士が口を開いて謝罪する。
「私が訓練で間違えてこの暴れ馬に乗ってしまい、馬が暴走しかけたところを黄樹様が剣を抜いて牽制してくださったんです…馬はそれで止まったのですが、その時に黄樹様の剣がはじかれて……」
「それでウチのトコに飛んできたってことやな。ええってええって、ウチ生きとるしな」
何度も謝罪を繰り返す騎士は、黄樹と同年代か少し下だろう。
どっちにしろ、李稀よりは年下だ。位も高くない。
暴れ馬に乗った恐怖と、剣が人に当たりそうになったという事実の整理がまだ出来ていないのか、混乱している様子の騎士をなだめて李稀は黄樹に声をかけた。
「そや、黄ちゃん」
「お、黄ちゃん?」
唐突に付けられたあだ名を反芻してしまう。
名前と特徴だけは聞いていた新しい部隊長。
確かに騎士らしくはない彼を、黄樹は眺めた。
初対面であだ名を付けられるというのも複雑な気分ではあったが、人当たりの良い笑顔は好印象だ。
騎士らしくはない、だが彼は剣に熟達している、と何となく感じる。
木から抜き取った剣を持つ姿が、あまりにも似合っていた。
「その剣、魔剣やろ」
指摘されると、黄樹は隠そうとする様子も無く頷いた。
「そう、トパーズの魔剣。ご存じなんですね」
微笑は英知と優しさを湛える。
李稀はだが、その内に秘められた闘志と強さに気づいていた。
彼は強い、と悟ったとでもいうべきか。
黄樹は李稀の横の少年に目を向け、尋ねる。
「緑野、珍しいな?こんなところに居るなんて」
「…この部隊長が兄さんに用事があるそうで」緑野と呼ばれた団長の息子は億劫そうに言った。
「用事ですか?」
「まあなー」
顔を見てきた黄樹に笑いかけ、李稀は言葉を選ぶ。
「まあ、何ちゅうか…」
そこまで切り出して、止まる。そのまま数秒黙って、彼はマントの下から自分の剣を引き抜いた。
どんな説明よりも相手に伝わるのは実物の存在だろう。
「―――!!」
驚きに目を見開いたのは黄樹だけではなかった。
緑野と、年若い騎士も魔剣の登場に呆気にとられている。
「これが、ウチの剣……ウチの腕や」「左手持ちの、トパーズ…」
その存在は知っていた。何処にあるのかすら見当がつかなかったそれが、まさか目の前に突然現れるとは。
黄樹は李稀から左手持ちの剣を受け取ると、軽く振った。
彼の利き手は右だが、左手も使うことが出来る。
剣を振るその感覚だけで、魔剣が本物だと断定出来た。
何もかもが、右手持ちと同じ。
まるでそれもまた、自分の手のように。
「会えて嬉しいわ、黄ちゃん」
「ええと、驚きすぎて何と言っていいか……俺も、です」
彼の返事に、李稀は満面の笑みを浮かべる。
そしてその笑顔に似合わない申し出が紡がれた。
「なあ黄ちゃん、ウチと一勝負してみんか?」
「勝負?」
「真剣…と言いたいトコやけど、トパーズ同士で戦うっちゅうのもなんだかなあ、やし、練習用の木刀かなんか借りてなー。お互いの実力見に丁度良いやろ?」
緑野ともう一人の騎士は思わず目をしばたかせる。
団長の息子、という理由もあるかもしれないが、騎士団本部で黄樹に剣技の練習試合を申し出る者など居ないと言っていい。
黄樹の実力は誰もが知っていた。
「解りました。その勝負、受けましょう」


「橙海様、何を見ていらっしゃるのですか?」
尊敬すべき騎士団長は窓際に立っていた。
程良く湯気のたつ茶を盆に乗せて持ったまま、紺碧は不思議そうにした。
外を眺める橙海が、何やら楽しんでいるように見えたのだ。
「紺碧か。…いや、なに、黄樹の練習試合らしい」
「…黄樹様が、練習試合ですか?」
「見るか?なかなか互角の勝負だ」
橙海は少し横にずれた。
「橙海様、ご冗談を…私には今の騎士団には、黄樹様と渡りあえる者が居るとは到底思えません。あの方は天性の才能をお持ちです。……勿論、橙海様を除いて、ですが」
普段見せることもないような戯けた笑顔で返してきた橙海に、紺碧は面食らう。
「随分と息子を評価してくれているようで、親としては嬉しいものだな。親の欲目かもしれないが、確かにあいつは剣の才能がある。更に経験を積んでいくのなら、やがては騎士団をまとめあげる存在にもなれるだろう。良くできた息子だ、と誉めてやりたいところだが」
「……?」
「出来過ぎるのも考えものだ。あいつは真面目すぎる」
「それは良いことでは…?」
「悪くはないな。だが、そのせいで黄樹にはあるものが徹底的に欠けている。寧ろその点では緑野が圧倒的に優っている。…あの騎士がそれを気づかせてやれるかもしれないな」
「あの騎士、ですか?」
まだ疑わしげに、紺碧は窓の外を見た。
座って見ている緑野と騎士がもう一人、木刀を握る黄樹、そして――
「李稀…!?あの部隊長が何故……」
更に信じられないことには、橙海の言う通りに互角なのだ。
「李稀…彼の実力は予想以上だな」
「その…ようですね……」
李稀の打ち込みを、黄樹が受けた。
瞬間、二本の木刀はぶつかり合った部分から折れて飛んだ。
「――あ、っ!?」
「いつも魔剣を手にしている者同士の打ち合いなら、ああなるだろうな」
何故橙海がそんなにも楽しそうに見ていられるのか紺碧には解らなかった。
次に彼が試合の行方を見た、その時。
持っていた茶が床に広がった。取り落としたのだ。
いよいよ橙海が、声を上げて笑った。


剣を捨てた李稀の放った膝蹴りが、黄樹の鳩尾を直撃した。


開いた口が塞がらない、とはこのことを言うのだろう。
まさにそんな表情で、公式の見物人2人は硬直した。
蹲った黄樹はやっとのことで座った体勢になるが、まだ立ち上がることは出来ないようだった。
「ウチの勝ちやなー」
「ちょ、は、反則じゃないんですか!?膝蹴りなんて…」
緑野の横で、騎士が抗議の声を上げる。
「何でや?ウチは剣の打ち合い、なんて言っとらんやろ。一勝負、や。反則も何も無いやろ」
「で、でも…」
確かにその通りではある。
黄樹は複雑な心境だった。
膝蹴りという形で負けたことに対してではない。
木刀が折れたときに何故動かなかったのか。
――いや、何故動けなかったのか。剣の打ち合いだけならば、彼とは互角のはずだった。
自分は何処かで、あの瞬間、戦いは終わったと思っていたのではないだろうか?
すっと、目の前に手が差しのべられた。
「やっぱり黄ちゃん強いわー!魔剣扱っとるだけある!ウチ、めっちゃ気に入った!!」
あくまでも初対面である。
それが普通に話しかけてきて、勝手な呼び名を付け、更には試合を申し込む。
挙句の果てが膝蹴りだ。
破天荒。
その言葉しか思いつかなかった。
そう思いながらも、相変わらず笑顔の李稀を好ましく思う。
その理由は解らなかったが、黄樹はその手を取って、立った。
「ありがとうございます、李稀さん。いい試合でした」
「あーあ、もうそんな敬語やめや、やめ!!ウチのことは李稀でええからな」
緑野は、もうついていけないとでも言うようにその場を立ち去ろうと歩きだした。
とりあえず、兄と彼の間に友情らしきものが芽生えているのは放っておく。
周囲からそっと見ていた他の騎士達も、誰一人何も言わなかった。


「紺碧、どうかしたか?」
橙海の笑いは未だおさまってはいないようだった。
「いえ、その、何というか…」
「茶はどうした?」
「え……ああっ!?も、申し訳ございません!!!」
知らず知らずに床にぶちまけてしまっていた茶は、橙海の足にもかかっていた。
慌てふためく彼を見て、橙海の笑いはまたもりかえす。
「紺碧、黄樹に足りないものが何だか解ったか?」
「い、いえ、何が何だかもう……」
それどころではないという感じだった。
「……あの変則的な戦い方、戦闘における柔軟性だ」
言ってから、橙海は大慌てで茶を片づける紺碧を手伝ってやる。
翌日の騎士団の話題は、もう既に決まったようなものだった。
将来有望な団長の息子対新米部隊長の練習試合、意外な結末。
例えそれが嵐の前の静けさ、戦いの前の僅かな平和なのだとしても。
明日の騎士団本部は、楽しい話題で沸くことだろう。