2・双樹

「黄樹殿、そのような格好でどちらへ?」
後ろからの声に呼ばれて、彼は歩みを止めた。
振り向いた顔にはまだあどけなさが残る。
少年と青年のちょうど中間ぐらいの年齢。
黄樹は黒い髪に黒い瞳の、ごく普通の人間だ。
ただ、その顔は誰が見ても整っていると口を揃えて言うだろう。
穏やかな、だが芯には何者をも寄せ付けぬ強さを持った眼差し。
彼を年齢以上に大人びて見せているのは、騎士としての肩書きなのだろう。
銀騎士――一般騎士から始まり五等、四等と位が上がり、その最上である一等の中での実力者に与えられる称号。その最年少保持者である黄樹は、団の中でも様々な意味で注目を集める存在だった。
そして、その彼は、銀騎士の証である美しい銀糸の外套を纏わずに外へ出ようとしているところだった。
「紺碧さん、こんにちは」
見知った相手に挨拶して、黄樹は笑いかける。
「これから乗馬の訓練に…庭のほうへ。新しい馬が入ったようですから、次の戦いでどれと当たっても良いように慣れておこうと思いまして」
そうですか、と、相手も微笑む。
恐らく30代の半ばか。
厳めしい雰囲気を持ちながら、口調に優しさをにじませる長身の男は、紺碧という名だった。
彼もまた銀騎士の称号を持つが、それよりも彼を表すのに相応しい名がある。
団長補佐、それが彼の役割。
「流石は黄樹殿。他の騎士にも見習ってもらいたいものです」
「そんなふうに言われるようなことではありませんよ。それよりも、何度も言いますが…俺を相手に“殿”なんて付ける必要はないですよ」
「何を言いますか。黄樹殿は黄樹殿です。寧ろ、私に対して敬語を使う必要こそありません」
「それこそできませんよ」
口調は堅いながらも打ち解けた会話に、12時を告げる時計の音が割り込んだ。
紺碧は時計を見直し、多少慌てたようにする。
「黄樹殿、私はこれから橙海様にお会いするので失礼致します。怪我などなさらないように、どうぞ、訓練頑張って下さい」
「ええ、ありがとうございます」
二人は軽く会釈し、反対の方向に歩き出した。
黄樹が、分厚い金属で出来た入り口に手をかける。
騎士団本部の重い扉が、開いた。

まさかこんな日に山登りをすることになるとは、全くの誤算だった。
二日ほど馬を急がせて意気揚々と騎士団本部へと向かい――待っていたのは熱中登山。山道は馬が十分走ることが出来るようになっている。
だが、はやる気持ちとともに馬を酷使しすぎたのか、麓の街でばててしまった。
一度本部へ着いてから馬を迎えにきてやろうと、宿屋に預けることにして。
結果、日が照りつける中延々と山道を徒歩で行くことになってしまった。
本部は山頂近くに立っている。
三日前に雨が降ったきり、暑い日が続いていた。
木陰の無い道を朝早くから歩き続けた李稀が汗だくで本部前まで辿り着いた頃には、太陽は真上を移動して傾きかけていた。
どうせ山登りなら、銀の外套を脱いでくれば良かったなどど今更ながらに思う。
団長に会うときに正装すればいいだけの話であって、何も登山まで騎士の格好でする必要は無かったはずだ。
あまりに暑いくて思考が麻痺でもしてしまったのか。
李稀は左目にかかる長い前髪を手で掻き上げ、苦笑した。
「暑……やってられんって」
木々の葉はぴくりとも動かない。
見事なまでの無風。
深い溜息をつき、ほんの数メートルなのだがいやに長く感じる扉までの道を歩く。
不意に、遠くから音が聞こえ始めた。
幻聴か、と思いつつも李稀は目を動かす。
彼の頭の中で、その音はこう擬音にされた。
ぱかぱか。
馬の蹄の音。
だが実際に近付いてくるそれは、そんな可愛らしい音では決してなかった。
凄まじい速度で走る音。
――いや、馬が騎士団本部の扉の前を走る訳が無い。暑さで朦朧とする李稀の頭は、全てが幻だと決めつけた。
そう、全て幻聴なのだ。
近付いてくる蹄の音も、人の声も。
「危な―――!!!!!」
大声で彼は我に返った。
上方から響いた切羽詰まった叫びと、荒い馬の咆哮。
鬱陶しい太陽が遮られ、視界が暗くなる。
暴れ馬。
悟った瞬間に、李稀は渾身の力で右方へ跳んだ。
そのまま滑り込むように身体を倒し、出来るだけ遠くへ。
彼の身体の横すれすれの地面を力強い馬の足が踏みつけ、目も開けられない強風が起こる。
「この、っ――――!!」
それは馬上の人物の声だったろう。
本部の鉄の扉に向かっていた馬は、必死の先導で進行方向を変える。
足音が遠のき、李稀が身体を起こした時には、もう馬の姿は見えなかった。
素晴らしい駿馬だ。
「……なんや今の…戦争行く前に死んでまうわ」
とりあえず、恨み言を言っておく。
位ある銀騎士のマントは土埃にまみれ、とても団長に謁見する格好ではなくなってしまった。
申し訳程度に汚れを叩き落とし、李稀は馬が去っていったであろう方向を眺めた。
馬に乗っていた人物は大丈夫だろうか、と、心配になる。
逆行と馬の体で、どんな人物かは解らなかった。
声の調子からすると男だろう。それも、まだ年若い。
見えたものといえば。
腰の辺りのなにかが陽光を反射した、眩しい輝きだった。


馬上の黄樹は、ひたすらに手綱を握っていた。
乗馬訓練にと選んだ馬は、軽く訓練場の柵を踏み壊し、だだっ広い庭を思うままに駆け続けている。
恐ろしいまでの、馬の強靱な持久力。そして自らの未熟さ。
今になって痛切に感じたところで人を避けるだけで精一杯。どうしようもない。
扉の前にいた銀騎士が一番危なかった。
あやうく踏みつぶしそうになった彼とすれ違ったのはどれだけ前のことだっただろう。
目の端で何事かと見てきている他の騎士の姿をとらえる。
しかしこの場合、助けを求めたところで意味がないことなど解りきっていた。
どうするか。
極限状態の頭で黄樹が思索しているうちに、眼前に大岩が迫っていた。
本部の庭で、騎士達が腰を下ろす場所として利用している大岩だ。
馬のこの速度では曲がれない、正面衝突は免れない。
飛び降りたところで、全身複雑骨折が関の山だ。
黄樹は覚悟――自分でも何の覚悟かは既に解らないが――を決めた。瞬間。
馬は後ろ足で地を蹴り、大きく跳ねた。
弧を描くように大岩を飛び越える美しい黒馬。
見ていた者は皆思った。
その瞬間の黄樹はまさに、黒馬に乗った王子様のようだ、と。
そしてその王子様は、着地した馬が急停止するのにあわせて中空に投げ出される。
これが慣性の法則か、と、黄樹は本で学んだことをやけに冷静に思い出していた。
このまま華麗に着地することが出来るのなら、何も言うことはない。
勿論、そんな芸当が出来る訳がない。
咄嗟に、流れるような馬の鬣を鷲掴みにし、それがぶつりと切れると、黄樹は馬の足元に落下した。
ごん、と、あまりにもありふれた音をたてて頭を軽打する。
受け身の訓練は当然のことながらしている。しかしあまりにも突然すぎた。
言い換えると、完全ではないが受け身を取ったため、全身強打からは免れたのだ。
黄樹が打った頭を抑えながら立ち上がると、馬は呑気に草をむしって食べていた。
そんな草食べたら腹を壊すぞ、と笑顔で言ってやれる優しさももう無く。
今日の夕飯は馬刺にしようかと黄樹は半分本気で考えていた。


叩かれた扉が開いて青年が入ってくるのを、騎士団長は黙って見ていた。
現れるのは銀のマントを纏った騎士だと思っていたが、彼は普段着だった。
右手に土まみれの布を抱えている。あれがどうもそのマントのようだ。
何故だか解らないが、左側の前髪だけ目が隠れるほど長い。
しかも、微妙に鮮やかに染められている。随分と変わった趣味のようだ。
耳に光るピアスを見ても、騎士と呼ぶのが疑わしい出で立ち。
「橙海様、“銀騎士”李稀、騎士団西支部より只今到着致しました!」
李稀は敬礼し、普段の独特の訛ではなく、はっきりとした敬語で告げた。
「長い道を、ご苦労だった」
騎士団長橙海は、目を通している最中だった書類を横へ置いた。
「今回の移動は急なことで…すまない」
「いえ、全然構へ…いや、構いません」
「そう言ってもらえるとこちらも助かる」
「ウチ……私も、本部へ来たいという希望はありましたので、何ちゅ…というか、丁度良かったんや……です」
歯切れ悪そうな李稀を、橙海が不思議そうに眺める。
目が合うと、彼はごまかし笑いをしてから大仰に頭を抱えた。
「だあーーーー!!何かみまくっとんねんウチ!!!!!!」
呆気にとられた橙海は言葉を失う。
「すみません団長様、マントは素敵なアクシデントで土だらけ、髪もピアスも今日はこんなんですけど、直しますから。一度はそのまんまの私でで挨拶しておこうと思いまして、今日はそのまま来たんです」
照れたようにして、李稀は続けた。
「ウ…私は西でもかなりはずれの方の出身で、そこの訛が抜けとら…ていないんです」
「……無理して直す必要は無いぞ」
真剣な李稀に、橙海は失笑する。
「へ?」
「その髪とピアスも…君をここへ呼ぶときに他の者が指摘はしたのだが、騎士団は学校ではない。仕事を確実にこなして実績もあるのなら、言葉や身なりなど問題にはならないだろう」
「ほ、ホンマですか!?」
若き“銀騎士”は瞳を輝かせる。橙海が頷くと、李稀は彼の机へと駆け寄った。
「ホンマなんですね!?ウチ、髪染めてピアスしとるから指導のために部署移動された訳やないんですね!?」
「…………そんな理由で部署移動など普通はしないが…」
「団長ハン、ええ人や!!ぶっちゃけると顔見た瞬間怖いとか思ってすみませんでした!」
「こわ……」
悪気の欠片も無い笑顔。
橙海は少しだけ悲しそうに目を逸らした。
闇のような黒い外套に黒髪黒目の橙海。
しかも、双眸は、そうしようとするのならば確実に相手を竦ませるほど鋭い。
幾多の戦いを勝ち抜いた騎士団長の威厳と呼べるようなものがそこにはあった。
「……まあ、自覚してはいたが…面と向かって言われたのは初めてだ」
そのとき、紺碧は茶を運んでいるところだった。
新しい騎士が団長の所へ着いているはずである。
茶ぐらい他の者に運ばせても良いのだが、橙海が名指しで呼び寄せた西方の騎士に会ってみたいという思いが強かった。
外見には問題があるという話だが、それでもなお橙海に遇されるというのだからどんなにか素晴らしい騎士なのだろう、と。
団長室の扉を開けようと手を動かした瞬間、声が聞こえてきた。
「そや、団長ハン、何でこんなにこの部屋涼しいんですか?」
「ああ、そこに黒い塊があるだろう?それは隣国製の魔術による冷房機で、数年前に国王様に頂いたものだ。かなり良いものらしいのだが、他に置くような場所もないのでとりあえずここに置いてある」
後者は団長の声に違いない。だとすると前者がその騎士の声なのだが。
かなり訛がある話し方だ、と、紺碧は手を止めた。
いや、注目すべきは寧ろそこではない。
彼の言葉に敬語というものはあっただろうか。
「……失礼致します」静かに扉を叩き、開く。
「ええなあ、団長ハン!こんな暑い日には天国や!涼みに来たいですわ」
「ああ、別に構わない。私だけ涼しい思いをするというのも悪いと思っていたところだ。立ち入りを禁じている訳ではないのだが、ここは用事のある者以外が滅多に訪れない」
「そりゃー、団長ハンがむすーっとした顔して座っとったら、怖くて入りにくいと思いますよ?」
紺碧は危うく茶の入った椀を落としかけた。
顔から血の気が引いていくのを自分で感じる。
そこに立っている訛のある言葉の騎士は、騎士団にその人ありと名高い団長に対して何を言った?
「そういうものか?」
当人は気に止めた様子もなく、平然と答える。
「団長ハン、普通にしとったらかなりの美形やと思うんですけど、何ちゅうか目が鋭いから、不機嫌そうな顔しとったら本気で怖いと思いますよ」
「そうか…」
「……橙海様、お茶をお持ち致しました」意を決した紺碧が声をかけた。
「ああ、有り難う。机に置いてくれるか」
「あ、ほら、団長ハン、今みたいに少し笑っとったほうが怖い顔より全然良いやないですか!」
――まただ。紺碧は気づかれないように李稀を睨んだ。
紺碧と橙海はともに37歳。同年代ではあるものの、紺碧は彼を尊敬している。
一剣士としての実力、騎士団をまとめ上げる統率力、そのどれもだ。
その橙海に対して、新しく来た騎士は、こともあろうに“怖い顔”と言ってのけたのである。
「こんにちは、団長補佐の紺碧ハンですよね?ウチ、李稀言います。西支部から来ました。これからよろしくお願いしますー」
「……こちらこそ」
紺碧はしぶしぶ答えた。
正直な所、大きく期待はずれだ。
染めた髪、ピアス、訛はいいとして軽い口調。
前髪が何故か片方だけ長いのはどうでもいいとしても。
そこまで考えて、彼はふと李稀を見た。
左側だけ、目が隠れる程に長い前髪。
髪の長い騎士は少ない訳ではない。ただし、それが片側の前髪というのは他に見あたらない。
どうでもいい、確かにどうでもいいことではある。
だがしかし、李稀の前髪は明らかに異常だ。
紺碧だけでなく橙海も、無意識に彼の前髪と、その下にあるであろう目を凝視していた。
何か深い理由があるのかもしれない、と考えると、軽々しく問うことも出来ない。
「あー、コレ、気になります?」
李稀はその視線に気づき、前髪を指さした。
「……立ち入ったことだとは思うが、気になって仕方がない…」「
でもコレ、別に目が無いとか傷があるとかと違いますよ」
真摯な橙海とは対照的に、李稀は躊躇いも無く長い前髪を掻き上げた。
一般的な黒い瞳がそこにあった。
そして解るのは、李稀の顔が整っていること。
隠すような顔ではない、というよりかは、隠すのが勿体ないと形容するのが正しいだろう。
「何故、左側だけ伸ばしている?」
「いやー、何ちゅうか…おもろい髪型のほうが目立つやないですか」
「…は」
真剣な面持ちだった橙海は、今度は呆気にとられた表情になる。
「ほら、それに、目を隠してるのってシリアスさが演出されるんやないかと…別にウチにそんなシリアスな生い立ちがある訳ではないんですけどねー」
「……」
呆然とする橙海の横で、紺碧が顔を引きつらせていた。
あまりにも下らなさすぎる動機に、何か言ってやる言葉も思いつかない。
「ウチ、この性格と話し方やから…どうも軽ーく見られるんです。これは騎士としてアカンな、と思いまして、せめて外見でミステリアスさをアピール、ってことです」
「いや、軽く見られる一番の原因は染めた髪とピアスだと思うが…?」
そして、呆れる紺碧の隣で、橙海が笑った。
「やっぱそう思います?そやけどウチ、この色とピアス気に入っとるんで…こんな格好なんです」
「…失礼致しました」
紺碧は短く言い残すと、精神的な頭痛を感じながら退出した。
扉の閉まった僅かな沈黙の後、橙海が口を開く。
「…で、かなり大きく話が逸れてしまったのだが」
「めっちゃ唐突やん!」
あまりにもおいしいつっこみ所に、つい同僚に接するように返してしまい、慌てて口を押さえる李稀。
橙海は微笑して、すぐに真摯な面持ちに戻ると、続けた。
「君をここへ呼んだのは他でもない……前回の戦いの時に、部隊長に欠員が出た」
「…それは、ウチが部隊長になるってことですか?」
「ああ。君は20歳とまだ年若いが、剣士としての実力は申し分ないと聞いている」
「そう思ってくれてるのなら光栄ですわ。喜んでお引き受けしますー」
「すまない。こちらとしても次に備えて早急に手を打たなければならないのだ。……嫌な話だが、今までこちらに攻めてきていた東国と、その南の国が締結したという話が入っている」
どこか軽い表情だった李稀も、流石に表情を堅くする。
「…東国の機械兵器と、南の魔術兵器を同時に相手にするかもしれん、ってことですね」
「……そうだな」
「それなら、団長ハン、ウチを選んだの正解やと思いますよ」
「…?」
李稀は腰の剣を外した。布を巻いていたらしく、剣だという形しか解らなかったものだが、橙海は布の下から出てきた剣を見て身を乗り出した。
「―――それは、魔剣…!?」
柄元で輝きを放つトパーズ。
一見すると、装飾の美しい豪華な剣だ。
だが、それだけではない事を橙海は知っていた。
彼は、机の横に立てかけてある自分の剣を見る。
形こそ違うものの、同じように填め込まれた緑色の宝石。
「そです。魔剣トパーズ。団長ハンのはエメラルドですよね?これ、何か知らんけどウチの家に代々伝わっとるらしいんですよ」
「……信じられん…だが、本物だな」
橙海は机に置かれたその左持ちの剣に触れた。
魔剣、と呼ばれる剣は、神話や伝説に属するものではない。
柄元に埋め込まれた宝石は、宝石のようでありながら魔術によって作られた、魔力の結晶のようなものだ。
それ故に、魔術で形作られた実体の無いものでさえもその刃で切り裂くことが出来る。
魔術以外で、魔術による兵器を粉砕できる唯一の手段。
魔剣が重宝されるのは、この国には魔術師がほとんど居ないという理由からだ。
しかも、宝石が存在する限り効果が永続する魔剣のような高度な魔術は術師の身体に多大な負担をかける。
この国でその存在を知られているのは、騎士団長の持つエメラルドの剣だけであった。
「…団長ハン、この剣見たことあるんですね?この剣の、右持ちのほう。そやないと、見てすぐに本物かどうかなんて解らんじゃないですか」
「…ああ。だが、何故右持ちの存在を?」
「親にこの剣貰ったときに、あったらしいっちゅう話は聞いてたんですよ。そしたらこっちに来たことある騎士が、ウチの剣そっくりなのを持ってる奴見た、って。……ウチ、ずっと探してたんです、トパーズの右手持ち」
「…何故?」
李稀は机から剣をとって腰に差し直す。
それから橙海に向きなおり、少し照れたように告げた。
「剣は剣士の腕のようなもんやないですか。そやからその対の剣を持っとるやつは、もう片方の腕、というか半身、というか……そんな感じしませんか?ただ、会ってみたいんですよ。それだけです………なんてこんなポエムーなこと恥ずかしゅうて人に話したこと無いんですけどねー」
そうか、と答えてから、橙海は少し意地悪く言った。
「探してみるといい」


黄樹は溜息をつき、騎士団本部入り口の扉を閉めた。
どっと疲労が襲ってくる。
馬が大人しく小屋へと戻ったのだけは幸いだった。
「ああ、黄樹様」
丁度紺碧が階段を下りてくる。彼は何となく尋ねてきた。
「乗馬訓練はどうでした?」
「ええ、とりあえず慣性の法則を実体験してきました」
「……良く解りませんが…先程聞いた話によると、新しい馬の中に手のつけられない暴れ馬が居るそうです。無事なようですので大丈夫だったとは思うのですが」
「……」
黄樹はどこか遠い目で虚空を見上げた。
「霜月、という名の馬で、見事な黒馬だそうですが、人が乗ると豹変して暴れ出すという…送り主もほとほと手をやいていたそうです。軍馬としてならせば優秀になるのでしょうね」「そうですね…そうだと思いますよ」挨拶を述べ、どこかおぼつかない足取りで歩いていく黄樹を不思議そうに見送った紺碧が、外へ出て馬爆走事件の話を聞くのはこの直後の事だった。
自室に戻った黄樹は溜息をついて、立ち止まる。
このまま眠ってしまいたい衝動に駆られるが、そうするにはいささか早い気がする。
彼は腰から剣を抜き放ち、静かに眺めた。
窓から射し込む夕焼けの色を映す銀の刃。
柄元の黄玉の色と相俟って、彼の腕とも呼ぶべきそれは美しく映える。
口元を少しだけあげて、彼は次の行動を決めた。
―――少しだけ、剣の訓練をしよう。