1・きっかけは一通の

やけにその日は暑かった。
からりと晴れた青空には雲の破片すら無く、鬱陶しい程に日が照りつける。
昨日は夜中から激しい雨が降っていたはずだ。
しかし、その翌日の朝だというのにも関わらず、痕跡が見あたらない。
敢えて探して挙げるのならば、道の端で蚯蚓が干涸らびていることぐらいだろうか。
活力をそぐような外の気候などまるで関係無く、国家直属の騎士団・西支部は朝から騒がしかった。


李稀、という青年は、黒髪に黒い目という一般的な国の人間とは少しだけ違っていた。
彼の髪は色鮮やか、かつ、左側だけ前髪が長い。
目を引く髪の色とはいっても何のことはない。黒い髪の一部が、その流れに沿って4色に染められているだけだ。
その色も、片方の前髪が長いというのも、彼の趣味と言ってしまえばそれまでの話。
そしてその特異な風貌に加え、彼は言葉に妙な訛がある。
誰に対しても―例えそれが上司であっても―そのままざっくばらんに言葉を交わす彼。耳には、これも趣味なのだろうがピアスが光っている。
おおよそ騎士らしくない騎士、それが、李稀だった。
彼は眠たい目をこすりながら、勤める西支部の扉を開く。
昨晩は雨の為に見回りの仕事も無く、同僚と酒を飲んで過ごしていた。
正直な所、寝不足だった。
ほんのりと残るアルコールが、頭を重くする。
「おは…」
「李稀いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
礼儀としての朝の挨拶は、絶叫に近い大声をあげる同僚の声にあっさりと掻き消された。
思わず後ずさりたくなるその声が頭にがんがんと響く。
同じ量の酒を飲んで数時間前に別れた同僚は、何故あんなにも元気なのか。
「何やウルサイわお前!朝から……」
文句も最後まで言わせずに、顔を真っ赤にした相手は胸ぐらを掴んでくる。
何か彼の気に障ることをしただろうか。彼の分のつまみを勝手に食べたことを、今更ながら怒っているのだろうか。
と、どうでもいい考えを巡らせながらも李稀はさりげなく同僚の頭に拳を叩きつける。
彼が離れてようやく、彼は周囲が自分を見ていることに気が付いた。
同情なのか畏怖なのかは良く解らない。
ただ、向けられた視線にはただならぬ感情がこもっていた。
「…何があったんや?」
言葉を向けられた他の騎士が答える前に、殴られた同僚が負けじと李稀の肩を掴んで振り向かせる。
「李稀っ、お前何しでかしたっ!?」
「はあ?ウチが何したって?」
「だから何をしたんだっ!?」
「何もしとらんって!!」
埒があかない。
李稀は溜息をつきながら、今度は手刀を相手の頭に振り下ろした。
痛がってその場にかがむ同僚を満足げに見下ろし、彼は告げる。
「訳解らんわ、お前…ウチはいたって真面目な一騎士や!」
「じゃあ、そのいたって真面目な一騎士が何で部署移動されるんだ!?」
恨めしそうに見上げて、同僚の青年は訴えた。
――彼は今何と言ったのだろう?微笑を浮かべて同僚を見下ろしたまま、李稀は脳を高速回転させた。
高速回転した脳は、すぐに冷凍状態に陥った。
「ぶ、しょ、い、ど、う!?誰が!!?」
「お前以外に李稀は居ないだろっ!」
「な、ななななななんでや!?ウチが何した!?髪染めとるからか?ああ、ピアス開けとるからかも!?」
「知るか!でも俺もはっきり言ってそれぐらいしか思いつかない!」
「どっ、どどどどどどないしよ!?」
少々混乱気味の李稀にがくがくと揺さぶられ、頭に二撃をくらった青年は気分が悪そうに顔をしかめた。
驚きのあまり忘れかけていた酔いがまわってきたらしい。
李稀はそんな彼を適当なところで突き放すと、視線を向けてくる人混みに向かった。
彼が近付くと、すっと道が空く。
その先の掲示板には、新しい紙が一枚貼られていた。
『部署移動告知
 銀騎士 李稀
 本日付けで騎士団本部勤務を命ずる  騎士団長 橙海』
「騎士団…本部……」
眠気も酔いも、一瞬で消え去った。
丁寧な黒い文字を、李稀は何度も目で追う。
「李稀、どうする気だ?」
ふらふらする足取りで、先程突き放した同僚が歩いてきた。
「今の騎士団本部なんて、死にに行くようなもんだろ!?」
「…本、部」
呟いただけで、李稀は答えなかった。
脳の冷凍状態が溶け、徐々に沸き上がってくる感情。
それは、部署移動の怒りでも、国の防衛として置かれる支部ではなく、戦争に直接赴くことを主な任務とする本部への恐怖でもなく。
―――純粋な喜び。
「おい李稀、聞いてるのか?今からでも遅くない、髪染め直してピアス外して団長様に謝ってこい!!」
「………やった…」
「はい?」
「やった!!ウチ本部行けるんや!!」
「李稀!?」
彼の叫びは最早悲鳴だった。
対照的に、李稀は笑顔を抑えることが出来ない。
「お前何言ってんだ?今、いつ次の戦争が始まるか解らない今!!本部が危険だってことぐらい解ってるだろ!?」
「…解っとるよ」
彼に向けた顔も、微笑みだった。
少しだけ、申し訳なさそうに。
同僚の、一番の友人とも言える彼の、その心配が嬉しかった。
それでも。
「ウチ、この西支部大好きやけど…同じぐらいずっと本部に行きたかったんや」「…何で、だよ」
穏やかな李稀の表情に、自然と語調が弱まる。
「会いたい奴が、本部におる」
普段の彼からは考えもつかないほど静かに、その言葉は紡ぎ出された。
静かだが、強い言葉。
「…そんなの、今じゃなくても……」
「今やないとアカン。そいつが戦争行って死んでしまったらどうするんや」
「李稀…」
口をつぐむしかなかった。
その様子を見て、明るい笑顔を浮かべる李稀。
見守っていた周囲の騎士も、その表情に彼の揺るがない決意を見て取った。
それは、目の前の同僚も同じ。
「…どんな奴なんだよ、そいつ」
彼は諦めたように尋ねた。
「実を言うと、ウチもまだ会ったことは無いんや」
けどな、と、李稀は窓から本部のある山の頂へと目を向けた。
「……ウチの半身」
「…え?」
「……ってのは冗談やけど、ま、そんなカンジの奴や」李稀の目に、迷いは無かった。
腰に下げた剣で、黄玉が光っていた。