Nostalgia

老人は揺り椅子に腰を下ろすと丁寧に礼を述べた。
吹き往く風が暖かくなる季節だから、彼は普段こうやって外に座って和んでいるのだろうか。
花弁が舞い、茜色の空に映えた。
「本当に、平和な世になったもんだ」
目を細めて、老人は景色を眺めやる。
「この場所から戦火が見えることもない。穏やかな景色だ……そうだろう?」
頷いてやると、老人は続けた。
「……だが、もうどうやっても戻らないものもあるんだよ」
老人が指したのは遠くに見える聳える城の、その向こう。
「儂の生まれた所は、辺鄙な所で貧しかったが、良い所だった。住む者は皆家族のようで、孤独というものを感じることなど無いような所だったんだ」
あの辺りは確か、国内紛争が激化した辺りだ、と思い出した。
もう戻らない何かが、あそこには存在していたのだろう。
それは、人で、場所で。
「儂は息子と二人この丘に移り住んだが、その息子も国王軍に加わりたいと出て行ったまま戻らん。…ああ、つい、長話をしてしまったね」
「……いや、急いではいたけど、実際急ぐものでもないから」
曖昧な返事に老人は軽く笑った。
「ときにお前さん、どちらの出だい?」
不意に話を振られる。
「あんたの故郷よりも、多分、ずっと向こう」
老人が指したのと同じ方向、その更に奥を思い浮かべた。
「同じく辺鄙な所だよ」
だけれど、正反対の場所。
そこは生きる人間全て特殊な存在だから、どこか互いを探りあっていた。
先日出逢った人間と、その日に出会った人間が同じかどうかも判らない。
それでいて誰一人、あの閉塞した場所からこうやって外に出ようともせずに。
「……今、どうなってるのかも判らないな。多分辺境すぎて戦争にも巻き込まれなかったとは思うけど」
「そうか。変わった目をしているから、ここらの人間ではないと思ったがね」
「まあね」
確かに翡翠と琥珀のオッドアイはさぞかし珍しいだろう。苦笑する。
「足があるのなら、帰ってはみないのかい?」
“そこ”はもう帰ることが無いと思っていた場所だけに、複雑な思いが込み上げてきた。
それは彼を相手に語るべきものでなければ、今はそんなことを語るべき時でもない。
「……これから、帰るところなんだ」
「ほう」
「そうだな、俺の“故郷”もあんたと同じく皆が家族みたいな場所。口煩いのとか騒がしいのとか恥ずかしい奴とか色々いるけど、いいところ…だよ」
老人が目を細めて微笑んだ。
今、どんな表情をしていたんだろう。自分では判らない。
そう、急ぐものではないけれど。
あの場所へ、帰りたい。
彼らは変わらず笑っているのだろうか。
――いや、不変などということはあり得ない。
自分が戻ったところで、彼らは迎え入れてくれるのだろうか?
思えば思うほど竦んでしまう足でも、逸る心は止められないから。
いつでも優しい風が吹くあの場所へ。
「引き留めて、悪かったね」
「いや、別に。それよりも、年なんだからあまり無茶しないほうがいいと思うぞ?」
小高い丘に住む老人は、街へ出るのも一苦労だ。
荷物を運ぶ姿を見かけてしまっては放っておけない。
ここまで送ってやることぐらいは容易いこと。
自分では決して、失ったものの代わりになれはしないけれど。
「…ま、そろそろ、帰るよ」
「気を付けて行きなさいな。故郷の人に宜しく」
「ああ」
羽ばたく音がして、赤竜が翼を広げた。
赤い空に、焔のようなその姿が溶けるように広がる。
「じゃあ、またいつか」
老人に背を向け、竜に身を預ける。
振り返ると、手を振るその姿が見えなくなるのは一瞬だった。
燃えるように赤い空高くから眺める“故郷”。
生まれた場所ではなくて。
だけどそこが帰りたい場所で。
「……帰るよ、もうすぐ」
呟いた言葉は届くはずがないけれど。
まだ遠く、だけど、もう近く。
聳える城に向かって、竜は羽ばたいた。

End


2ndの一話、別サイドです。名前は書かれていませんがアンバーの視点。
大分前に書いてあったものを加筆修正してみました。
これを読んでから一話でも、一話を読んでからこれでも、少しだけお話が広がってくれるかな、と思います。
笑って帰ってきたアンバーですが、本当はそんなに強い人でもないんです…というようなことも、これから書いていきたいですね。
城の面々の思いも書いてみたいところですが…こういう形かお題でか。
描きたいと思ったことが、どうも一つのお話に収まりきってくれませんね。

2007.02.18