Prologue

後の世の為に、我々はこれから起こる全ての出来事を書き記す。
序として、僭越ながら私が筆を執ることにしよう。
長く分かれて争っていたこの国も、漸く一応の平和を迎えた。しかし、この争いを決して 忘れることがあってはならない。
中でも、“人間”の中で最も無力であるはずの“ヒュースト”の、目に余る程の横暴な振る舞いは許されることではない。
先ず“ヒュースト”の王としてその事実を認め、他の種族に対し深く謝罪する。
そして、ここに種族の平等を宣言し、差別的な種族表現を廃する。
今、再び「国」となるこのウィルベルグには希望が満ちている。
この光が二度と失われることのないよう、私は自身の全てを捧ぐ事を誓う。胸の十字に懸けて。 
この国は私一人ではなく、生きるもの全ての力で再出発する。
ただ前を目指して進んでいこう。歴史を綴るのは、我々に他ならないのだから。

ジェミニゼル・ライエ・ルジェンス


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それは、ある昼下がりの出来事。
丁度厨房で皿洗いが済み、女中が談話に花を咲かせ、南方へ遣いにやっていた騎士が戻って来た時。
“魔物”と呼ばれる魔力を持った生物―現在は“グリート”という名称に替わったが―の亜種が城門前に止まった。
ハーキマーという名の、馬に似たそれから青年が降り立つ。
割合ざかざかに切られた琥珀色の髪は肩程。両の目は鮮緑で、目鼻立ちの整った顔だ。
彼が身につけているのはややだぼだぼな長いジャケット。暗茶のその腰の辺りには、赤いベルトが十字のように斜めにはしっている。手には、長い棒の両端に刃のついた奇妙な武器を持っていた。
ハーキマーの手綱を引いて城門をくぐる彼は、どこか緊張した面持ちだ。
茶色の樹がぽつぽつ芽吹き始める初春の頃。
石造りの無機質な城の周りには新緑の彩りが添えられている。
小さく感嘆の声を洩らしてから、青年は歩みを進めた。
城への扉の前には女性が立っており、彼に気付いて微笑んだ。健康的な笑顔には好感が持てる。
深い色味の青髪。短めだが、耳にかかっていない部分はやや長い。瞳も髪よりは淡いが青い色をしている。
「お初にお目にかかります、陛下の近衛様」
「ああ……っと、あんたは?」
「サファイア・ヴィクテル。陛下の秘書官を務めております」
成程、彼女は格式張った長衣を着ている。
あまりにかっちりした衣装は、先程の笑顔とはどこか違和感があるが。
「よろしく、サファイア。俺……」
彼が“は”と言ったのと、可愛い声が乱入したのは同時だった。
「わ――――――いっ!!」
「う!?」
不意打ちの“ひざかっくん”―とは言っても相手はほんの少女で、実際は体当たりだ―をまともに受けて、青年は思いきり倒れた。
持ち前の反射神経ですぐさま体を起こし、奇襲の相手を睨み付ける。
そこには、無邪気に見上げてくる赤髪の少女がいた。
「こら、ルビー」
「えへへ」
サファイアが優しくたしなめると、少女は楽しそうに笑う。
愛らしい少女だ。ウェーブがかった髪は頭の後ろで二本にまとめられている。
纏っているのは絹のローブ。そこに赤い十字架が描かれているのに気付いて、青年は目をしばたかせた。
自分と同じだ、と。
「これから陛下にお会いになるのでしょう?この子、ルビーを連れていって下さいませんか?」
「ああ、それはいいけどよ」
服に付いた土埃を適当に払って立ち上がる。
少女の身分はよく解らないが、着ている物が上等なのと、城内にいることを考えても何らかの肩書きを持っているのは確かなようだった。
「ハーキマーはそちらに。また、後でお会いしましょう」
「行こ!」
ルビーに手を引かれるようにしながら、青年は城の扉を開いた。
建物の内部であるはずなのに、開けている視界。
だだっ広いエントランスホールの奥には上へと続く階段が見える。
そこを歩く人々は、青年を不思議そうに見たり会釈をして通り過ぎていく。
確かに自分彼は騎士らしい格好には見えない。
青年はそのことに反省しつつも、静かに一歩を踏み出した。
ここが、これから生きる場所。
ウィルベルグ城へやって来たのだ。
その感覚を確かめながら。
――しかし、その感慨も長くは続かなかった。
ルビーは青年を先導するように城内を歩き始める。
それによって急かされるものの、彼女の歩みは遅い。
足の長さが違うのだから仕方がないことだが、歩き難いことこの上無い。
意図せずルビーに足が引っかかりそうになって、青年は苦笑いしながら彼女を抱き上げた。
「ふぇ?」
「ちょこまかしてると邪魔になるぞ」
「……ぶぅ」
ふてくされたようにはしたが、構ってもらえたのは嬉しいようだ。
中央の階段を上がって、二階へ。
五階まであるウィルベルグ城の中で、謁見室は四階、王族の私室は五階にある。
通り過ぎる二階は城に仕える者の個室で、二人が上がった三階のほぼ一帯は図書室だった。
そこは今までとはうって変わって静寂に包まれていた。知的な空気だけが満ちている。
「あっちだよ」
心持ち小声で、ルビーは謁見室に続く上り階段を指さした。
青年が自らの背よりもやや高い本棚の横を通ろうとした瞬間、誰かがそこを曲がってきた。
「……っと!」
「―――!」
正面衝突とまではいかないものの、軽くぶつかって、相手が持っていた本が床に落ちる。
「悪かったな」
青年は本を拾って手渡した。相手は女性に見えなくもないが、男だった。
年齢はまだ少年と青年の中間ぐらいだろう。背はあまり高くない。
髪は青紫で長く、ひとまとめにしばっていて耳も隠れている。
着ているのは落ちついた雰囲気の立派なローブだったが、左腕の部分にルビー同様自分との共通点を見つけ、青年は少々気まずさを感じた。
「ごめんね、エラズル」
「いえ」
ルビーが声をかけると、彼―エラズル・ルーンベルクは本を全て拾い終えて顔を上げた。
耳は隠れていても、深紫のピアスを付けているのが解る。どこかあどけないが、冷たい印象を受ける顔つき。
「……何か?」
エラズルは事務的に問いかけた。意識していたのではないが、青年は彼をじっと見ていたらしい。
「あ……いや、別に。お前“リスティ”なのか?」
それは、単に彼の瞳が金色であったことに対する問いかけだった。
かつては“魔族”と呼ばれていた魔力を持つ人間を現在は“リスティ”と呼ぶが、彼等の特徴は金か銀の瞳、そして先の尖った耳である。
エラズルの耳が隠れているのは、城内で目立つであろうその特徴を隠すためなのか、と。
「違います」
やけに棘のある口調で返ってきた。青年が顔をしかめると同時に、彼は続けた。
「陛下にお会いになるのでしたら、早くここを立ち去るべきでは?ここに用がある訳ではないでしょう」
「まあな」
「ここに来るような人物かどうか、見ただけで解りますよ」
あまりに自然に告げられたため一瞬気付かなかったが、明らかな見下しの言葉だった。
「―――なん……!?」
青年がそこまで口にした時、エラズルは既に彼に背を向けて先を歩いていた。
苛立ちを自制して、彼は呻く。
「…あんな高慢ちきなガキも関係者なのかよ」
「エラズルは王宮魔導士さんだけど、博士さんなんだよっ」
何故かルビーは得意げだ。
「あーそう、博士様ね。どうりで」
嘆息してから彼は四階に上がった。
そこは三階とは異なって、荘厳で華美だった。人通りが一気に増えたが、騒がしいというよりは賑やかだ。
謁見室の大きな扉の前まで来ると、傍らに若菜色の髪の青年が控えていた。
ルビーを抱き上げたまま青年が近付くと、男は鋭い真紅の双眸を向けてきた。
見慣れない風体だった。白い巻き衣だけでも珍しいが、左袖の部分と腰下の左側にいたっては獣の毛皮を纏っている。
腰の毛皮と、さしている剣―これもまたやけに細長い、異様な形だ―を止めているのは赤い布地。
妙な剣をおさめる鞘と柄にも、同じ色の布が巻かれている。
ざんばらな髪は、後頭部の高い所で結われていた。
“ヴェルファ”だ、と、青年は胸中男の種族を思い浮かべた。
“ヴェルファ”は“獣人”と呼ばれてきた、体の一部を獣に変化させることのできる種族である。
緑髪の青年の両頬には、その特徴である牙を象ったような黒い証があった。
「主が王の近衛か?」
警戒を含んだ問いかけ。返答次第で奇妙な剣は抜かれるだろう。
「そうだ」
青年の短い肯定を聞くなり、紅眼の青年は彼を値踏みするように見た。
「……ふむ」
「なんだよ」
やや不機嫌な問いには答えず、勝手に納得したようにしてから“ヴェルファ”の青年は告げた。
「まあ、良いだろう。……我はエメラルド・ローレッツィ、主と同じくジェミニゼル王の近衛である。入るがよい」
口調は固いが、最初のよそよそしさは消えていた。青年は促されるままに入室する。
重い扉の向こう――階段の先に、王がいた。自ら軍を率いて戦乱を鎮めた英雄王が。
かつて、ともに戦地を駆けた青年が見知った姿は変わってはいなかった。
互いに歳は取った、だがそういう次元の問題ではない。
彼は変わらずそこに居た。
短い金髪、力強い碧の眼差し。昔のように防具は身につけてはいないが、彼が戦時に掲げた赤十字は、変わらず服の胸元に刻まれていた。
抱いていたルビーを下ろし、青年はその場に跪く。
「近衛騎士アンバー・ラルジァリィ、只今参上致しました」
「よせ、アンバー」
赤い絨毯の引かれた短い階段を、足早に下りる国王。
青年は立ち上がって頭を下げ、なおも続ける。
「お久しぶりでございます、国王陛下」
「……アンバー」
望まない公的な態度を崩さない彼に、ジェミニゼルは表情を曇らせた。
それを見て、青年――アンバー・ラルジァリィはおどけたように笑う。
「冗談だよ、ジェム」
王は一瞬呆気に取られたようにしてから、してやられたとでも言いたげに微笑んだ。
「……全く、お前らしいな」
そう告げた顔に気分を害した様子は見られない。
「これからまた、宜しく」
微笑んだ王が手を差し出すと、アンバーはその手を取った。

――ウィルベルグ王国が、新たな一歩を踏み出す。