全力疾走

深い深い森。
日の光は辛うじて地面に届いてはいるが、夕方を過ぎているかのように暗い。
「あ、あれじゃないか?」
アンバーは、どこか汚れたように黒ずんでしまった淡茶の髪を掻き上げ、手に持った武器――オールで前を指した。
示された先には、大人がひとり入れるような黄金色の塊がある。
そこには人間の頭ほどもあるような穴がいくつも開いていた。
「うむ、そうであろうな」
こちらもどことなく土埃が付いてしまっている着物のエメラルドが頷いて一歩近付くと、穴から巨大な蜂が威嚇するように顔を出す。
それ以上近付けば一斉に襲いかかってきそうな雰囲気が十数匹の蜂から発せられるが、アンバーはオールを脇に抱え、笑って声をかけた。
「ジェム伝いでラングディミル様から連絡入ってるだろ?俺達は王宮の者だ」
彼が赤十字のベルトに付いている王家の紋章を見せると、蜂の姿をした“グリート”は警戒を解いたようだ。
エメラルドは、“グリート”を恐れず、また“グリート”からも好感を持たれる相棒を静かに見守る。
王国祭の会食会のデザートの為の甘味。
“グリート”の蜂が作る最高級の蜜を受け取るのが仕事だった。
そのために森を歩き続けた苦労は忘れることにする。さぞ美味しいデザートが出来るのだろう。
「蜂蜜…分けてもらえるよう頼んでたはずなんだけど」
言葉に反応したのかどうかは解らないが、一匹の蜂がアンバーに寄ってくる。
その脚には、これもまた黄金色の球体があった。
両手でようやく持てるそれをアンバーは受け取る。
意外に重いのは、中身が液体――蜂蜜だからだろう。
「ありがとな」
礼を告げたその瞬間、茂みから何かが飛び出した。
「――アンバー!」
エメラルドの警告と同時にアンバーはオールを構え、一直線に向かって飛びかかってくるそれを受け流す。
それは獣型の“グリート”だった。蜂の“グリート”の蜜を好物とする種類。
エラズルが帰り道気を付けるようにと言っていたものがこんなにも早く現れるとは。
「ラルド!」
とっとと帰るぞ、の意味を込めてアンバーが振り向くと、エメラルドは棒立ちだった。
手に、半分割れたような球体を持っている。
それは、黄金色。
そういえば、とアンバーは冷静に考えてみる。
今しがた受け取ったばかりの蜂蜜は何処へ行ったのだろう。
両手が持っているのはそれではなくオール。
飛びかかってくるものをかわそうと咄嗟にオールを持ち直した時、蜂蜜のほうは――
すっと目線を上げると、エメラルドは非難じみた視線を送ってきていた。
その紅の双眸や頬の“ヴェルファ”の証の辺りを、粘性の液体が伝っている。
更に上を見ると、緑色の頭に黄金色の帽子。
――そうだ、反射的にぶん投げたんだ。
アンバーが引きつり笑いとともに理解したとき、辺りは“グリート”の気配に満ちていた。
蜂蜜を好物とする“グリート”。まさか噛みつかれて肉を喰われるということはないだろうが。
目標は、蜂蜜まみれのエメラルド。
「はは…悪い……」
「…過ぎたことはもう良い」
エメラルドは微笑して、半分残った球体をしっかり抱えた。
デザートに使う蜂蜜を持ち帰るのが今回の仕事。
数秒の間の後。
「――――走れえぇぇ!!!」
アンバーの声とともに、必死の鬼ごっこが始まった。

End


久々のギャグ…
話の先は読めると思います(笑)
王道でもいいから下らないのが書きたかったんです。
王国祭にはこんな凄まじい裏話があったのかもしれません(笑)