Dear friend-遠い地の君へ-

槙 昴は不思議な人間だ。
優等生だとか愉快な奴だとか、阿呆とか変人とかとりあえずまとめて不思議、この一言に尽きる。
黒髪黒目の日本男児、背は高くて顔もいい。大学に入ってコンタクトレンズにしてからは余計に女の子にモテそうな外見になったのがちょっとムカつく。
高校一年からの腐れ縁で、大学でつけられたあだ名は漫才コンビ。
全くもって不本意だが、今目の前にいる昴のいつもながらの奇行にツッコミを入れずにはいられない俺が居る。
「―何つー格好してんだよお前はッ!」
「嫌だなあ航、魔女っ子衣装に決まってるじゃないか」
あっはっは、と笑う昴はピンク色の上下、勿論下はスカートだ。
服には至る所にフリルがあしらってある。野郎のパフスリーブなんて勘弁して欲しい。
ご丁寧にカツラまで着用している姿がそこはかとなく似合っているのがまた救えない状態だ。
こんなに図体のでかい魔女っ子なんて俺は認めないぞ。
「んなもん解りやすすぎるくらいに解るが、何でそれを大学の食堂に着て来てるんだよお前は!…ああそうか、実はそんな趣味だったんだな。知らなかったよ昴」
「いやいやまさか、君じゃないからさ…これは学祭のイベントで俺が着る、捨て身で秘蔵のギャグだよ」
「捨て身で秘蔵のギャグを本番前にやってどうするこのど阿呆!」
昴は、一週間後に行われる学校祭の実行委員だ。
去年から継続していて、二年になった今でもよくやるよ、と思う。
今年は委員会主体のイベントの司会に抜擢されたとかで喜んでいた。
ということは、魔女っ子衣装イコール司会者衣装か。何考えてんだ学祭委員。
「だって仕方ないじゃないか。衣装が手元に届いたら来てみたくなるのが人の性ってやつですよ」
「着て、出てくるのが間違いなんだっての。やっぱ趣味だろお前。知り合いだと思われたくないからどっか消えてくれないか?」
「――酷いよ航、君がそんなに冷たい人間だとは思わなかったよ文学部二年の木崎航君20歳!」
「大声で人のプロフィール漏洩すんな!」
食堂の人達が笑いを押し殺していようなのを感じる。
ああ皆さん信じて下さい、俺はこいつみたいに馬鹿でも女装趣味でもありません。
そんなことを大声で主張したら阿呆二号決定だから、あくまでも心の中の声。
「さてさて、晩ご飯晩ご飯。航は何食べるんだい?」
「…味噌ラーメン」
何となくそんな気分だった。
「じゃあ俺が取ってきてあげるよ。席取りよろしく」
返事をする前に昴は行ってしまった。勿論その格好のままで。
すると何だ、俺は魔女っ子コスプレのあいつと仲良く夕食なのか。
諦めにも似た苦笑が出てしまう。
昴の奇行には毎回驚かされるが、奇行をすること自体にはもう慣れた。
適当な空いてる席を陣取り、向かいに鞄を置く。
意気揚々と戻ってきた昴が手にしていたのは味噌ラーメンとカレーと苺のショートケーキ。
その食べ合わせはどうなんだ。
寧ろ、カレーの大盛り食うな魔女っ子。
昴は、俺が取っておいた席に腰を下ろした。

高校時代に成績トップまっしぐらだった昴は、理学部に在籍している。
学部の方でも成績は悪くないのだろう。昴が試験に落ちたとか単位を落としたという話は聞いたことが無い。
「――わあ航、ピンクのインクとか持ってたりしないかな!」
そんな優等生は、衣装にカレーをこぼして大慌てだ。
「染めるな。ちゃんと洗え」
言いながら思い出す。
高校の時、青いシャツに醤油をこぼした昴は惜しげもなく洗濯機に漂白剤を注ぎ入れて、青い色ごと真っ白にしたことがある。
理数が得意なのと家事の知識はあまり関係が無いらしい、としみじみ思ったのを覚えている。
――現在理学部の昴は、もとは俺と同じ文学部を目指していた。
社会科、中でも歴史の教師になりたかったらしい。理数と同じく社会の成績も抜群だった。
ただ、ただ一つだけ。
昴は現代国語が壊滅的だったのだ。
少し肩を持ってやるならば、答えがあまりにも独創的すぎる。
ついでに、昴の中の日本語は現代日本語とかけ離れた部分があるらしい。
「刎頸の交わり」の意味を「首を切り合って心中する間柄」と大真面目に言ってきた時は、ある意味国語に向いているんじゃなかろうかと思った。
ただ、それでは文系の大学に進むことは出来なかった。
好みとは裏腹に、昴は理数頭で、そっちの分野はすんなりと理解していた。
何でそんなに出来るんだと聞いた時に、だって簡単じゃないかと爽やかに告げてきた昴に、俺も爽やかに正拳突きのツッコミを入れたのも良い思い出だ。
結局、教師や親の薦めもあって昴はここに居る。
そういえば、理学部にしたと俺に話した時だったろうか。
いつも笑顔でとぼけた表情の昴の、どこか悲しそうにも映った最初で最後の苦笑いを見たのは。
「うわ、航、そんな下らないギャグ漫画見るかのような冷ややかな目を向けなくても!」
「どういう例えだ。これは呆れきった眼差しと言うんだ。…お前みたいなのが教師目指してるなんてな」
俺は理社系の教師になる、とは、理学部へ進んだ昴の夢らしい。
理社系とは昴の造語で、理科と社会を得手とする者のことだ。
「いやあ、自分でいうのもなんだけど、俺向いてると思うよ?そんな訳で今度の空きコマ、文学部に歴史の講義聴きに侵入するんでよろしくー」
「来んのかよ。…俺はお前みたいな教師は嫌だぞ」
「ええっ、何故に!?」
「そんな格好の教師は嫌だ」
「いくら俺でもこの格好で授業はしないよ?」
「訂正、お前みたいに女装趣味な教師は嫌だ」
「だから趣味じゃないって言ってるじゃないか。…航も教員免許取るんだよね?」
「…まあ、一応は」
昴のように明確な目標がある訳ではないから、出来そうなことをやっておく程度に。
あまり考えたくない話題だ。
自分でも顔をしかめてしまったのに気付いた。昴はにやりと笑って話を切りだしてくる。
「そんな枯れ枯れの航に、俺の崇高な本当の夢を教えてあげよう」
「そんなのあったのか」
それは初めて聞く話だった。昴に限って崇高ということはまず無いだろうが、耳を傾ける。
「俺は…」
昴は真っ直ぐに俺を見て、淀みなく続けた。
「勇者になりたいんだ」
あまりに突飛すぎて言葉がすぐには出てこなかった。
さて、どこにつっこむべきかと頭を巡らせる。
「ああそうか、ゲームのやりすぎでとうとう脳味噌腐れたか」
「俺の脳味噌はいつだって細胞分裂してるよ。勇者って、ゲームをやる者なら誰だって一度は憧れるでしょうが」
「いくら何でも非現実的すぎだろ」
「勇者…他人の家に上がり込もうが箪笥あさろうが壷割ろうが、あまつさえ中身を持ち逃げしようが正義の名の下に許されるんだ…!まさにお前の物は俺の物、俺の物は俺の物思想!」
「そこかよ!世界救えよ!」
うっとりしている昴。それも確かに勇者の一面かもしれない。だがせめて世界は救うだろう普通。
「何言ってるんだい航。たかだか一人の人間が世界を救おうとするなんて思い上がりもいいところじゃないか」
「いや、仲間探せよ!?居るだろどっかに!」
寧ろそれが冒険の楽しみじゃないのか。
広大な大地を一人で旅する姿を想像してみろ。期待どころか憐れみの目を向けたくなるぞ。
「…まあ、もうちょっと現実的な夢もあったりするんだけどね」
昴はやれやれ、という感じに言ってきた。どうして俺がそんな態度をとられなきゃならないんだ。
どうせ下らないものだろうと思いながら、何だよと聞き返す。
「可愛い彼女が欲しいなあ」
「一気に通俗レベルに下がったなおい」
もう何か心底どうでもいい。
「可愛い後輩に、『先輩、好きです』とか言われるのって何かいいよね」
「年下好みか」
「いやいやでも、友人な同級生に『昴、私実はあんたのこと…』とか切り出されるのも、年上のおねーさんとかも捨てがたいよね」
「お前もしかしてその手のゲームに手出したのか」
「航のタイプは?」
まるきり無視されて逆に尋ねられる。
「…俺を好きになってくれて、お前みたいなノリじゃないのがいい」
昴は黙って瞬きした。
妙な沈黙が流れる。
別に変なことを言ったようには思わない。まさか今の軽い皮肉で傷ついたということもないだろうし。
「――うわあ航が純なこと言いだした…!」
「うるっさい!」
口を開いたと思ったらこれだ。こいつの言うことにまともに答えるんじゃなかった。
畜生、何か恥ずかしくなってきたぞこの野郎。
目を背けた俺を、昴は笑って見ているんだろう。何となく解る。
「…まあ、ゆっくりのんびりで」
「何のことだか」
肩をすくめてみせる。
でも、本当は解っている。さっきの夢の話だろう?
こいつはいつもこうだ。
遠回しに、さりげなく、言って欲しい言葉を。
「さて、晩ご飯食べたし俺はそろそろ委員会に戻るかなー」
昴は立ち上がった。たなびくスカートを見慣れてきた俺は大丈夫なんだろうか。
「…頑張れ」
溜め息混じりに言ってやると、昴は笑って頷いた。
走って出ていく姿を食堂の皆の目が追っている。
良かったな昴、少なくともお前は今日の食堂の勇者だよ。
…単なる強者って意味だけどな。

槙 昴は不思議な人間だ。
変人ゲーマーと紙一重かもしれないけど、凄く強い人間。
人並みに弱い部分や不本意に思う部分もある筈なのに、それでも笑っていられる奴。
人のことをよく見ているから、逆に人を引きつける。
昴が司会のイベントなら、さぞかし盛り上がるだろう。
やたらと社会に詳しい理科教師の授業もなかなかに面白いかもしれない。
あいつが勇者のパーティなら必ずや伝説に残るだろう、色々な意味で。
そして、そんなあいつを理解してやれる人がどこかに居る筈。
あいつの夢なら、全て叶えばいい。
そんな風に心の片隅で願ってやることだけが、俺があの親友に対してしてやれる唯一のことだから。


******



槙 昴は腕の時計を見た。
後数分で日付が変わると、デジタル数字が告げてくる。
学祭目前ともなると、残って作業している人がどこそこに見受けられる。
夏を前にしたこの季節でも、流石に肌寒い時間になってきた。
夕方に着ていた司会者衣装は、洗って委員会の部屋に干してある。
普段着に着替えた昴は、呼び出された場所へと歩みを早めていた。
昼間は学生でごったがえす食堂前も、夜になって閉まってしまえば人気が無い。
そこに、一人たたずむ姿があった。
背筋をぴんと伸ばし、思い詰めた様子の女生徒の横顔。
肩ぐらいのセミロングの、可愛らしい女性だ。
「ええと、俺になにか用があるって?」
昴が呼びかけると、彼女は弾かれたように振り向いた。
伏し目がちに、昴と目を合わせないままで呟く。
「あの…来て下さってありがとうございます。お忙しいのに」
「いやいや、おかげで面倒ーな仕事を他の人に押しつけられたよ」
しかし彼女の次の言葉がこない。
「んー…と?」
どうして良いのか困った昴が言うと、彼女は唐突に顔を上げた。
「あの、私、去年この大学の学園祭に来て、実行委員をやっていらっしゃる先輩の姿を見て…その」
あれ、と、昴はそこでようやく自分のおかれている状況を理解した。
もしかするとこれは、自分がほんのり憧れていたシチュエーションではなかろうかと。
「…その時から、先輩のこと、っ――」
昴は自分で、顔が赤くなるのを感じていた。
嬉しいやら恥ずかしいやら混乱しているやらで、硬直して立ち止まることしか出来ない。
「好――…」
声が、不自然に途絶えた。
そして一瞬の落下感。
ばっしゃあん、と昴は大きな水音を聞いた気がした。
それがあやふやなのは、その水音を立てたのが他ならぬ昴自身だったからだ。
突然の息苦しさに襲われ、昴は反射的に“上”を仰いだ。
「―――――ッ!?」
“水”から顔が出る。訳も解らぬままとりあえず呼吸する昴。
――ああ、目に水が入ったせいで視界がおかしいんだ、きっと。
コンタクトレンズの入った目に水はしみる。昴は何度も目をしばたかせてみた。
昼間だ。
砂浜が見える、真夏の海の中だ。
遠くで翼の生えた魚が跳ねた。トビウオは白い翼を持つまでに進化してしまったらしい。
「……あれ?」
頭を整理した筈が、余計に混乱しただけになってしまった。
昴は岸に上がる。
白い砂浜に腰を下ろして青く美しく澄んだ大海原を眺めてみると、濡れた髪を乾かすように弄ぶ潮風。
「…うん、このゲーマー槙昴が断言しよう、ここは異世界だ」
言ってみると存外寂しかった。
自分は世界を救うためにこの異世界に招喚されたのか、それならどうして最初から城とか街とか、せめて森の中くらいにしてくれないんだ。
常人からは既に離れた思考を展開していた昴は、夕方の友人との会話を思い出していた。
愛想が無いながらに優しい友人が、夢の成就でも願ってくれたのだろうか。
全部一度に叶えて欲しいなどとは一言も言っていないのだけれど。
それならばもしかすると、勇者な自分はこれから生徒のような仲間とでも行く道を共にするのかもしれない。
「ありがとう親友の木崎航君。素敵な旅の思い出をお土産に…いつ頃帰れるかな」
根拠も無く全てを友人のせいにして、昴は立ち上がった。

夏空の下、恐らく伝説が始まる――――

End
2005.04.28