Late In The Afternoon

それは昼下がりのこと。
何時もの様に自分の頭先以上の高さに積み上げた書物を運んでいた青年は聞きなれない声に足を止める。
長い廊下の曲がり角の手前、図書館の近く。
城の三階一帯に広がる書庫の空間。
「あの、私…ずっとずっとあなたのことが」
女性のものだと直ぐに分かる、甘く霞んだ潤いの秘めた声。
青年は若しかしなくてもと思うのと同時、ここではない所では駄目なのかと肩を僅か下げた。確かにここは静かでそういうことには打ってつけなのだろうけれども。
返事が聞こえない。短い沈黙が流れた刹那。
「ごめん、俺さ。今そういうこと考えられない。嬉しいけれど」
相手方の男性が女性に向けて言った言葉。突き放すわけでもなくかと言って受け入れるわけでもない。
だがその声音は、酷く聞きなれたものだった。
青年は視界の殆どが本一色の中、大きく目を見開く。
「…そうですか、ごめんなさい!!」
女性が角を勢い良く曲がる。そうして手前に居た青年にどんとぶつかった。侘びの一つも無いのはそれどころではないのだから当然だ。青年は弾みでばさばさと落ちてしまった本を拾おうと腰を屈め手を伸ばす。
その一冊をひょいと拾ったのは。
青年はゆっくりと顔を上げる。気まずさを僅かに感じながらもその名前を呟いた。
「アンバー・ラルジァリィ………」
琥珀の髪に翡翠の瞳。
彼は困った様に笑う。

「Late In The Afternoon」


「随分前に廊下ですれ違って以来、好きだったって言われたけれど俺は彼女のこと何にも知らないし、記憶にもないから断ったんだよなー」
机に肘を付き反対側の手を髪に差し入れながらアンバーは青年に話掛けたが彼は背を向け棚の整理に勤しんでいて相手にしない。
「人を好きになるってどういうことなんだろうな」
瑠璃色の髪がローブをさらりと触れていく。金の眼は今は閉じられ眉は剣呑に顰められている。
「なぁ聞いてる?博士―?」
間延びした煩わしい声。手を動かしつつ青年は頭痛を覚えた。
「なーって。エラズル・ルーンベルク!!」
ぴしと何かが弾ける音がした。青年、エラズルはくるりと踵と返すと楽しいことを少しも言っていないのに口元に笑みを浮かべていた。正し引きつるものであったが。
「そんなに煩いとですね…」
ふと顔を反らし肩に埋めた。
「え、あ…ちょっとエラズルさん?」
アンバーが黙ってしまったエラズルの顔を覗き込もうと近づく。
すると何処から出したのか。
どぉんと王宮魔術師は座っているアンバーの頭先以上の高さに積み上げられた本を崩れない様、それでも勢い付いて彼の前に置いた。
「この書物、書籍番号ごとに棚に戻させますよ」
修羅のようにだが穏やかに向ける怒りに確かに本物を感じ取ってアンバーは両手を挙げホールドアップの姿勢を取りゆっくりと呟いた。
「………はい、分かりました」


暫く経ってから快活な声が優しく響いた。
「お茶の時間ですよー」
栗色髪に勿忘草の目を愛らしく細めユナ・カイトが盆にティーポッドとカップ、それに小皿に丁寧に並べたアールグレイを練り込んだクッキーを持って現れた。
「今日はラベンダーティーにしてみましたって、あれ?アンバーさん!」
憔悴した様子で机にうつ伏せになっているアンバーにユナは驚いて声を掛けると片手を挙げひらひらと応えた。
「よお、ユナ」
「どうしたんですかー若しかしてまたエラズルさんのお手伝いとか」
「いや別に」
「分かった!今日、エメラルドさんとルビーちゃんが王様と共に城を空けて居ないから寂しいんでしょ、だから普段来ないここへ来た」
「あ、そんな感じ」
言ったところでアンバーはちらりとエラズルを見た。
そして肩をびくんと痙攣させる。
先ほどまでの剣呑さは失せてはいず苛々は最高潮に達している。
どす黒いオーラのようなものが彼から出ていた。
「あ、あのさ。ユナ」
これ以上の会話は不味いと判断しアンバーはユナを止めようとした。
「何ですか、アンバーさ」
「人を好きになるってどういうことなんでしょうねぇ」
とんと本を纏めて机の端に置くとエラズルは漸く椅子に座った。アンバーとは丁度対面する形になる。
「お、おい!!エラ」
「え?何の話ですか、エラズルさん!?」
盆を置きクッキーの小皿とカップに注いだお茶を持って、つつつとエラズルの傍に腰掛けたユナが興味津々に聞く。
「館内を騒がしくしてくれたお礼です、良いですよね?言ってしまっても。アンバー・ラルジァリィ」
黒い微笑みを浮かべながらエラズルは爽やかに言ってのけた。
「聞きたいです!」
とユナ。
大きな溜息を付いてアンバーはがっくりと項垂れた。


「へー告白ですかぁ!」
クッキーをこりこりと齧りユナは感心したように頷く。
「そうですよね、アンバーさんって格好良いし」
「有り難う…ユナ」
褒めてもらっている筈なのに何だか嬉しくない。
「僕には全然判りません」
茶を啜りつつエラズルは乾いた笑いを漏らす。
そうだきっと原因はこいつだ。
じろりとアンバーは彼を見たが当然、視線は逸らされた。
「でも人を好きになるってどういうことねぇ」
ユナは口元に手を当てて首を傾げつつエラズルを見た。勿論彼はその視線に気が付かないが。
「私だったらね、その人のことを考えただけでどきどきして何も手に付かなくなっちゃうな。夜眠る時にその人は元気だろうか病気とかしてないかとか。杞憂かもしれないけれどね。とにかく頭の中がその人で一杯になるのは確かよ」
だから、とアンバーの翡翠の輝きを眺めユナは軽やかに言う。
「その女性もきっと同じ気持ちで告白したんだと思うわ、それにね想いを伝えるって凄く難しいのよ?」
「…何か俺、悪いことしちゃったかな」
「でも告げた後って変に期待を持たせられるよりもはっきり言って欲しいって言うのがあるから、これで良いんじゃないかしら」
「そういうものでしょうかね」
エラズルはカップを置く。
「エラズルさんは?そういう気持ちになったりしたことは」
「ありませんね」
さらりと言われその即答に思わずユナは消沈した。
「でも俺もないな、そういう気持ちとか」
そうして自分の瞳を―――色の違う側を―――押さえた。
そんな余裕もなかったし?
軽く苦笑する。
恋や愛、誰かを慈しむ青年時代の青さ。
痛くて、切ない。
恋焦がれる愛おしさ。
無かったな、と思って目を伏せた。


「それじゃ、アンバーさんもエラズルさんもそういう方が現れた時は私に教えて下さいね相談に乗りますから」
ユナが胸の前で手を組みながら小首を傾げた。
弾かれたようにアンバーは顔を上げる。
「僕は自分のことよりも興味がありますね、あなたがどのような方を好きになるか」
エラズルは新たな茶を注ぎアンバーに向けてしれっと言い放つ。
「お前の場合は単に面白がってるだけじゃないのか」
アンバーはひくと口元を痙攣させた。
だけれど何だか不思議な感覚だ。
忘れていた青年時代の感情が清算されていくような。
「何かあれですね、学院の学生達の放課後の会話みたい」
くすくす笑ってユナは再びクッキーに手を伸ばした。


こういうのも悪くないかもしれない。
こういう午後の過ごし方も良いかもしれない。


アンバーは穏やかな笑みを刹那浮かべ、首を傾けた。

End



RCの小説…小説…
小躍りしていいですか?(やめてください)
RCが完結した後のお話です。
アンバーとエラズルとユナの会話が可愛くて…!
特にエラズルの黒さに惚れてしまいそうです…v
こんな風に会話している彼等をもっと書いてあげたいという気持ちになりました!
水都さん、ありがとうございました!!

2005.06.15